驢鞍橋 / 卷中
鐵長老來り曰く此比去る和尙の下にて、拂子竪起の話に一僧說破に、嵯峨の釋迦はなんて走ると云ふ、和尙の不審に、急度拂子を立てたは、虚空藏菩薩だずと掛けられたり師聞て曰く、早や体を作り出したり。我は無し無しと云ひたは、しやしやむしやのどんぐるりだぞと掛けんずと也。又曰く、我は一つ說破に、十も二十も掛けんず。御坊主達もせめて一つ說破に十つゝかけて見らるべしと云つて、右の說破に十句の不審を掛けたまふ不審に榎で造つた土地藏。夫は浮世に有る事よ。無しと云ふ意には、天地隔つたず。又夫は上座が巧み立た造りものよ。無し會すや。又瞎漢何を道ふう、西天にも無しと云ふ。此僧にも心頭に病があるう。三十棒あてたいな。又夫はなんだらなんだらのすととんよ。無しと云ふ此の僧には眼があるず。又何の妄語をかなすぞ、眼を醒して無しと云ふ意を知れ。又是れ何う。又扨てこそづりさがつたず。無しと云ふは、石光も及はぬず。又早や有り事に成つたぞ。放下せよ放下せよ又嵯峨の釋迦は知らぬ上座は誰ぞ又無し無し。說破は何の用處ず。
新字:鉄長老来り曰く此比去る和尚の下にて、払子竪起の話に一僧説破に、嵯峨の釈迦はなんて走ると云ふ、和尚の不審に、急度払子を立てたは、虚空蔵菩薩だずと掛けられたり師聞て曰く、早や体を作り出したり。我は無し無しと云ひたは、しやしやむしやのどんぐるりだぞと掛けんずと也。又曰く、我は一つ説破に、十も二十も掛けんず。御坊主達もせめて一つ説破に十つゝかけて見らるべしと云つて、右の説破に十句の不審を掛けたまふ不審に榎で造つた土地蔵。夫は浮世に有る事よ。無しと云ふ意には、天地隔つたず。又夫は上座が巧み立た造りものよ。無し会すや。又瞎漢何を道ふう、西天にも無しと云ふ。此僧にも心頭に病があるう。三十棒あてたいな。又夫はなんだらなんだらのすととんよ。無しと云ふ此の僧には眼があるず。又何の妄語をかなすぞ、眼を醒して無しと云ふ意を知れ。又是れ何う。又扨てこそづりさがつたず。無しと云ふは、石光も及はぬず。又早や有り事に成つたぞ。放下せよ放下せよ又嵯峨の釈迦は知らぬ上座は誰ぞ又無し無し。説破は何の用処ず。
書き下し
鉄長老来り曰く此比去る和尚の下にて、払子竪起の話に一僧説破に、嵯峨の釈迦はなんて走ると云ふ、和尚の不審に、急度払子を立てたは、虚空蔵菩薩だずと掛けられたり師聞て曰く、早や体を作り出したり。我は無し無しと云ひたは、しやしやむしやのどんぐるりだぞと掛けんずと也。又曰く、我は一つ説破に、十も二十も掛けんず。御坊主達もせめて一つ説破に十つゝかけて見らるべしと云つて、右の説破に十句の不審を掛けたまふ不審に榎で造つた土地蔵。夫は浮世に有る事よ。無しと云ふ意には、天地隔つたず。又夫は上座が巧み立た造りものよ。無し会すや。又瞎漢何を道ふう、西天にも無しと云ふ。此僧にも心頭に病があるう。三十棒あてたいな。又夫はなんだらなんだらのすととんよ。無しと云ふ此の僧には眼があるず。又何の妄語をかなすぞ、眼を醒して無しと云ふ意を知れ。又是れ何う。又扨てこそづりさがつたず。無しと云ふは、石光も及はぬず。又早や有り事に成つたぞ。放下せよ放下せよ又嵯峨の釈迦は知らぬ上座は誰ぞ又無し無し。説破は何の用処ず。
現代語訳
鉄長老が来て言った。「近ごろ、ある和尚のもとで、払子を竪てる話について、一人の僧が説破(見解の言い切り)として『嵯峨の釈迦はなぜ走るのか』と言いました。和尚はその不審(問い返し)として、『きっと払子を立てたのは虚空蔵菩薩だぞ』と掛けられました。」師は聞いて言われた。「もう形を作り出してしまった。自分なら、『無し無し』と言ったのは、しゃしゃむしゃのどんぐるり(めちゃくちゃ)だぞ、と掛けよう」と。さらに言われた。「自分は一つの説破に、十も二十も問いを掛けよう。お坊様方も、せめて一つの説破に十ずつ掛けてみられるがよい」と言って、その説破に十句の不審を掛けられた。「榎で造った土地蔵。それは浮世にあることよ。無しと言う意とは、天地ほど隔たったぞ。」「それは上座が巧んで作った造り物よ。無しと会得したか。」「盲者め、何を言うか。西天にも無しと言う。この僧にも心に病がある。三十棒を当てたいな。」「それはなんだらなんだらのすっとんよ。無しと言うこの僧には眼がある。」「何の妄語をするのか。目を覚まして、無しと言う意を知れ。」「これは何か。」「さてこそずり下がったぞ。無しと言うのは、石火の光も及ばない。」「もう有ることになってしまったぞ。放下せよ、放下せよ。」「嵯峨の釈迦は知らない、上座は誰か。」「無し無し。説破に何の用があるか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 伯夷列伝此れに由って之を観れば、怨みたるか、非ざるか。
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『墨子』尚同中曰く、其の正長為ること此くの若し。是の故に出でて誅して勝つ者は、何の故を以てするや。曰く、唯だ尚同を以て政を為す者なり。故に古者、聖王の政を為すこと此くの若し。今、天下の人曰く、「方今の時、天鬼の福、得可きなり。萬民の便利する所にして能く彊めて焉に從事すれば、則ち萬民の親、得可きなり。其の政を為すこと此くの若し。是を以て事を謀り事を舉ぐれば成り、入りて守れば固し。上なる者は天鬼、其の政長為るに厚きこと有り、下なる者は萬民、其の政長為るに便利なること有り」と。天鬼の深く厚くする所にして、彊めて焉に從事すれば、則ち天下の正長、猶お未だ天下に廢せられざるなり。而るに天下の亂るる所以の者は、何の故を以てするや。
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『驢鞍橋』卷中鉄長老曰く去る会下にて点句の話に、海道頸にひつかけて笠くんだり走つたろと説破す。和尚の不審に夫れか雲門の二条半敷の詰籠だずと掛けられければ、此の僧ひしとつまる。其の後老僧、衆寮にてさまざま外して見られけるが、なに其外れずといへり師聞て曰く、我は御辛労お茶参れと外さんずと也。師又別に掛けて曰く、夫れはどこへの行脚だず。自外に曰く、げに忘れ申した、是れより帰り申走、自ら抑して曰く、帰る居処はどこ外に、天の皮の火打袋と云つてかごを扣いたと也。
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『驢鞍橋』卷中雲門転句破にいはく、虚空を鞠にどつど蹴上けたぞ。不審に脚下にぬけたは眼を開け。又虚空を鞠にしたでは無いう。胸のかたまりを蹴上けたう。又瞎漢何を道ふう雲門の意には、電光も通せぬず。又やれ心を留めたず。放下して一句道へ。又扨ても大きに造り立たる鞠哉。蹴上けたは何ものず。又何の妄語をかなす、向はんとすれば背き求めんとすれば白雲万里だぞ。又蹴上けた鞠には落処か有るぞ。落所を道へ又蹴上けたはぬけからよ、作麼生是れ何ぞ。又やれ雲門の意にはづりさがつたう。独達して一句道へ又夫はかため物よ、十方虚空裂破して所を道へ
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『驢鞍橋』卷下又この頃上方にて、不三若き時加様の事に逢ひたることあり、今ならば、彼の和尚をのつけにそらせんものをと云ひ給へば、其座に一人の済家僧有り、誠に是程のことは、誰れも収めんことなりと云ふ時に不三、其儘座中に跳出て、さあ幽霊じや、収め給へ収め給へと有りければ、彼の僧便ち喝す、不三も喝す、便ち打つ、不三も亦打つ、如是二三度すれとも、終に収らず。僧曰く、我収むことを得す、其方収めて看よと云つて、幽霊也と狂ひ出つ、不三曰く其方さへ収得ず、我何として収めんやと云つて取合はず。僧曰く、然るべし、御手前も成るべからずと云つて休みぬ。時に不三好く収りめされたよと云ひ給へば、彼の僧爰に於て大に非を知りぬと承る。此の収め様是なりや。師曰く、中々好き収め様也。不三加様の処云ひ損はぬ人也。今時此の位を云ひ得る人余り有るべからずと也。時に長老有り曰く、誠にそこそこにて救ふ道理尤也。師曰く、乍去云ひ様は少し足らす、我ならば収めんずと云たは虚でおじやる、うそうそと云んずと也。又曰く、かく云つても、うそを知るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る和尚の処に至り給ふ。彼の和尚折節近里の長老衆七八人を集て正宗賛を講釈し給ふ。和尚対話の次に曰く、正三此の長老衆の為めに後生物語し給へ。師曰く、なに禅門が御長老達に後世相談申さんや。和尚曰く、いやうばかかに語るやうに語り給へ、師曰く、さらばの言に付て申すべし。何れもは姥かかに非すと思召すか。耳より取り籠んだることを取りのけ、跡を算用して御覧せよ、惜いも貪いも、憎いも愛いも、うばかゝに替るべからす。只物知りたるうばかと思召すと有りければ、長老大に非を知られたり。
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