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学問のすゝめ / 六編・国法の貴きを論ず・指一本を賊の身に加うることをも許さず

罪人を罰するは政府に限りたる権なり、私の職分にあらず。ゆえに私の力にてすでにこの強盗を取り押え、わが手に入りしうえは、平人の身としてこれを殺しこれを打擲すべからざるはもちろん、指一本を賊の身に加うることをも許さず、ただ政府に告げて政府の裁判を待つのみ。もしも賊を取り押えしうえにて、怒りに乗じてこれを殺し、これを打擲することあれば、その罪は無罪の人を殺し、無罪の人を打擲するに異ならず。譬えば某国の律に、「金十円を盗む者はその刑、笞一百、また足をもって人の面を蹴る者もその刑、笞一百」とあり。しかるにここに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取り押えられ、すでに縛られしうえにて、その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、しかるときその国の律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し足をもってその面を蹴りたる罪により笞うたるること一百なるべし。国法の厳なることかくのごとし。人々恐れざるべからず。

書き下し

罪人を罰するは政府に限りたる権なり、私の職分にあらず。ゆえに私の力にてすでにこの強盗を取り押え、わが手に入りしうえは、平人の身としてこれを殺しこれを打擲すべからざるはもちろん、指一本を賊の身に加うることをも許さず、ただ政府に告げて政府の裁判を待つのみ。もしも賊を取り押えしうえにて、怒りに乗じてこれを殺し、これを打擲することあれば、その罪は無罪の人を殺し、無罪の人を打擲するに異ならず。譬えば某国の律に、「金十円を盗む者はその刑、笞一百、また足をもって人の面を蹴る者もその刑、笞一百」とあり。しかるにここに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取り押えられ、すでに縛られしうえにて、その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、しかるときその国の律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し足をもってその面を蹴りたる罪により笞うたるること一百なるべし。国法の厳なることかくのごとし。人々恐れざるべからず。

現代語訳

罪人を罰するのは政府に限られた権限であり、民間の職分ではありません。ですから自分の力でこの強盗を取り押さえ、自分の手に入れた上は、一般人の身としてこれを殺したり打ったりできないのはもちろん、指一本を賊の体に加えることさえ許されず、ただ政府に告げて政府の裁判を待つだけです。もし賊を取り押さえた上で、怒りに任せてこれを殺し、これを打つことがあれば、その罪は無罪の人を殺し、無罪の人を打つのと変わりません。たとえばある国の法律に、金十円を盗む者はその刑は笞百、また足で人の顔を蹴る者もその刑は笞百、とあります。ところがここに盗賊がいて、人の家に入り金十円を盗んで出ようとするとき、主人に取り押さえられ、すでに縛られた上で、その主人がなおも怒りに任せて足で賊の顔を蹴ったとします。そのときその国の法律で論じれば、賊は金十円を盗んだ罪で笞百を受け、主人もまた一般人の身で勝手に賊の罪を裁決し、足でその顔を蹴った罪により笞百を受けるはずです。国法の厳しさはこの通りです。人々は恐れなければなりません。

解説

前段の区別が、はっきりした線として引かれます。取り押さえた瞬間に防衛は終わり、そこから先は指一本も許されない。縛られた賊はもはや無罪の人と同じ扱いだ、という言い方が明快です。そして十円の窃盗と顔を蹴る行為が同じ笞百になる例が挙がる。盗まれた側が同じ罰を受けるという結末が、私裁の禁止を感情ではなく計算として示しています。怒りに任せた一撃が自分を罪人にするという実感が残ります。

この章句が説くこと

境界防衛終了私裁刑罰

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