驢鞍橋 / 卷中
雲門轉句破にいはく、虛空を鞠にどつど蹴上けたぞ。不審に脚下にぬけたは眼を開け。又虚空を鞠にしたでは無いう。胸のかたまりを蹴上けたう。又瞎漢何を道ふう雲門の意には、電光も通せぬず。又やれ心を留めたず。放下して一句道へ。又扨ても大きに造り立たる鞠哉。蹴上けたは何ものず。又何の妄語をかなす、向はんとすれば背き求めんとすれば白雲萬里だぞ。又蹴上けた鞠には落處か有るぞ。落所を道へ又蹴上けたはぬけからよ、作麼生是れ何ぞ。又やれ雲門の意にはづりさがつたう。獨達して一句道へ又夫はかため物よ、十方虚空裂破して所を道へ
新字:雲門転句破にいはく、虚空を鞠にどつど蹴上けたぞ。不審に脚下にぬけたは眼を開け。又虚空を鞠にしたでは無いう。胸のかたまりを蹴上けたう。又瞎漢何を道ふう雲門の意には、電光も通せぬず。又やれ心を留めたず。放下して一句道へ。又扨ても大きに造り立たる鞠哉。蹴上けたは何ものず。又何の妄語をかなす、向はんとすれば背き求めんとすれば白雲万里だぞ。又蹴上けた鞠には落処か有るぞ。落所を道へ又蹴上けたはぬけからよ、作麼生是れ何ぞ。又やれ雲門の意にはづりさがつたう。独達して一句道へ又夫はかため物よ、十方虚空裂破して所を道へ
書き下し
雲門転句破にいはく、虚空を鞠にどつど蹴上けたぞ。不審に脚下にぬけたは眼を開け。又虚空を鞠にしたでは無いう。胸のかたまりを蹴上けたう。又瞎漢何を道ふう雲門の意には、電光も通せぬず。又やれ心を留めたず。放下して一句道へ。又扨ても大きに造り立たる鞠哉。蹴上けたは何ものず。又何の妄語をかなす、向はんとすれば背き求めんとすれば白雲万里だぞ。又蹴上けた鞠には落処か有るぞ。落所を道へ又蹴上けたはぬけからよ、作麼生是れ何ぞ。又やれ雲門の意にはづりさがつたう。独達して一句道へ又夫はかため物よ、十方虚空裂破して所を道へ
現代語訳
雲門の転句への説破に、「虚空を鞠にしてどっと蹴り上げたぞ」というものがある。これに対する不審(問い返し)に、「足もとに抜けたぞ、目を開け。」また「虚空を鞠にしたのではない。胸のかたまりを蹴り上げたのだ。」また「盲者め、何を言う。雲門の意は、電光も通さない。」また「やれ、心を留めたな。放下して一句言え。」また「さてさて大きく造り立てた鞠だな。蹴り上げたのは何者か。」また「何の妄語をするのか。向かおうとすれば背き、求めようとすれば白雲万里だぞ。」また「蹴り上げた鞠には落ちる所があるはずだ。落ち所を言え。」また「蹴り上げたのは抜け殻よ。さあ、これは何か。」また「やれ、雲門の意からはずり下がったぞ。独り抜け出して一句言え。」また「それは固め物よ。十方の虚空を裂き破って、その所を言え。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷中鉄長老来り曰く此比去る和尚の下にて、払子竪起の話に一僧説破に、嵯峨の釈迦はなんて走ると云ふ、和尚の不審に、急度払子を立てたは、虚空蔵菩薩だずと掛けられたり師聞て曰く、早や体を作り出したり。我は無し無しと云ひたは、しやしやむしやのどんぐるりだぞと掛けんずと也。又曰く、我は一つ説破に、十も二十も掛けんず。御坊主達もせめて一つ説破に十つゝかけて見らるべしと云つて、右の説破に十句の不審を掛けたまふ不審に榎で造つた土地蔵。夫は浮世に有る事よ。無しと云ふ意には、天地隔つたず。又夫は上座が巧み立た造りものよ。無し会すや。又瞎漢何を道ふう、西天にも無しと云ふ。此僧にも心頭に病があるう。三十棒あてたいな。又夫はなんだらなんだらのすととんよ。無しと云ふ此の僧には眼があるず。又何の妄語をかなすぞ、眼を醒して無しと云ふ意を知れ。又是れ何う。又扨てこそづりさがつたず。無しと云ふは、石光も及はぬず。又早や有り事に成つたぞ。放下せよ放下せよ又嵯峨の釈迦は知らぬ上座は誰ぞ又無し無し。説破は何の用処ず。
-
『驢鞍橋』卷中鉄長老曰く去る会下にて点句の話に、海道頸にひつかけて笠くんだり走つたろと説破す。和尚の不審に夫れか雲門の二条半敷の詰籠だずと掛けられければ、此の僧ひしとつまる。其の後老僧、衆寮にてさまざま外して見られけるが、なに其外れずといへり師聞て曰く、我は御辛労お茶参れと外さんずと也。師又別に掛けて曰く、夫れはどこへの行脚だず。自外に曰く、げに忘れ申した、是れより帰り申走、自ら抑して曰く、帰る居処はどこ外に、天の皮の火打袋と云つてかごを扣いたと也。
-
『驢鞍橋』卷中時に人問ふ、心さへ空したらは、何ぞ人残らんや。師曰く、心空したる人が、何とも空せられぬもの也。我も本より法をもたぬ性なるがまだ正三と云ふ腐れ者は空せられぬ也。此に到て何ともならぬ者也。又問ふ、帰源の頌に庵中庵前の物を見ず、水自ら茫々、花自ら紅なりとあり。此意如何。師曰く、此の人の胸の中には何もなし。物を見れば物はかり也。扨て此の人のなりはと云ふに、瓢を提げて市に入り、杖を策いて家に還る。何とも成たが、何とも無い人也。此の十牛に合せて修しをせる抔と云ふ事は、一世二世の修行では及びも無き事なり。□師一時牛の胴より後の方計を書いたは錯也と云つて、慕面に見たるになほし、又引合図勢強く書せ、又埀手の処に市人を書き添えさせ、此の十牛を図計り掛物に仕たまふ一度開板して世に出す。又其後無門と中峯の□像を設け、上に無の話と判語と座右の銘とを書し、十牛図の左右に掛け、諸人に古人の修行の筋を見せ給ふ也。
-
『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り得て起れば、法身の理と相応す。湛として揺がざる処に坐到すれば、浄裸々、赤洒洒として、把るべき没し。便ち身を放ち去って、転位就機することを識り得ず、這裡に向って強いて主宰を立て、法身の辺に滞在す。通身是れ病なり。禅に非ず□□。師衆に向て云はく、禅の意作麼生。
-
『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
-
『碧巌録』第二十七則且く道へ、樹凋み葉落つるは是れ什麼人の境界ぞ。十八問の中、此れ之を辨主問と謂ひ、亦之を借事問と謂ふ。雲門一糸毫も移易せず、只だ他に向かって道ふ、「体露金風」と。答へ得て甚だ妙なり。亦敢へて他の問頭に辜負せず。蓋し他の問処に眼有り、答処も亦端的なるが為なり。古人道ふ、「親切を得んと欲せば、問を将って来たり問ふこと莫れ」と。若し是れ知音底ならば、挙著すれば便ち落処を知る。爾若し雲門の語脈裏に向かって討ねば、便ち錯り了れり。只だ是れ雲門の句中、多く人の情解を惹くことを愛す。若し情解を作して会せば、未だ我が児孫を喪ふことを免れず。雲門は愛して恁麼に賊馬に騎って賊を趁ふ。見ずや、僧問ふ、「如何なるか是れ非思量の処」。門云く、「識情測り難し」。這の僧問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。門云く、「体露金風」。句中妨げず要津を把断して凡聖を通ぜざることを。須らく他の一を挙して三を明らめ、三を挙して一を明らむるを会すべし。爾若し他の三句の中に去って求めば、則ち脳後に箭を抜かん。他の一句の中に須らく三句を具すべし、函蓋乾坤の句、随波逐浪の句、截断衆流の句、自然に恰好なり。雲門の三句の中、且く道へ、那の句を用ひてか人を接する。試みに辨じ看よ。頌に曰く。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る