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驢鞍橋 / 卷中

師衆に問て曰く、或る長者に人問ふ、幽靈には、迷の者成るか悟の者成るか長老曰く、迷の者なる也。悟の人幽靈に成ると云ふ事なし。彼の者曰く、然らは達磨はなせ片岡山に出て玉ふや。但し迷の人なりや。長老無對師代て曰く、幽靈には念が成る也達磨は日本へ法を弘め度き念ある故に、片岡山に出てたまふ。迷の者は迷た念有り。悟の人は悟た念ありと也。

新字:師衆に問て曰く、或る長者に人問ふ、幽霊には、迷の者成るか悟の者成るか長老曰く、迷の者なる也。悟の人幽霊に成ると云ふ事なし。彼の者曰く、然らは達磨はなせ片岡山に出て玉ふや。但し迷の人なりや。長老無対師代て曰く、幽霊には念が成る也達磨は日本へ法を弘め度き念ある故に、片岡山に出てたまふ。迷の者は迷た念有り。悟の人は悟た念ありと也。

書き下し

師衆に問て曰く、或る長者に人問ふ、幽霊には、迷の者成るか悟の者成るか長老曰く、迷の者なる也。悟の人幽霊に成ると云ふ事なし。彼の者曰く、然らは達磨はなせ片岡山に出て玉ふや。但し迷の人なりや。長老無対師代て曰く、幽霊には念が成る也達磨は日本へ法を弘め度き念ある故に、片岡山に出てたまふ。迷の者は迷た念有り。悟の人は悟た念ありと也。

現代語訳

師が衆に問うて言われた。ある長老に人が問うた。「幽霊には、迷いの者がなるのか、悟りの者がなるのか」。長老は言った。「迷いの者がなるのである。悟った人が幽霊になるということはない」。その者は言った。「それならば、達磨はなぜ片岡山に出られたのか。もしや迷いの人なのか」。長老は答えられなかった。師が代わって言われた。「幽霊には念がなるのである。達磨は日本へ法を弘めたいという念があるから、片岡山に出られた。迷いの者には迷った念があり、悟りの人には悟った念がある」と。

解説

片岡山の話は、聖徳太子が片岡山で飢えた人に出会い、のちにそれが達磨の化身だったと語られた伝説による。長老は、迷った者だけが幽霊になると決めつけたために、達磨の例を出されて答えに詰まった。正三は、幽霊になるのは迷いや悟りではなく念そのものだと言い、迷いの念も法を弘めたいという願いの念も、人を動かす力として残ると説いた。善悪の区別より先に、どんな念を強く抱いているかがその人のあり方を決めるということである。自分が日々どんな念を育てているかを見つめ直したい。

この章句が説くこと

念幽霊達磨迷い悟り願い

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