臨済録 / 示衆
「大德!莫因循過日。山僧往日未有見處時,黑漫漫地,光陰不可空過,腹熱心忙,奔波訪道,後還得力,始到今日共道流如是話度。勸諸道流莫為衣食,看世界易過,善知識難遇,如優曇花時一現耳。
新字:「大徳!莫因循過日。山僧往日未有見処時,黒漫漫地,光陰不可空過,腹熱心忙,奔波訪道,後還得力,始到今日共道流如是話度。勧諸道流莫為衣食,看世界易過,善知識難遇,如優曇花時一現耳。
書き下し
大德、因循して日を過ごす莫かれ。山僧往日、未だ見處有らざりし時、黑漫漫地たり。光陰空しく過ごすべからずと、腹熱し心忙しく、奔波して道を訪ぬ。後に還た力を得て、始めて今日に到りて道流と共に是くの如く話度す。諸の道流に勸む、衣食の為にする莫かれ。看よ、世界は過ぎ易く、善知識は遇ひ難し。優曇花の時に一たび現ずるが如きのみ。
現代語訳
大徳よ、ぐずぐずと日を過ごすな。わしは昔、まだ見るところがなかったとき、真っ暗闇だった。時を空しく過ごしてはならないと、腹は熱く心はあせり、あちこち駆け回って道を訪ねた。のちにようやく力を得て、はじめて今日ここでおまえたちとこうして語り合っている。道流たちに勧める、衣食のために生きるな。見よ、世は過ぎやすく、善き師には遇いがたい。優曇華が時に一度だけ咲くようなものだ。
解説
臨済が自分の若い頃を語る、めずらしく静かな一段である。棒も喝も出てこない。「黑漫漫地たり」——真っ暗闇だった。見るところが何もなかった時期を、飾らずにそう言う。そして「腹熱し心忙しく、奔波して道を訪ぬ」。腹の底が熱く、心はあせり、あちこち駆け回った。臨済はふだん「馳求」——走り求めることを厳しく戒める。だが自分自身はまさに走り求めていた、とここで認めている。走り求めるなという教えが、走り求めた人間の口から出ていることになる。順序が逆にはならないのだろう。締めの二句が効く。「世界は過ぎ易く、善知識は遇ひ難し」。優曇華は三千年に一度咲くとされる花で、めったにない出会いの喩えである。「衣食の為にする莫かれ」と言った直後にこれが来る。食べていくために生きるなという要求と、時は過ぎやすく師には遇いがたいという事実が、ひと続きに置かれている。
この章句が説くこと
黒漫漫地奔波訪道莫為衣食優曇花善知識難遇
関連する章句
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『臨済録』示衆如今道を學ぶ人は且く自ら信ずるを要す。外に向かって覓むる莫かれ。總て他の閑塵境に上りて、都て邪正を辨ぜず。秖だ祖有り佛有るが如きは、皆な是れ教迹中の事なり。人有りて一句子の語を拈起し、或いは隱顯の中より出づれば、便ち即ち疑ひ生じ、天を照らし地を照らし、傍家に尋ね問ふ、也た大いに忙然たり。大丈夫兒、秖麼に主を論じ賊を論じ、是を論じ非を論じ、色を論じ財を論じ、閑話を論説して日を過ごす莫かれ。山僧此の間、僧俗を論ぜず、但だ來る者有れば盡く伊を識得す。伊が甚の處に向かって出で來るに任すも、但だ聲名文句有るは、皆な是れ夢幻なり。却つて境に乘ずる底の人を見るは是れ諸佛の玄旨なり。佛境は自ら我は是れ佛境なりと稱すること能はず。還た是れ這箇の無依の道人、境に乘じて出で來る。若し人有りて出で來りて我に佛を求むれば、我れ即ち清淨の境に應じて出づ。人有りて我に菩薩を問へば、我れ即ち慈悲の境に應じて出づ。人有りて我に菩提を問へば、我れ即ち淨妙の境に應じて出づ。人有りて我に涅槃を問へば、我れ即ち寂靜の境に應じて出づ。境は即ち萬般差別なるも、人は即ち別ならず。所以に物に應じて形を現ずること、水中の月の如し。道流、爾若し如法なるを得んと欲せば、直だ須らく是れ大丈夫兒にして始めて得べし。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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『臨済録』示衆道流、有る一般の禿子は便ち裏許に向かって功を著け、出世の法を求めんと擬す。錯り了れり。若し人佛を求めば、是の人佛を失ふ。若し人道を求めば、是の人道を失ふ。若し人祖を求めば、是の人祖を失ふ。大德錯る莫かれ。我れ且く爾が經論を解するを取らず、我れ亦た爾が國王大臣なるを取らず、我れ亦た爾が辯の懸河に似たるを取らず、我れ亦た爾が聰明智慧を取らず、唯だ爾が真正の見解を要す。道流、設ひ百本の經論を解し得るも、一箇の無事底の阿師に如かず。爾解し得れば、即ち他人を輕蔑し、勝負は修羅、人我は無明にして、地獄の業を長ず。善星比丘の十二分教を解して、生身にして地獄に陷り、大地容れざるが如し。無事にして休歇し去るに如かず。飢ゑ來れば飯を喫し、睡り來れば眼を合はす。愚人は我を笑ふも、智は乃ち焉れを知る。道流、文字の中に向かって求むる莫かれ。心動き疲勞し、冷氣を吸ふも益無し。
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『臨済録』示衆道流、一剎那の間に便ち華藏世界に入り、毘盧遮那の國土に入り、解脫の國土に入り、神通の國土に入り、清淨の國土に入り、法界に入り、穢に入り淨に入り、凡に入り聖に入り、餓鬼畜生に入る。處處に討覓し尋ぬるも皆な、生有り死有るを見ず、唯だ空名有るのみ。幻化空花、把捉するを勞せず。得失是非、一時に放却せよ。
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『臨済録』示衆道流、切に真正の見解を求取して、天下に橫行し、這の一般の精魅に惑亂せらるるを免るるを要す。無事是れ貴人なり。但だ造作する莫かれ、秖だ是れ平常なれ。爾外に向かひ傍家に求めて脚手を覓めんと擬するは、錯り了れり。秖だ佛を求めんと擬するも、佛は是れ名句なり。爾還た馳求する底を識るや。三世十方の佛祖出で來るも也た秖だ法を求むるが為なり。如今參學の道流も也た秖だ法を求むるが為なり。法を得て始めて了る。未だ得ざれば依前として五道に輪回す。云何なるか是れ法。法とは是れ心法なり。心法は形無く、十方に通貫し、目前に現に用ゐらる。人信ずること及ばず、便ち乃ち名を認め句を認め、文字の中に向かって意度を求む。佛法とは天地懸殊なり。道流、山僧が説法は、什麼の法をか説く。心地の法を説く。便ち能く凡に入り聖に入り、淨に入り穢に入り、真に入り俗に入る。要且つ是れ爾が真俗凡聖にあらず。能く一切の真俗凡聖に名字を安著し、真俗凡聖は此の人に名字を安著すること得ず。道流、把得すれば便ち用ゐ、更に名字を著けざる、之を號して玄旨と為す。
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