驢鞍橋 / 卷中
師語て曰く、古歌に「聞く時は肝も心も消えはてぬ乘りて冷き火の車哉」と有り。此の歌は定て皆覺えあるべし。此の外十王閻魔倶生神業の秤等慥に道理有り、一々分ち得るや、何れも淨玻璃の鏡を云つて看よ。衆無語。師曰く、人々善惡共に移りて知る。永劫曇らぬ鏡を閻魔王より胸の中に懸けて置かれたりと也。
新字:師語て曰く、古歌に「聞く時は肝も心も消えはてぬ乗りて冷き火の車哉」と有り。此の歌は定て皆覚えあるべし。此の外十王閻魔倶生神業の秤等慥に道理有り、一々分ち得るや、何れも浄玻璃の鏡を云つて看よ。衆無語。師曰く、人々善悪共に移りて知る。永劫曇らぬ鏡を閻魔王より胸の中に懸けて置かれたりと也。
書き下し
師語て曰く、古歌に「聞く時は肝も心も消えはてぬ乗りて冷き火の車哉」と有り。此の歌は定て皆覚えあるべし。此の外十王閻魔倶生神業の秤等慥に道理有り、一々分ち得るや、何れも浄玻璃の鏡を云つて看よ。衆無語。師曰く、人々善悪共に移りて知る。永劫曇らぬ鏡を閻魔王より胸の中に懸けて置かれたりと也。
現代語訳
師が語って言われた。古歌に「聞く時は肝も心も消えはてぬ乗りて冷たき火の車かな」とある。この歌は皆きっと覚えがあるだろう。このほか、十王・閻魔・倶生神・業の秤などにも、確かに道理がある。一つ一つ分けて会得しているか。皆、浄玻璃の鏡を言ってみよ。衆は答えがなかった。師が言われた。人々の善悪はいずれもそこに映って知られる。永劫に曇らぬ鏡を、閻魔王から胸の中に懸けて置かれているのだ、と。
解説
閻魔や浄玻璃の鏡は、生前の行いを映し出す冥界の道具として語られてきた。正三はそれを迷信として退けず、それぞれに確かな道理があると言う。そして浄玻璃の鏡とは、実は一人ひとりの胸の中に懸けられた、決して曇らない鏡だと答えた。誰も見ていなくても、自分のしたことは自分の心がすべて知っているという意味である。人目のないところでの仕事ぶりこそ、この鏡に最もはっきり映ると心得たい。
この章句が説くこと
良心善悪業閻魔浄玻璃地獄
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