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驢鞍橋 / 卷中

又曰。云何報寃行。謂修道行人若受苦時。當自念言我從徃昔無數劫中棄本從末流浪諸有多起寃憎。違害無限。今雖無犯。是我宿殃惡業果熟。非天非人所能見與。甘心忍受。都無寃訴。經曰。逢苦不憂。何以故。識達故。此心生時。與理相應。體寃進道故說言報寃行。師問衆云はく、此の段一口に云つて看よ。衆無語。師便ち云はく、借錢ばらい也。又曰く、何たる苦を受る共、是れ過去の借錢をなして隙明ると思はゝ、却て喜びなるべし。何んの苦みか有らんやと也。

新字:又曰。云何報冤行。謂修道行人若受苦時。当自念言我従往昔無数劫中棄本従末流浪諸有多起冤憎。違害無限。今雖無犯。是我宿殃悪業果熟。非天非人所能見与。甘心忍受。都無冤訴。経曰。逢苦不憂。何以故。識達故。此心生時。与理相応。体冤進道故説言報冤行。師問衆云はく、此の段一口に云つて看よ。衆無語。師便ち云はく、借銭ばらい也。又曰く、何たる苦を受る共、是れ過去の借銭をなして隙明ると思はゝ、却て喜びなるべし。何んの苦みか有らんやと也。

書き下し

又曰く。云何なるか報寃行。謂く修道の行人若し苦を受くる時、当に自ら念じて言ふべし、我往昔無数劫の中より、本を棄てて末に従ひ、諸有に流浪して、多く寃憎を起し、違害限り無し。今は犯すこと無しと雖も、是れ我が宿殃、悪業の果熟するなり。天人の能く見与する所に非ず。甘心して忍受し、都て寃訴すること無し。経に曰く。苦に逢ひて憂へず。何を以ての故に。識達するが故に。此の心生ずる時、理と相応し、寃を体して道に進む、故に説いて報寃行と言ふ。師衆に問て云はく、此の段一口に云つて看よ。衆語無し。師便ち云はく、借銭ばらい也。又曰く、何たる苦を受る共、是れ過去の借銭をなして隙明ると思はゝ、却て喜びなるべし。何んの苦みか有らんやと也。

現代語訳

また言う。「報寃行(怨みに報いる行)とは何か。修行者がもし苦しみを受けたときには、自らこう思うべきである。私は遠い昔から数えきれない劫の間、根本を捨てて末節に従い、さまざまな生存の世界を流浪して、多くの怨みや憎しみを起こし、人を傷つけることは限りがなかった。今は罪を犯していなくても、これは私の過去の災いであり、悪業の果が熟したのである。天が与えたのでも人が与えたのでもない。甘んじて耐え忍び、少しも怨み訴えることはない。経にも『苦に逢って憂えない。なぜか。道理に通じているからである』とある。この心が起こるとき、理と相応し、怨みを身に受けて道に進む。だから報寃行と言うのである」。師は僧たちに問われた。「この段を一言で言ってみよ」。僧たちは何も言わなかった。師は言われた。「借金払いである」。また言われた。「どんな苦しみを受けても、これは過去の借金を返して身が軽くなるのだと思えば、かえって喜びとなるだろう。何の苦しみがあろうか」。

解説

これも『少室六門集』の二入四行のうち、行入の第一「報怨行」を説いた一節である。苦しみに遭ったとき、それを過去の自分の行いの結果と受け止め、誰も怨まずに耐え忍べと説く。正三はこの長い段を一言で「借銭払い」と言い切った。苦しみは過去の借金を返していることであり、返せば身が軽くなるのだから、かえって喜ぶべきだというのである。理不尽に思える苦境を他人のせいにせず、自分の過去の清算として引き受ける見方は、仕事の困難に向き合う心の支えにもなる。

この章句が説くこと

苦忍耐業報怨借金因果

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