史記 / 伯夷列伝
由此觀之、怨邪非邪。
新字:由此観之、怨邪非邪。
書き下し
此れに由って之を観れば、怨みたるか、非ざるか。
現代語訳
こうして見てくると、伯夷・叔斉には(世を、あるいは天を)怨む気持ちがあったのか、それともなかったのか。
解説
短い一文ですが、司馬遷があえて読者に「問い」を投げかける転換点です。先の孔子評は「怨みなし」と断じましたが、彼らが遺した餓死寸前の歌には嘆きがにじむ。司馬遷は結論を急がず、「本当にそうか?」と留保します。これはリーダーの思考態度としても重要です。権威や定説(孔子の評)があっても、一次資料(本人の歌)と突き合わせて、自分の頭で問い直す。安易に白黒をつけず、あえて問いのまま保持する知的誠実さが、次の深い考察(第5段)への入口になります。
この章句が説くこと
問い直し批判的思考定説への懐疑知的誠実留保一次情報
関連する章句
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『墨子』尚同中曰く、其の正長為ること此くの若し。是の故に出でて誅して勝つ者は、何の故を以てするや。曰く、唯だ尚同を以て政を為す者なり。故に古者、聖王の政を為すこと此くの若し。今、天下の人曰く、「方今の時、天鬼の福、得可きなり。萬民の便利する所にして能く彊めて焉に從事すれば、則ち萬民の親、得可きなり。其の政を為すこと此くの若し。是を以て事を謀り事を舉ぐれば成り、入りて守れば固し。上なる者は天鬼、其の政長為るに厚きこと有り、下なる者は萬民、其の政長為るに便利なること有り」と。天鬼の深く厚くする所にして、彊めて焉に從事すれば、則ち天下の正長、猶お未だ天下に廢せられざるなり。而るに天下の亂るる所以の者は、何の故を以てするや。
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史記 老子韓非列伝或いは曰く、「老萊子も亦た楚人なり。書十五篇を著し、道家の用を言ふ、孔子と時を同じくす」と。蓋し老子は百有六十余歳、或いは言ふ、二百余歳と、其の道を修めて壽を養ふを以てなり。孔子死して自りの後百二十九年にして、史、周の太史儋の秦の献公に見えて曰くを記す、「始め、秦と周とは合ひ、合ひて五百歳にして離れ、離れて七十歳にして覇王たる者出づ」と。或いは曰く、「儋は即ち老子なり」と。或いは曰く、「非なり」と。世に其の然るか否かを知る莫し。老子は隠君子なり。老子の子の名は宗、宗、魏の将為りて段干に封ぜらる。宗の子は注、注の子は宮、宮の玄孫は假、假、漢の孝文帝に仕ふ。而して假の子解は膠西王卬の太傅と為り、因りて斉に家す。
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言志四録・南洲手抄堯舜文王は、其の遺す所の典謨訓誥、皆以て万世の法と為す可し。何の遺命か之に如かん。成王の顧命、曾子の善言に至つては、賢人の分上自ら当に此の如くなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子泰山の歌、後人仮託之を為れるならん。檀弓の信じ叵きこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を為せり。
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説苑・辨物季桓子井を穿ちて土缶を得たり。中に羊有り。以て孔子に問うに、狗を得たりと言う。孔子曰わく、「吾が聞く所を以てすれば、狗に非ず、乃ち羊なり。木の怪を夔罔両(きもうりょう)と曰い、水の怪を龍罔象(りゅうもうぞう)と曰い、土の怪を墳羊(ふんよう)と曰う、狗に非ざるなり。」桓子曰わく、「善いかな。」
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『驢鞍橋』卷中鉄長老来り曰く此比去る和尚の下にて、払子竪起の話に一僧説破に、嵯峨の釈迦はなんて走ると云ふ、和尚の不審に、急度払子を立てたは、虚空蔵菩薩だずと掛けられたり師聞て曰く、早や体を作り出したり。我は無し無しと云ひたは、しやしやむしやのどんぐるりだぞと掛けんずと也。又曰く、我は一つ説破に、十も二十も掛けんず。御坊主達もせめて一つ説破に十つゝかけて見らるべしと云つて、右の説破に十句の不審を掛けたまふ不審に榎で造つた土地蔵。夫は浮世に有る事よ。無しと云ふ意には、天地隔つたず。又夫は上座が巧み立た造りものよ。無し会すや。又瞎漢何を道ふう、西天にも無しと云ふ。此僧にも心頭に病があるう。三十棒あてたいな。又夫はなんだらなんだらのすととんよ。無しと云ふ此の僧には眼があるず。又何の妄語をかなすぞ、眼を醒して無しと云ふ意を知れ。又是れ何う。又扨てこそづりさがつたず。無しと云ふは、石光も及はぬず。又早や有り事に成つたぞ。放下せよ放下せよ又嵯峨の釈迦は知らぬ上座は誰ぞ又無し無し。説破は何の用処ず。
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葉隠・聞書第二詮議事(せんぎごと)又は世間の話を聞く時も、その理(り)を尤(もっと)もと計(ばか)り思いて、そのあたりにぐどついては立越(たちこ)えたる理が見えず。人が黒きと云わば黒き筈(はず)ではなし、白き筈なり、白き理があるべしと、その事の上に理を附けて、案じて見れば、一段立上りたる理が見ゆるものなり。斯様(かよう)に眼を附けねば、上手(じょうず)取ることにはならず。さてその座にて云うべき理ならば、障(さわ)らぬ様に云うべし。人に越えたる理の見ゆる仕様(しよう)は斯(か)くの如きなり。云われぬ相手ならば、障らぬ様に取合(とりあ)いして心にはその理を見出して置きたるがよし。わる推量、裏廻(うらまわ)り、物疑(ものうたが)いなどとは違い候なり。
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