盲安杖 / 第六条・止まる所を離れて德ある事
止まる所を離れて德ある事を知れ。皆そこ〱に止りて前後闇ふして德なし。渡世の營みも人の上を見る時は。小利大損なる事多し。然れども身の上を知る人少し。小を捨て大に着かん事と思はゞ。止る所に心を着て見よ。離れは必ず德を受くべし。譬へは碁の上手は盤中ゟ目をくばり。前後を分別して。十の石を捨て十一に着くを見よ。下手は更に目見えずして。一石を吝み盤中の死するを知らず。余所へ心そをくばる事叶はず。されは愚人の行ひ亦是に異らず。先づ盲目は心まで闇うして。盲目の間を離れず。盲目に優ん事斗りを願て。長く黑闇に陷り。女は亦女の間に住して。我執深く恨みそねむ有樣。愚痴なりとは見れども。何れの人も此の如し。大は大につき小は小につき。其節々を離れず。士民百姓はわづか一村二村の間に心を止めて。身上を比べ分別を諍ひて離れず。侍は亦侍の間に住で。わづかかの己が友五十人百人の間を離れずして。其れもわく肝要とぢて。身上を比べ分別諍ひて。怨みそねむ心あり。出家は亦出家の間に止て。智惠を諍ひ住持を望で。遂に出離を知らず。其外人間の有樣その品異りと雖。迷ふ心は一なり。色を見て着し。聲を聞て愛執の思を成そ。色よく油つきたる人。その肉腐て蛆と成る。其骨恐ろしき形なり。其心鬼畜の如し。何れの所に執心せんや。素より女の性ひがめり。貪欲甚しく人我の相深く。迷の方へ誘れて是非を知らず。口は利根にして心淺し。彼に從ふ時は輪廻の業となり。背く時は怨敵と成る。兎にも角にも拙きものと知りて。己れを愼て惑ふ事なかれ。斯云ふとて女を捨てよとには非ず。色に着して恥を顯はす事なかれとなり。女人は是諸佛の母全く誹るべからず。我が僻事を改むべし。夫れ愚人の心は更に人道に住む事適はず。多くは唯餓鬼畜生を住家として。縁に逢ふ時は修羅地獄に入て片時も休む事なし。富て足れりと雖是を悅て離るゝ事を辨へず。假にも誠の理を聞ては。恐れ嘲りて罵る淺間敷に非ずや。明かに此理を知りてそ〱と離れて。立上り自由なる身と成るべし。片時も止る事なかれ。歌にいづくにも心とまらば住みかへよながらへはまた元の古さと。此所にも止まらず彼所ゟも止まらず。離れ〱て落ち所を知れ。古語に曰く千峰勢到岳邊盡万波聲皈海上消。
新字:止まる所を離れて徳ある事を知れ。皆そこ〱に止りて前後闇ふして徳なし。渡世の営みも人の上を見る時は。小利大損なる事多し。然れども身の上を知る人少し。小を捨て大に着かん事と思はゞ。止る所に心を着て見よ。離れは必ず徳を受くべし。譬へは碁の上手は盤中ゟ目をくばり。前後を分別して。十の石を捨て十一に着くを見よ。下手は更に目見えずして。一石を吝み盤中の死するを知らず。余所へ心そをくばる事叶はず。されは愚人の行ひ亦是に異らず。先づ盲目は心まで闇うして。盲目の間を離れず。盲目に優ん事斗りを願て。長く黒闇に陥り。女は亦女の間に住して。我執深く恨みそねむ有様。愚痴なりとは見れども。何れの人も此の如し。大は大につき小は小につき。其節々を離れず。士民百姓はわづか一村二村の間に心を止めて。身上を比べ分別を諍ひて離れず。侍は亦侍の間に住で。わづかかの己が友五十人百人の間を離れずして。其れもわく肝要とぢて。身上を比べ分別諍ひて。怨みそねむ心あり。出家は亦出家の間に止て。智恵を諍ひ住持を望で。遂に出離を知らず。其外人間の有様その品異りと雖。迷ふ心は一なり。色を見て着し。声を聞て愛執の思を成そ。色よく油つきたる人。その肉腐て蛆と成る。其骨恐ろしき形なり。其心鬼畜の如し。何れの所に執心せんや。素より女の性ひがめり。貪欲甚しく人我の相深く。迷の方へ誘れて是非を知らず。口は利根にして心浅し。彼に従ふ時は輪廻の業となり。背く時は怨敵と成る。兎にも角にも拙きものと知りて。己れを慎て惑ふ事なかれ。斯云ふとて女を捨てよとには非ず。色に着して恥を顕はす事なかれとなり。女人は是諸仏の母全く誹るべからず。我が僻事を改むべし。夫れ愚人の心は更に人道に住む事適はず。多くは唯餓鬼畜生を住家として。縁に逢ふ時は修羅地獄に入て片時も休む事なし。富て足れりと雖是を悦て離るゝ事を弁へず。仮にも誠の理を聞ては。恐れ嘲りて罵る浅間敷に非ずや。明かに此理を知りてそ〱と離れて。立上り自由なる身と成るべし。片時も止る事なかれ。歌にいづくにも心とまらば住みかへよながらへはまた元の古さと。此所にも止まらず彼所ゟも止まらず。離れ〱て落ち所を知れ。古語に曰く千峰勢到岳辺尽万波声皈海上消。
書き下し
止まる所を離れて徳ある事を知れ。皆そこ〱に止りて前後闇ふして徳なし。渡世の営みも人の上を見る時は。小利大損なる事多し。然れども身の上を知る人少し。小を捨て大に着かん事と思はゞ。止る所に心を着て見よ。離れは必ず徳を受くべし。譬へは碁の上手は盤中より目をくばり。前後を分別して。十の石を捨て十一に着くを見よ。下手は更に目見えずして。一石を吝み盤中の死するを知らず。余所へ心そをくばる事叶はず。されは愚人の行ひ亦是に異らず。先づ盲目は心まで闇うして。盲目の間を離れず。盲目に優ん事斗りを願て。長く黒闇に陥り。女は亦女の間に住して。我執深く恨みそねむ有様。愚痴なりとは見れども。何れの人も此の如し。大は大につき小は小につき。其節々を離れず。士民百姓はわづか一村二村の間に心を止めて。身上を比べ分別を諍ひて離れず。侍は亦侍の間に住で。わづかかの己が友五十人百人の間を離れずして。其れもわく肝要とぢて。身上を比べ分別諍ひて。怨みそねむ心あり。出家は亦出家の間に止て。智恵を諍ひ住持を望で。遂に出離を知らず。其外人間の有様その品異りと雖。迷ふ心は一なり。色を見て着し。声を聞て愛執の思を成そ。色よく油つきたる人。その肉腐て蛆と成る。其骨恐ろしき形なり。其心鬼畜の如し。何れの所に執心せんや。素より女の性ひがめり。貪欲甚しく人我の相深く。迷の方へ誘れて是非を知らず。口は利根にして心浅し。彼に従ふ時は輪廻の業となり。背く時は怨敵と成る。兎にも角にも拙きものと知りて。己れを慎て惑ふ事なかれ。斯云ふとて女を捨てよとには非ず。色に着して恥を顕はす事なかれとなり。女人は是諸仏の母全く誹るべからず。我が僻事を改むべし。夫れ愚人の心は更に人道に住む事適はず。多くは唯餓鬼畜生を住家として。縁に逢ふ時は修羅地獄に入て片時も休む事なし。富て足れりと雖是を悦て離るゝ事を弁へず。仮にも誠の理を聞ては。恐れ嘲りて罵る浅間敷に非ずや。明かに此理を知りてそ〱と離れて。立上り自由なる身と成るべし。片時も止る事なかれ。歌にいづくにも心とまらば住みかへよながらへはまた元の古さと。此所にも止まらず彼所よりも止まらず。離れ〱て落ち所を知れ。古語に曰く千峰勢到岳辺尽万波声皈海上消。
現代語訳
止まる所を離れることに徳があると知りなさい。人はみなそれぞれの所に止まって、前後が闇であり、徳がありません。世渡りの営みも、他人の身の上を見るときは、小さな利益のために大損をしていることが多いと分かります。けれども自分の身の上のこととなると知る人は少ないのです。小さなものを捨てて大きなものに就こうと思うなら、止まっている所に心をつけて見なさい。離れれば必ず徳を受けます。たとえば碁の上手は盤全体に目を配り、前後を考えて、十の石を捨てて十一の石に着くのを見なさい。下手はまったく目が見えず、一石を惜しんで盤中の石が死ぬのを知らず、ほかへ心を配ることができません。愚か者の行いもこれと同じです。まず盲人は心まで闇で、盲人同士の間を離れず、盲人にまさることだけを願って、長く暗闇に落ちています。女もまた女同士の間に住んで、我執深く恨み、ねたむ有様は、愚かだと見えますが、どの人もこのようです。大きい者は大きいところに、小さい者は小さいところに付いて、その節々を離れません。士・民・百姓はわずか一村二村の間に心を止めて、身上を比べ、分別を争って離れません。侍もまた侍同士の間に住み、わずか自分の友五十人百人の間を離れず、それをまた肝要と閉じこもって、身上を比べ、分別を争い、恨み、ねたむ心があります。出家もまた出家の間に止まって、知恵を争い、住持の位を望んで、ついに出離を知りません。そのほか人間の有様は種類が異なるといっても、迷う心は一つです。色を見て執着し、声を聞いて愛着の思いを起こします。顔色がよく油の乗った人も、その肉が腐れば蛆になり、その骨は恐ろしい形です。その心は鬼や畜生のようです。どこに執着するというのでしょうか。もとより女の性質はひがんでいて、貪欲がひどく、人我の相が深く、迷いの方へ誘われて是非を知りません。口は利発でも心は浅いのです。彼女に従えば輪廻の業となり、背けば怨敵となります。いずれにしても拙いものと知って、自分をつつしんで惑ってはなりません。こう言うからといって女を捨てよというのではありません。色に執着して恥をさらしてはならないということです。女人は諸仏の母であって、決して謗ってはなりません。自分の誤りを改めなさい。そもそも愚かな人の心は人の道に住むことができません。多くはただ餓鬼・畜生を住み家とし、縁に出会えば修羅・地獄に入って、片時も休むことがありません。富んで満ち足りていても、それを喜んで離れることを知りません。かりそめにも真実の理を聞けば、恐れ、嘲って罵るのは、あさましいことではないでしょうか。明らかにこの理を知ってさっさと離れ、立ち上がって自由な身となりなさい。片時も止まってはなりません。歌に「いづくにも心とまらば住みかへよながらへはてはまた元の古さと」とあります(どこであっても心が止まったら住み替えなさい。そうしても長い目で見れば元の古巣に戻る)。ここにも止まらず、あそこにも止まらず、離れ離れて落ち着く所を知りなさい。古語に「千峰の勢いは岳辺に尽き、万波の声は海上に消える」とあります。
解説
この章句が説くこと
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