驢鞍橋 / 卷中
士問ふ、德は尤も替るべし。去なから我一人の成佛に於ては替り有るへからず。趙州抔さへ古佛と申したる也。師云はく、夫は時の人あがめて喚ひし言也。達磨は元より悟入强き人也。然りといへ共、如來と一枚の佛境界には有るへからす。境界に遙に隔有る事也。今時の人、樣子を知らすして、悟入すれは如來と一枚と思ひ、結句祖師禪とて、如來禪より上なりなとゝ云ふ人有り、扨て扨てそでも無い事也。迦葉阿難を始め佛の小指にも及びたまふへからず。
新字:士問ふ、徳は尤も替るべし。去なから我一人の成仏に於ては替り有るへからず。趙州抔さへ古仏と申したる也。師云はく、夫は時の人あがめて喚ひし言也。達磨は元より悟入強き人也。然りといへ共、如来と一枚の仏境界には有るへからす。境界に遥に隔有る事也。今時の人、様子を知らすして、悟入すれは如来と一枚と思ひ、結句祖師禅とて、如来禅より上なりなとゝ云ふ人有り、扨て扨てそでも無い事也。迦葉阿難を始め仏の小指にも及びたまふへからず。
書き下し
士問ふ、徳は尤も替るべし。去なから我一人の成仏に於ては替り有るへからず。趙州抔さへ古仏と申したる也。師云はく、夫は時の人あがめて喚ひし言也。達磨は元より悟入強き人也。然りといへ共、如来と一枚の仏境界には有るへからす。境界に遥に隔有る事也。今時の人、様子を知らすして、悟入すれは如来と一枚と思ひ、結句祖師禅とて、如来禅より上なりなとゝ云ふ人有り、扨て扨てそでも無い事也。迦葉阿難を始め仏の小指にも及びたまふへからず。
現代語訳
武士が問うた。「徳はもちろん違うでしょう。しかし、自分一人の成仏という点では違いはないはずです。趙州などでさえ古仏と呼ばれたのです」。師は言われた。「それは当時の人があがめて呼んだ言葉である。達磨はもとより悟入の強い人である。そうではあるが、如来と一枚の仏の境界にあるはずはない。境界にははるかな隔たりがあるのだ。今の人は、その様子を知らずに、悟入すれば如来と一枚だと思い、あげくは祖師禅だといって如来禅より上だなどと言う人がいる。まったくとんでもないことである。迦葉や阿難をはじめ、祖師たちは仏の小指にも及ばれるはずがない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・指一本を賊の身に加うることをも許さず罪人を罰するは政府に限りたる権なり、私の職分にあらず。ゆえに私の力にてすでにこの強盗を取り押え、わが手に入りしうえは、平人の身としてこれを殺しこれを打擲すべからざるはもちろん、指一本を賊の身に加うることをも許さず、ただ政府に告げて政府の裁判を待つのみ。もしも賊を取り押えしうえにて、怒りに乗じてこれを殺し、これを打擲することあれば、その罪は無罪の人を殺し、無罪の人を打擲するに異ならず。譬えば某国の律に、「金十円を盗む者はその刑、笞一百、また足をもって人の面を蹴る者もその刑、笞一百」とあり。しかるにここに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取り押えられ、すでに縛られしうえにて、その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、しかるときその国の律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し足をもってその面を蹴りたる罪により笞うたるること一百なるべし。国法の厳なることかくのごとし。人々恐れざるべからず。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒経ニ云。仏言人於世間不犯他人婦女。心不念邪僻。従是得五善。何等五。一者不亡費。二者不畏県官。三者不畏人。四者得上天。天上玉女作婦。五者従天上来下生世間。多端正婦。今尊者見有若干婦端正好色。皆故世宿命不犯他人婦女所致也。見在分明。慎莫犯他人婦女トアル。若邪婬ノ者ハ此ニ反シテ。一ニハ家室和セス。夫婦シハシハ闘ヒ。シハシハ銭財ヲ費ス。二ニ王法ノ疾ム所。県官ノ罰スル所。身罪ニ当リ。死亡ヲ招ク。三ニ自カラ身ヲ欺キ。常ニ人ヲ畏ル。四ニ悪趣ニ入ル。五ニ悪趣ヨリ出テ。タマタマ人中ニ生シテモ。自ラ婬蕩不羈。随意ノ眷属ヲ得ズ。タマタマ有モ柔順ナラス。婦容色ナク。悪性嫉妬ス。設シ女人トナレハ独一主人ナラス。多人共シテ婦トシ。常ニ捶杖ニ遇フトアル。此業果面白キシヤ。天地ミナ分界アリ。万物各各主アル。守レハ此処ニ福智生スル。侵セハ此処ニ罪累起ル。此等ノ事。真正ノ道人ノ世間ニ在テ常ニ咲ヲ含ム処シヤ。
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『碧巌録』第三十六則且く道へ、這の公案、仰山僧に問ふ、近離甚れの処ぞ、僧云く、廬山、仰云く、曾て五老峰に到るや、僧云く、曾て到らず、仰云く、闍黎曾て山に遊ばずと、緇素を辨じ看よ、是れ同か是れ別か。這裏に到りては、須らく是れ機関尽き意識忘じて、山河大地、草芥人畜、些子の滲漏も無かるべし。若し此の如くならずんば、古人之を猶ほ勝妙の境界に在りと謂ふ。見ずや、雲門道ふ、直に山河大地に繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転物と為す。一切の色を見ざるも、始めて是れ半提なり。更に須らく全提の時節、向上の一竅有ることを知りて、始めて穏坐を解すべしと。若し透得せば、依旧として山は是れ山、水は是れ水、各自位に住し、各本体に当たる。大拍盲の人の如くに相似たり。趙州道ふ、鶏鳴丑、愁へて見る起き来りて還た漏逗することを。裙子褊衫箇も也た無く、袈裟の形相些些有り。裩に襠無く袴に口無し、頭上の青灰三五斗。本修行して人を利済せんが為なるに、誰か知らん翻つて不唧𠺕と成らんとは。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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『呻吟語』外篇・人情・爾我の二字今人の骨肉の好の終はらざるは、只だ爾我の二字を看得ること太だ分曉なるが為なり。
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『呻吟語』外篇・治道・公私の二字は宇宙の人鬼關公私の兩字は、是れ宇宙の人鬼關なり。若し朝堂より以て閭裡に至るまで、只だ公の字を把持し得て定まれば、便ち自ら天清く地寧く、政清く訟息む。只だ一個の私の字にて、擾攘して世界を成さず。
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