驢鞍橋 / 卷中
第九、此の身を主君に抛つ心と云ふは、萬事我物と思ふ故に萬事苦む也。此の身は主君の物なりと抛て使はゞ、安樂なるへし。强く眼を著て十二中抛ち習ふへき也。第十、自己を守る心、是は草分の中に具に書く、是れを見るへし。自己を守ると云ふは、機をぬかさぬ事也。纔かも機をぬかせは、早や物に負る也。第十一、捨身を守る心。是れも草分に具に書く也。或は火に飛込み水に飛込て身を捨て見、或は胴腹をつきぬかれて、捨備の中にかけ込では捨て、さまざま捨て習て、自由自在に捨らるヽ程に至る事也。なる程强く張合て守るへき也。第十二、自巳の非を知る心と云ふは、人皆我が非か苦にならぬに仍て、餘所の善惡まて取り來て、吾か胸に入て地獄をわかす也。此の段は人每に知らせたし。我も此の前は人惡く思ふたもありけるが、今は我獨り惡くて皆人はよき也。
新字:第九、此の身を主君に抛つ心と云ふは、万事我物と思ふ故に万事苦む也。此の身は主君の物なりと抛て使はゞ、安楽なるへし。強く眼を著て十二中抛ち習ふへき也。第十、自己を守る心、是は草分の中に具に書く、是れを見るへし。自己を守ると云ふは、機をぬかさぬ事也。纔かも機をぬかせは、早や物に負る也。第十一、捨身を守る心。是れも草分に具に書く也。或は火に飛込み水に飛込て身を捨て見、或は胴腹をつきぬかれて、捨備の中にかけ込では捨て、さまざま捨て習て、自由自在に捨らるヽ程に至る事也。なる程強く張合て守るへき也。第十二、自巳の非を知る心と云ふは、人皆我が非か苦にならぬに仍て、余所の善悪まて取り来て、吾か胸に入て地獄をわかす也。此の段は人毎に知らせたし。我も此の前は人悪く思ふたもありけるが、今は我独り悪くて皆人はよき也。
書き下し
第九、此の身を主君に抛つ心と云ふは、万事我物と思ふ故に万事苦む也。此の身は主君の物なりと抛て使はゞ、安楽なるへし。強く眼を著て十二中抛ち習ふへき也。第十、自己を守る心、是は草分の中に具に書く、是れを見るへし。自己を守ると云ふは、機をぬかさぬ事也。纔かも機をぬかせは、早や物に負る也。第十一、捨身を守る心。是れも草分に具に書く也。或は火に飛込み水に飛込て身を捨て見、或は胴腹をつきぬかれて、捨備の中にかけ込では捨て、さまざま捨て習て、自由自在に捨らるヽ程に至る事也。なる程強く張合て守るへき也。第十二、自巳の非を知る心と云ふは、人皆我が非か苦にならぬに仍て、余所の善悪まて取り来て、吾か胸に入て地獄をわかす也。此の段は人毎に知らせたし。我も此の前は人悪く思ふたもありけるが、今は我独り悪くて皆人はよき也。
現代語訳
第九、「この身を主君になげうつ心」というのは、万事を自分の物と思うから万事に苦しむのである。この身は主君の物だとなげうって使えば、安楽である。強く眼を付けて、一日中なげうつことを習いなさい。第十、「自己を守る心」。これは『草分』の中に詳しく書いた。それを見なさい。自己を守るというのは、機を抜かさないことである。わずかでも機を抜かせば、たちまち物に負ける。第十一、「捨身を守る心」。これも『草分』に詳しく書いた。あるいは火に飛び込み水に飛び込んで身を捨ててみ、あるいは胴腹を突き抜かれて、備えの中に駆け込んでは捨て、さまざまに捨て習って、自由自在に捨てられるほどに至ることである。できるかぎり強く張り合って守りなさい。第十二、「自己の非を知る心」というのは、人は皆自分の非が苦にならないので、よそ事の善悪まで取って来て、自分の胸に入れて地獄を沸かすのである。この段は誰にでも知らせたい。私も以前は人を悪く思ったこともあったが、今は私一人が悪くて、皆はよい人である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中第十三、人主君の前に居る心、是は何事れも覚あるへし。爰ては自らだるまれまいが、覚えす浮んて居めされんずと也。第十四、仁義を守る心。第十五、仏語祖語に眼を着る心と云ふは、喩へは夢幻泡影の文を見る則は、仏祖は幻化也、我は実有也と知り、仏祖の意に徹すべし。強く眼を著て見る事也。第十六、正直慈悲の心、是はなてくだして勝つた機也。喩へは誰も童に勝て居るか如し。第十七、一大事因縁を思ふ心、是は云つて聞かせ難し。我れと心に備る大事也。前に書く生死を心誠に成つて知るへし。今思ひ習ふ事に非す、総して右の箇条の心熱せは、一大事因縁の心となるへしと也。○彦根衆、此の箇条に抄を乞ふ人ありけれとも、師抄を作るは習ひ事にして隙を明けて置くへし。是は習ひ事に非すと云つてな去たまはす。是は某窃に留むる覚書也。
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『驢鞍橋』卷中第一、生死を守る心と云ふは、此の生と云ふものは、何の用にも立たぬ物哉。扨て扨ていやなわるい物哉とよく知り、扨て死は隙の明きたよき物なりと知り、只今必す死すと眼を著け歯をかんで、ぐつと死して直に死習ふ心也。第二、恩を知る心。四恩といへ共、武士は主の恩を能く知るへし。総して恩をしらぬ故に不義多し。実に恩を知る則は、真の心となる也。第三、一陣に進む心と云ふは、千騎万騎の中へ、只一人つゝとかけこむ心を守る事也。第四、因果の理を知る心と云ふは、万事因果次第よと思ひ定むれは、娑婆の望もなく心楽也。又命を取らるゝ程の事来るとも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらんと思ひ定めは、苦む事有るべからす。又人を恨むる事も有るへからず。人毎に此の因果の道理はしらせ度也。是れを守る則は、大に苦を免るゝ事也。
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『驢鞍橋』卷下一日去る人自己を守らんとするに、取着き処無くして守れぬと云ふに示して曰く、中々好き合手こそあれ。先つ此身痛く痒く熱く寒く、四苦八苦満み満み不浄は積て湛へたり。扨て心中には八万四千の悪業煩悩の苦有り、やれやれいやな体哉。あな憎くの心め哉と此身心を合手にして、きつと睨付けて守るべし。之に增したる合手有らんや。我は始めより憂かりこの機がきつと備はり、此身に使はれ責めらるゝことかうゝて有りしに仍て、抜かしたうても自ら抜けす。左なき人は我悪いことに眼を付けて守るの外なし。必ずこの糞袋を合手にして、きつと張合て守るへし。如是なしてこそ、二王の機と云ふことをも知り、実も薄く成り、心も次第に自由に成るべし。総じて修行は、今使はるゝ様にすへき也。
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『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
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『驢鞍橋』卷中第五、幻化無常を観する心と云ふは、扨ても実もない身かな、今をも知らぬ命也。扨て扨ていつはりの世界哉と強く見る事也。第六、此の身の不浄を観する心と云ふは、人毎に死人はむさかれとも、我か負ふて居る死人は、秘蔵して居るもの也。目汁、鼻汁、大小便一つも清き事なし。扨てもいやなくされ者哉と、常住にらみ付て守るへき也。第七、光陰を惜む心、第八、三宝を信仰する心と云ふは、仏祖の出世なくは、我ら衆生是非をも弁へす、畜生に替り有るへからす。然るに仏祖の出世により、義理を弁へ是非を知り、殊に三途の古里を出つべき教を聞き、其上末世の我らに至るまで救ひたまはん御願力、扨て扨て忝き次第也と思ひ入て、身命を抛て信仰し奉るへき也。
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『驢鞍橋』卷下彼人曰く、法の為めに身を捨る上は、何事にかいきあたるべし。師曰く、めたと身を捨るを仏法とは云はす、夫れが成仏ならば、人を頼で頭を切りめされんや。又堀川にも飛込み死するを成仏と云はんや。身を捨つと云ふは、執着を離るゝこと也。執着の機だに離れば、身は有つても碍なし。然ればとて身をうまする事にもあらず。又ゆゑなく身を使ひくつめ、病者に成つてもならぬこと也。その上おつきるを、身を捨つと思はるゝか。おつきるは、却で身の為めに楽を求むると云ふ物也。後世を願ふも、我身の為めに願はずや。身を捨るならば、何で今の奉公を勤めさる、いやなことを作すこそ、身を捨るなれ。殊に修行と云ふは、强き心を以て修することなる間、出家よりは侍よき也。その故は先つ□主を持て機に油断し、常に大小をさし働かし、すわと云はばと云ふ機自ら備はる也。此の機にてさへ用ゐられす、況や出家に成り、機たらりとなつて、何の用に立たんや。
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