驢鞍橋 / 卷中
師云はく、中々聞えたり、何れも隨逐を云つて看よ。一僧云ふ、善を求るに仍て必す惡か來る也。師云はく、禍を嫌ひ福計を求る者の爲めには、御悅の次は、必す御笑止也とも敎化すべし。去りなから隨逐と云ふは別也。善と云ふは、惡に對して善也。善計り善と云ふ名なし。有と云ふは、無に對して有也。有はかり有と云ふ事なし。苦樂も如是。然れば有と云へは、無はそこに着てあり。善と云へは、惡は自ら着て居る也。少しも離れて一つ立つ理なし。ひしと隨逐して居ると也。
新字:師云はく、中々聞えたり、何れも随逐を云つて看よ。一僧云ふ、善を求るに仍て必す悪か来る也。師云はく、禍を嫌ひ福計を求る者の為めには、御悦の次は、必す御笑止也とも教化すべし。去りなから随逐と云ふは別也。善と云ふは、悪に対して善也。善計り善と云ふ名なし。有と云ふは、無に対して有也。有はかり有と云ふ事なし。苦楽も如是。然れば有と云へは、無はそこに着てあり。善と云へは、悪は自ら着て居る也。少しも離れて一つ立つ理なし。ひしと随逐して居ると也。
書き下し
師云はく、中々聞えたり、何れも随逐を云つて看よ。一僧云ふ、善を求るに仍て必す悪か来る也。師云はく、禍を嫌ひ福計を求る者の為めには、御悦の次は、必す御笑止也とも教化すべし。去りなから随逐と云ふは別也。善と云ふは、悪に対して善也。善計り善と云ふ名なし。有と云ふは、無に対して有也。有はかり有と云ふ事なし。苦楽も如是。然れば有と云へは、無はそこに着てあり。善と云へは、悪は自ら着て居る也。少しも離れて一つ立つ理なし。ひしと随逐して居ると也。
現代語訳
師は言われた。「なかなかよくわかった。では皆、『随逐』ということを言ってみよ」。ある僧が言った。「善を求めるから、必ず悪がやって来るのです」。師は言われた。「禍を嫌い福ばかりを求める者のためには、『お喜びの次には必ずお気の毒なことがある』とでも教えるがよい。しかし随逐というのは別のことだ。善というのは悪に対して善なのである。善だけで善という名はない。有というのは無に対して有なのである。有だけで有ということはない。苦と楽もこのとおりである。だから有と言えば、無はそこに付いている。善と言えば、悪は自然に付いている。少しも離れて一つだけで立つ道理はない。ぴたりと付き従っているのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・惡を為すに勉強無く、善を為すに自然無し惡を為すには再び個の勉強底沒く、善を為すには再び個の自然底沒し。學者此の念頭を勘破せば、寧ぞ愧ぢ奮はざらんや。
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『呻吟語』外篇・人情・死亡の時人を欺き得ず人己の善を說けば則ち喜び、人己の過ちを說けば則ち怒る。自家の善惡は自家真に知る。禍敗の時を待たば人を欺き得ず。人體の實を說けば則ち喜び、人體の虛を說けば則ち怒る。自家の病痛は自家獨り覺ゆ。死亡の時に到らば人を欺き得ず。
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『呻吟語』内篇・修身・寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず善なる者は必ずしも福ならず、惡なる者は必ずしも禍ならず。君子は稔に之を知る。寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず。忠直なる者は窮し、諛佞なる者は通ず。君子は稔に之を知る。寧ろ窮するも佞を為すを肯んぜず。但だ理に當然有るを知るのみに非ず、亦た其の心に已む容からざる所有るのみ。
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『正法眼蔵随聞記』巻四文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
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『呻吟語』外篇・人情・鬼神に罪を得る者人の善を聞きて之を掩覆し、或いは文致して以て其の心を誣ふ。人の過ちを聞きて之を播揚し、或いは枝葉して以て其の罪を多くす。此れ皆な鬼神に罪を得る者なり。吾が黨之を戒めよ。
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