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驢鞍橋 / 卷中

雲門示衆云。世尊生下。一手指天。一手指地。七步周行云。天上天下唯我獨尊昔日我若在。一棒打殺與狗子喫却。師向衆云はく、此の棒は佛に當たか、誰に當たぞ、各云ふて看よ。一僧云ふ、心佛を知らす。有相の佛に着する者に當る也。一僧云ふ、佛は是れ大平の好賊なる間佛に當た也。師云はく、如是心得て佛に棒を當て來る人多し。誠に罰を蒙るへき事也。雲門の衆に示すは、大衆にひよつと悟らせんための大用也。丹霞燒佛、南泉斬猫抔一意也。尊ひ居る處に一棒に打殺して、犬に喰せんものをといはれて、其時の大衆の心は、如何あらんと思ふやと也。

新字:雲門示衆云。世尊生下。一手指天。一手指地。七歩周行云。天上天下唯我独尊昔日我若在。一棒打殺与狗子喫却。師向衆云はく、此の棒は仏に当たか、誰に当たぞ、各云ふて看よ。一僧云ふ、心仏を知らす。有相の仏に着する者に当る也。一僧云ふ、仏は是れ大平の好賊なる間仏に当た也。師云はく、如是心得て仏に棒を当て来る人多し。誠に罰を蒙るへき事也。雲門の衆に示すは、大衆にひよつと悟らせんための大用也。丹霞焼仏、南泉斬猫抔一意也。尊ひ居る処に一棒に打殺して、犬に喰せんものをといはれて、其時の大衆の心は、如何あらんと思ふやと也。

書き下し

雲門衆に示して云く。世尊生下して、一手は天を指し、一手は地を指し、七歩周行して云く。天上天下唯我独尊。昔日我若し在らば、一棒に打殺して狗子に与へて喫却せしめん。師衆に向て云はく、此の棒は仏に当たか、誰に当たぞ、各云ふて看よ。一僧云ふ、心仏を知らす。有相の仏に着する者に当る也。一僧云ふ、仏は是れ大平の好賊なる間仏に当た也。師云はく、如是心得て仏に棒を当て来る人多し。誠に罰を蒙るへき事也。雲門の衆に示すは、大衆にひよつと悟らせんための大用也。丹霞焼仏、南泉斬猫抔一意也。尊ひ居る処に一棒に打殺して、犬に喰せんものをといはれて、其時の大衆の心は、如何あらんと思ふやと也。

現代語訳

雲門が僧たちに示して言った。「世尊は生まれるとすぐ、片手で天を指し、片手で地を指し、七歩歩いて『天上天下唯我独尊』と言った。その時もし私がそこにいたら、一棒で打ち殺して犬に食わせてやったものを」。師は僧たちに向かって言われた。「この棒は仏に当たったのか、誰に当たったのか。めいめい言ってみよ」。ある僧は「心の仏を知らず、形ある仏に執着する者に当たるのです」と言った。別の僧は「仏は太平の世を乱す見事な盗賊ですから、仏に当たったのです」と言った。師は言われた。「そう心得て仏に棒を当ててくる人が多い。まことに罰を受けるべきことだ。雲門が僧たちに示したのは、大衆にふっと悟らせるための大きな働きである。丹霞が仏像を焼いたこと、南泉が猫を斬ったことなどと同じ意である。尊んでいるところへ『一棒で打ち殺して犬に食わせてやったものを』と言われて、その時の大衆の心はどうであったと思うか」。

解説

雲門文偃のこの言葉は、釈迦の誕生の伝説を踏まえた過激な示衆として知られる。正三は僧たちの答えを、仏を打つこと自体をありがたがる曲解だとして退け、それは罰当たりだと戒めた。雲門の狙いは仏をけなすことではなく、尊いと思い込んでいる大衆の心を一瞬で揺さぶり、悟りの機会を与えることにあったというのである。丹霞焼仏や南泉斬猫も同じ働きだと正三は並べる。過激な言葉の表面を真似るのではなく、それが相手の心に何を起こすかを見よという教えは、人を導く立場の人にとって示唆が大きい。

この章句が説くこと

雲門仏一棒悟り方便

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