驢鞍橋 / 卷中
シテ詞扨て卒都婆の功德はいかに。ワキ一見卒都婆。永離三惡道。シテ一念發起菩提心。それはいかでかおとるべき。ツレ菩提心あらは。なせ浮世をばいとはぬぞ。シテ姿が世をもいとはばこそ。心こそいとへ。ワキ心なき身なればこそ。佛体をばしらばらめ。シテ詞佛体隔なけれはこそ。卒都婆には近つきたれ。ツレさりとてはなどを禮ばなさでしきたるぞ。シテ迚も臥したる此卒都婆。やすむも功德ならざるや。ワキそれは順緣にはつれたりシテ詞逆緣などかいとふべき。ツレ提婆が惡も。シテ觀音の慈悲。ワキ槃特が愚痴も。シテ文殊の智惠。ツレ惡と云ふも善也。ワキ煩惱と云ふもシテ菩提なりツレ始知衆生。シテ本來成佛ワキ生死涅槃シテ猶如昨夢。此の理を知るときは。何の疑ひ有るへきと懇に申せは。眞に悟れる非人なりとて。僧は頭を地につけて三度禮したまへは
新字:シテ詞扨て卒都婆の功徳はいかに。ワキ一見卒都婆。永離三悪道。シテ一念発起菩提心。それはいかでかおとるべき。ツレ菩提心あらは。なせ浮世をばいとはぬぞ。シテ姿が世をもいとはばこそ。心こそいとへ。ワキ心なき身なればこそ。仏体をばしらばらめ。シテ詞仏体隔なけれはこそ。卒都婆には近つきたれ。ツレさりとてはなどを礼ばなさでしきたるぞ。シテ迚も臥したる此卒都婆。やすむも功徳ならざるや。ワキそれは順縁にはつれたりシテ詞逆縁などかいとふべき。ツレ提婆が悪も。シテ観音の慈悲。ワキ槃特が愚痴も。シテ文殊の智恵。ツレ悪と云ふも善也。ワキ煩悩と云ふもシテ菩提なりツレ始知衆生。シテ本来成仏ワキ生死涅槃シテ猶如昨夢。此の理を知るときは。何の疑ひ有るへきと懇に申せは。真に悟れる非人なりとて。僧は頭を地につけて三度礼したまへは
書き下し
シテ詞扨て卒都婆の功徳はいかに。ワキ一たび卒都婆を見れば、永く三悪道を離る。シテ一念菩提心を発起す。それはいかでかおとるべき。ツレ菩提心あらは。なせ浮世をばいとはぬぞ。シテ姿が世をもいとはばこそ。心こそいとへ。ワキ心なき身なればこそ。仏体をばしらばらめ。シテ詞仏体隔なけれはこそ。卒都婆には近つきたれ。ツレさりとてはなどを礼ばなさでしきたるぞ。シテ迚も臥したる此卒都婆。やすむも功徳ならざるや。ワキそれは順縁にはつれたりシテ詞逆縁などかいとふべき。ツレ提婆が悪も。シテ観音の慈悲。ワキ槃特が愚痴も。シテ文殊の智恵。ツレ悪と云ふも善也。ワキ煩悩と云ふもシテ菩提なりツレ始めて知る衆生。シテ本来成仏なることを。ワキ生死涅槃はシテ猶ほ昨夢の如し。此の理を知るときは。何の疑ひ有るへきと懇に申せは。真に悟れる非人なりとて。僧は頭を地につけて三度礼したまへは
現代語訳
(シテ詞)さて、卒都婆の功徳とはどのようなものですか。(ワキ)「ひとたび卒都婆を見れば、永く三悪道を離れる」。(シテ)「一念、菩提心を発す」功徳も、それにどうして劣りましょう。(ツレ)菩提心があるなら、なぜ浮世を厭わないのか。(シテ)姿が世を厭うのではなく、心こそ厭うのです。(ワキ)心のない身だからこそ、仏体を知らないのでしょう。(シテ詞)仏体と隔てがないからこそ、卒都婆に近づいたのです。(ツレ)それにしても、なぜ礼もせずに敷いているのか。(シテ)どうせ倒れているこの卒都婆、休むのも功徳ではないでしょうか。(ワキ)それは順縁から外れている。(シテ詞)逆縁でどうしていけないことがありましょう。(ツレ)提婆の悪も、(シテ)観音の慈悲。(ワキ)槃特の愚かさも、(シテ)文殊の智恵。(ツレ)悪というのも善である。(ワキ)煩悩というのも、(シテ)菩提である。(ツレ)「始めて知る、衆生は」(シテ)「本来成仏していることを」。(ワキ)「生死も涅槃も」(シテ)「なお昨夜の夢のようである」。この道理を知ったうえは、何の疑いがあろうかと懇ろに申したので、まことに悟った非人であるとして、僧は頭を地につけて三度礼拝なさった。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷中シテ詞仏体色性の忝きとは宣へ共。是程に文字も見えす。きざめる像ちもなし只朽木とこそ見えたれリーキカヽルたとへ深山の朽木なりとも。飛花落葉の転変は。無情説法明なり。況や仏体にきざめる木。などかしるしなかるへき。上我も賤しき埋木なれども心の花のまだあれば。手向になどかならざらん。扨て仏体たるへき謂はれはいかにツレワキ上夫れ卒都婆は金剛薩埵かりに出化して。三摩耶形を行ひたまふ。シテ詞行ひなせる形はいかに。ワキ上地水火風空。シテ五体五輪は人の体。何しに隔あるへきず。シテ像ちはそれにたかはずとも心功徳は替るへし。
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『驢鞍橋』卷中シテ詞姥古人云ふ心は万境によつて転ず。転処実に能幽也。流に随て性を認得すれは喜もなく亦憂もなしと也。我もさすらへの身なれは。流に随て下り候ふへし村々里々を過き。天王寺に着て候ふ。是れより住吉へと心ざし。阿部野の原に立出ぬ。是に朽木の候ふ。腰をかけてやすまはやと思ひ候ふ。ワキ同はや日も西に山にかたぶきぬ。道を急かうするにて候ふや。是れなる乞食の腰かけたるは。正しく卒都婆にて候ふ。教化してのけうずるにて候ふ。いかに是れなる乞丐人。おことの腰かけたるは。忝くも仏体色性の卒都婆にてはなきかで立ちのきて余の所にやすみ候へ
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『驢鞍橋』卷中又卒都婆小町のワキのサシに、抑も是は高野より出てたる僧と云ふ時は、先づ弘法よ、しかるに我か為めに心も留むる子もなしと云ふは不出来也。なに出家のまた子を持つと云ふことあらんや。又哀やげにと云ふ処にて、右のかげの女とて若きを連れ出したし。又花さきし木はかくれなしと云ふても卒都婆のしるしに成り難し。又逆縁なりと浮ふへしと云ふもよわい言ひ様也。又我は其の時力を得と云ふも悟道の人に似合はぬ云ひ様なり。又歌もでき口にて、意に当らず。
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『驢鞍橋』卷中又のふ物たべのふと狂ひ出るも大なる錯也。なに悟道人の気の違ふと云ふことあらんや。爰を古の狂気の有様学はんて御見せ候へと云つて、さらいゑぼしをめせと仕によせ、アヒの男を出し、さて其の後出てまねに狂ふにしたし。又キリに花を仏に手向つゝ悟の道に入らうよと云ふも、相違した云ひやう也。又凡夫に仕成したり、でかい錯ではをりないか故に我造り直しけるを松平和泉守殿見て、観世左近太夫にみせ、御前能の時分させんと云つて取り給ふ也
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『驢鞍橋』卷中下シテあら苦し目まひや。胸くるしやとかなしみて。一夜をまたで死したりし。深草の少将の。怨念のつきそひて。一度物には狂ひけるろや。下同是を菩提のたねとして。真の道に入りしより。無明深夜の夢さめて。世々の悦ひきはまれり。三界火宅の内を出て。迷悟凡聖一筋に。大道広く行かうよ行かうよ
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『驢鞍橋』卷中蓋し此の事は凡夫地より頓に仏体に同じ。僧問ふ、等覚の菩薩さへ此の事に背く、凡夫何んとしてか相応するや。師云はく、頓に悟る時は、忽ち仏体に相応する也。境界は凡夫なれ共、見処は仏地を見る也、等覚の菩薩は、煩悩尽き境界収りても、未た心開けねは、身は仏体、心は凡夫也。法華に曰く、思いを尽くして共に度量すとも、仏智を測ること能わず。何を以てか思いを尽くして度量する心有る。蓋し信具わらざるのみ。僧問ふ、心を悟らんと思ふも、度量の心と嫌はゝ如何せんや。師云はく、疑を起せと也、疑団は思慮を絶する也。
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