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驢鞍橋 / 卷中

おもかげ小町山はあさきにかくれがの山はあさきにかくれがの。深きや心なるらん、ワキ詞是は高野山より出てたる僧にて候ふ。我此度都にのぼらばやと思ひ候ふ。サシ夫れ前佛は既に去り。後佛は未た世に出てず。夢の中間に生れ來て。何を現と思ふへき。實に受け難き人身を受け。逢ひがたき如來の敎法を學ひて解脫の道に趣くといへ共。幻化を悟るの外はなし。世の中を何にたとへん。朝ぼらけ漕行舟のあとの波。立居空しき旅の空。行くも歸るも夢なれや。さめぬ心を歎くなり同爰彼を打過候へば。津國難波あたりについて候ふ。向ひに見ゆるは淡路島。こなたの磯は住吉の。岸の姫松代々かけて。神さびたる有樣。あら面白の浦のけしきや候ふ。しばらくやすらひ候ふへし。

新字:おもかげ小町山はあさきにかくれがの山はあさきにかくれがの。深きや心なるらん、ワキ詞是は高野山より出てたる僧にて候ふ。我此度都にのぼらばやと思ひ候ふ。サシ夫れ前仏は既に去り。後仏は未た世に出てず。夢の中間に生れ来て。何を現と思ふへき。実に受け難き人身を受け。逢ひがたき如来の教法を学ひて解脱の道に趣くといへ共。幻化を悟るの外はなし。世の中を何にたとへん。朝ぼらけ漕行舟のあとの波。立居空しき旅の空。行くも帰るも夢なれや。さめぬ心を嘆くなり同爰彼を打過候へば。津国難波あたりについて候ふ。向ひに見ゆるは淡路島。こなたの磯は住吉の。岸の姫松代々かけて。神さびたる有様。あら面白の浦のけしきや候ふ。しばらくやすらひ候ふへし。

書き下し

おもかげ小町山はあさきにかくれがの山はあさきにかくれがの。深きや心なるらん、ワキ詞是は高野山より出てたる僧にて候ふ。我此度都にのぼらばやと思ひ候ふ。サシ夫れ前仏は既に去り。後仏は未た世に出てず。夢の中間に生れ来て。何を現と思ふへき。実に受け難き人身を受け。逢ひがたき如来の教法を学ひて解脱の道に趣くといへ共。幻化を悟るの外はなし。世の中を何にたとへん。朝ぼらけ漕行舟のあとの波。立居空しき旅の空。行くも帰るも夢なれや。さめぬ心を嘆くなり同爰彼を打過候へば。津国難波あたりについて候ふ。向ひに見ゆるは淡路島。こなたの磯は住吉の。岸の姫松代々かけて。神さびたる有様。あら面白の浦のけしきや候ふ。しばらくやすらひ候ふへし。

現代語訳

「おもかげ小町」。(次第)山は浅いのに隠れ家の、山は浅いのに隠れ家の、深いのは心であろうか。(ワキ詞)これは高野山から出た僧でございます。このたび都へ上ろうと思います。(サシ)そもそも前の仏はすでに去り、後の仏はまだ世に出ない。その夢のような中間に生まれてきて、何を現実と思えばよいのか。まことに受け難い人の身を受け、逢い難い如来の教えを学んで解脱の道に向かうといっても、幻を悟るほかはない。世の中を何にたとえようか。明け方に漕いで行く舟のあとの波のようなもの。立つも居るも空しい旅の空。行くも帰るも夢であろうか。覚めない心を嘆くのである。(同)あちらこちらを通り過ぎて、摂津の国の難波のあたりに着きました。向こうに見えるのは淡路島、こちらの磯は住吉の、岸の姫松が代々を重ねて神さびた有様。ああ面白い浦の景色だなあ。しばらく休みましょう。

解説

前条で正三が造り直したと語った謡曲の本文と見られるもので、題は「おもかげ小町」となっている。もとの『卒都婆小町』と同じく、高野山の僧が都へ上る道行から始まる。前の仏は去り後の仏はまだ現れない中間の世に生まれ、行くも帰るも夢であると嘆く詞章は、無常を見つめる出家の心をよく表している。正三が批判した子もなしのくだりはここには見えず、僧の嘆きは人生そのもののはかなさに向けられている。仕事に追われる日々の中でも、ふと立ち止まって自分の歩みを見直す時間を持つことを促す一節である。

この章句が説くこと

謡曲無常夢卒都婆小町芸道高野山

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