驢鞍橋 / 卷中
又本來心の異名を知るへし。金剛の正体とも、堅固法身とも云ふ。此の心物にかゝはらす、恐れす驚かず、憂へず退かず不動不變にして、一切の主人となる。如是通徹して用ゐ得るを、大丈夫の漢、鐵心肝、達道人抔と云ふ也。此の人萬念に碍られす、萬事を使ひ得て大自在也。然る間、佛道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し。如是大丈夫、鐵心肝に至る事なる間、只此の勇猛の心一つなりとのみこんで、一頭に强き心を用ゐよと云ふ事也。是れ一つをさへ聞しめさるれは、用は調ふ也。皆爰をうつかと見らるゝに仍て、ぐどつくと也。
新字:又本来心の異名を知るへし。金剛の正体とも、堅固法身とも云ふ。此の心物にかゝはらす、恐れす驚かず、憂へず退かず不動不変にして、一切の主人となる。如是通徹して用ゐ得るを、大丈夫の漢、鉄心肝、達道人抔と云ふ也。此の人万念に碍られす、万事を使ひ得て大自在也。然る間、仏道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し。如是大丈夫、鉄心肝に至る事なる間、只此の勇猛の心一つなりとのみこんで、一頭に強き心を用ゐよと云ふ事也。是れ一つをさへ聞しめさるれは、用は調ふ也。皆爰をうつかと見らるゝに仍て、ぐどつくと也。
書き下し
又本来心の異名を知るへし。金剛の正体とも、堅固法身とも云ふ。此の心物にかゝはらす、恐れす驚かず、憂へず退かず不動不変にして、一切の主人となる。如是通徹して用ゐ得るを、大丈夫の漢、鉄心肝、達道人抔と云ふ也。此の人万念に碍られす、万事を使ひ得て大自在也。然る間、仏道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し。如是大丈夫、鉄心肝に至る事なる間、只此の勇猛の心一つなりとのみこんで、一頭に強き心を用ゐよと云ふ事也。是れ一つをさへ聞しめさるれは、用は調ふ也。皆爰をうつかと見らるゝに仍て、ぐどつくと也。
現代語訳
また「本来の心の異名を知りなさい。金剛の正体とも、堅固法身とも言う。この心は物にかかわらず、恐れず驚かず、憂えず退かず、不動不変であって、一切の主人となる。このように通徹して用い得るのを、大丈夫の漢、鉄心肝、達道の人などと言う。この人は万念に妨げられず、万事を使いこなして大自在である。それゆえ仏道修行の人は、まず勇猛の心がなくてはかなわない」と書いたのは、このような大丈夫、鉄心肝に至るのであるから、ただこの勇猛の心一つだと呑み込んで、ひたすら強い心を用いよ、ということである。この一つさえ聞き入れてもらえれば、用は足りる。皆ここをうっかり見過ごしておられるので、ぐずぐずするのだ、と言われた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
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『驢鞍橋』卷中先つ仏法と云ふは、六賊煩悩を打滅す事也。なに生々悪道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を強く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ強けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と強く切払へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して内外打成一片となつて、内にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を尽く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ実有は尽きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと実有破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日或武士に示して曰く、仏法なくして武勇つかはるへからす。血気の勇は何程强しと云ふとも、とこぞに臆病なる処有るへし。我も高き坩の上に立て下を見れは、足振へて臆病出づる也。仏法修行なくんば、大丈夫の漢と成るべからすと也。
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『驢鞍橋』卷中修行の道千差万別なりといへ共、肝要は身を思ふ一念也と云ふは、何と修行せうとも、其の肝要は、身を思ふ念一つを離るゝが体也。一切の苦は、此の念より起る也。身を捨て得たらは、何事か苦ならんや。是れ慥に合手を見たる処也。又然れば凡夫心に物に勝て浮心あり。物に負て沈心あり。浮心を用ゆるは、仏界に入るの門、沈心を用ゆるは獄中に入る道也。専ら出離の願力を以て、昼夜浮心を守るへしと云ふは、凡夫心に此の二筋あり。浮心と云ふは、急度いきた機也。是れ仏界の道也。昼夜此の心を守るへし。物に勝て浮心の類勇猛心を体とす。始めは物に勝て浮心の類と計り書きけれ共、人錯て心を用るに因て、後ち勇猛心を体とすと書き添えたり。十七段ともに此の心か体也。総して此の勇猛心一つか修行の体也。此の心を用ゐて、有相執着の一念を滅する事一つ也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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