驢鞍橋 / 卷中
無所求行者。世人長迷。處々貪着。名之爲求。智者悟眞。理將俗返。安心無爲。形隨運轉。萬有斯空。無所願樂。功德黑暗。常相隨逐云云。師云はく、誰そ功德黒暗の來由を知るや。一僧云ふ、是れ經文也。或家に一の妻女來る、亭主見て何人そと問ふ。女云ふ、我は功德天と云ふ者也。吾か居る處は、七珍萬寳充滿すと云ふ。亭主大に悅て是れを留む。跡より又惡女一人來る、亭主何人ぞと問ふ。女云ふ、我は黑暗女と云ふ者なり。吾か居る處は七里迄枯るゝと云ふ。主驚き急き歸れと責む。女云ふ、我を歸さば、彼の功德天も歸る也、彼の行く處へは吾も徃く也。兄弟なれは、隨逐して少しもはなれずと云ふ。主力なく二人供に歸すと也。
新字:無所求行者。世人長迷。処々貪着。名之為求。智者悟真。理将俗返。安心無為。形随運転。万有斯空。無所願楽。功徳黒暗。常相随逐云云。師云はく、誰そ功徳黒暗の来由を知るや。一僧云ふ、是れ経文也。或家に一の妻女来る、亭主見て何人そと問ふ。女云ふ、我は功徳天と云ふ者也。吾か居る処は、七珍万宝充満すと云ふ。亭主大に悦て是れを留む。跡より又悪女一人来る、亭主何人ぞと問ふ。女云ふ、我は黒暗女と云ふ者なり。吾か居る処は七里迄枯るゝと云ふ。主驚き急き帰れと責む。女云ふ、我を帰さば、彼の功徳天も帰る也、彼の行く処へは吾も往く也。兄弟なれは、随逐して少しもはなれずと云ふ。主力なく二人供に帰すと也。
書き下し
無所求行とは、世人長く迷ひて、処々に貪着す、之を名づけて求と為す。智者は真を悟りて、理俗と反す。心を無為に安んじ、形は運に随ひて転ず。万有斯れ空なり、願楽する所無し。功徳黒暗、常に相随逐す云云。師云はく、誰そ功徳黒暗の来由を知るや。一僧云ふ、是れ経文也。或家に一の妻女来る、亭主見て何人そと問ふ。女云ふ、我は功徳天と云ふ者也。吾か居る処は、七珍万宝充満すと云ふ。亭主大に悦て是れを留む。跡より又悪女一人来る、亭主何人ぞと問ふ。女云ふ、我は黒暗女と云ふ者なり。吾か居る処は七里迄枯るゝと云ふ。主驚き急き帰れと責む。女云ふ、我を帰さば、彼の功徳天も帰る也、彼の行く処へは吾も往く也。兄弟なれは、随逐して少しもはなれずと云ふ。主力なく二人供に帰すと也。
現代語訳
「無所求行(求めるところのない行)とは何か。世の人は長く迷い、あちこちで貪り執着する。これを求めと名づける。智者は真実を悟り、その道理は世俗と逆になる。心を無為に安んじ、身は巡り合わせに任せて動く。あらゆるものは空であり、願い求めるものはない。功徳天と黒闇天はいつも連れ立って離れない」。師は言われた。「誰か、功徳天と黒闇天の由来を知っているか」。ある僧が言った。「これは経文にあります。ある家に一人の女がやって来た。主人が見て『どなたか』と問うと、女は『私は功徳天という者です。私のいる所には七つの宝や万の宝が満ちあふれます』と言った。主人は大いに喜んで引き留めた。後からまた醜い女が一人やって来た。主人が『どなたか』と問うと、女は『私は黒闇女という者です。私のいる所は七里先まで枯れてしまいます』と言った。主人は驚いて急いで帰れと責めた。女は言った。『私を帰せば、あの功徳天も帰ります。あの人の行く所へは私も行くのです。姉妹ですから、いつも付き従って少しも離れません』。主人は仕方なく二人とも帰したということです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中師云はく、中々聞えたり、何れも随逐を云つて看よ。一僧云ふ、善を求るに仍て必す悪か来る也。師云はく、禍を嫌ひ福計を求る者の為めには、御悦の次は、必す御笑止也とも教化すべし。去りなから随逐と云ふは別也。善と云ふは、悪に対して善也。善計り善と云ふ名なし。有と云ふは、無に対して有也。有はかり有と云ふ事なし。苦楽も如是。然れば有と云へは、無はそこに着てあり。善と云へは、悪は自ら着て居る也。少しも離れて一つ立つ理なし。ひしと随逐して居ると也。
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『正法眼蔵随聞記』巻二因に問て云く、学人若し自己これ仏法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向来の修行参学を放下して、本性に任せて善悪の業をなして、一期を過さん、此の見解いかん、示して云く、此の見解、言と理と相違せり、外に向て求むべからずと云て、行を捨て学を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり、これ覓めざるにはあらず、只行学もとより仏法なりと證して、無所求にして、世事悪業等は我が心になしたくともなさず、学道修行の懶うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、道成するも、果を得るも、我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向て覓むることなかれと云ふ道理にはかなふべけれ、
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『十善法語』巻第九・不瞋恚戒迷ハハ迷ヘ。此迷元来根帯ナシ。覚ラハ覚レ。菩提ハ是空ノ義シヤ。真正道人ノ世ニ在コト虚空ノ如クシヤ。九天ハ空中ニ在テ靉靆弥布スル。大地ハ空中ニ在テ墜堕セヌ。元来虚空ニ上下ハナキシヤ。倒世界ノ人間モ。井中ニ水ヲ汲ハ。力ヲ労シテ水ヲ得ル。空中ニ雨露ヲフセクハ屋ヲ覆フテ居住スルシヤ。此縁アリテ此世ニ生スル万般唯縁由ノ差排シヤ。世事ノ思フママナラヌ処ニ。面白キコトアルシヤ。此縁アリテ此苦楽ヲ生スル。一切唯迷情ノ差排シヤ。我身ノ思フ儘ナラヌ処ニ。面白キコトアルシヤ。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る女人来り曰く、我志は少し候へども、無智なるに仍て修行成し得すと云ふ。示して曰く、扨ても能き性哉、後世を願ふには、只土が好き也。智恵才覚も入らす、知つたほどのことは皆怨也。只一切の上に於て、我を捨て習ふこと一つ也。因に云ふ爰に去る女人有り、無智とこそ云へ、中々土な性なりけるが、我物語を聞き頓て真実起りたり。扨ても拙なき女人と成り、様々の悪念を胸に持て居ること哉。頓て死すべきが、此の念を離れず、此の儘死すべきかと思ふより、心切に成り、昼夜勤められければ、ひしと死苦に責め詰められ、大事一片と成り、姥共を集め、高念仏抔申し、万事を打忘て居る不思議の女仏法者有り、結句土の性が思付て好き也。其方も勢を出されよと也。
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『臨済録』示衆道流、有る一般の禿子は便ち裏許に向かって功を著け、出世の法を求めんと擬す。錯り了れり。若し人佛を求めば、是の人佛を失ふ。若し人道を求めば、是の人道を失ふ。若し人祖を求めば、是の人祖を失ふ。大德錯る莫かれ。我れ且く爾が經論を解するを取らず、我れ亦た爾が國王大臣なるを取らず、我れ亦た爾が辯の懸河に似たるを取らず、我れ亦た爾が聰明智慧を取らず、唯だ爾が真正の見解を要す。道流、設ひ百本の經論を解し得るも、一箇の無事底の阿師に如かず。爾解し得れば、即ち他人を輕蔑し、勝負は修羅、人我は無明にして、地獄の業を長ず。善星比丘の十二分教を解して、生身にして地獄に陷り、大地容れざるが如し。無事にして休歇し去るに如かず。飢ゑ來れば飯を喫し、睡り來れば眼を合はす。愚人は我を笑ふも、智は乃ち焉れを知る。道流、文字の中に向かって求むる莫かれ。心動き疲勞し、冷氣を吸ふも益無し。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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