史記 / 伯夷列伝
由此觀之、怨邪非邪。
新字:由此観之、怨邪非邪。
書き下し
此れに由って之を観れば、怨みたるか、非ざるか。
現代語訳
こうして見てくると、伯夷・叔斉には(世を、あるいは天を)怨む気持ちがあったのか、それともなかったのか。
解説
短い一文ですが、司馬遷があえて読者に「問い」を投げかける転換点です。先の孔子評は「怨みなし」と断じましたが、彼らが遺した餓死寸前の歌には嘆きがにじむ。司馬遷は結論を急がず、「本当にそうか?」と留保します。これはリーダーの思考態度としても重要です。権威や定説(孔子の評)があっても、一次資料(本人の歌)と突き合わせて、自分の頭で問い直す。安易に白黒をつけず、あえて問いのまま保持する知的誠実さが、次の深い考察(第5段)への入口になります。
この章句が説くこと
問い直し批判的思考定説への懐疑知的誠実留保一次情報
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