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臨済録 / 示衆

「但有來求者,我即便出看渠,渠不識我,我便著數般衣,學人生解一向入我言句:『苦哉,瞎禿子無眼人把我著底衣認青、黃、赤、白,我脫却入清淨境中。』學人一見便生忻欲。我又脫却,學人失心,忙然狂走,言:『我無衣。』我即向渠道:『爾識我著衣底人否?』忽爾回頭,認我了也。『大德!爾莫認衣,衣不能動,人能著衣,有箇清淨衣、有箇無生衣、菩提衣、涅槃衣、有祖衣、有佛衣。大德!但有聲名文句,皆悉是衣變,從臍輪氣海中鼓激、牙齒敲磕成其句義,明知是幻化。大德!外發聲語業、內表心所法,以思有念,皆悉是衣。爾秖麼認他著底衣為寔解,縱經塵劫秖是衣通,三界循還輪回生死;不如無事,相逢不相識、共語不知名。今時學人不得,蓋為認名字為解,大策子上抄死老漢語,三重五重複子裹,不教人見,道是玄旨,以為保重。大錯,瞎屢生!爾向枯骨上覓什麼汁?有一般不識好惡,向教中取意度商量成於句義,如把屎塊子向口裏含了吐過與別人。猶如俗人打傳口令相似,一生虛過也。道我出家,被他問著佛法,便即杜口無詞,眼似漆突、口如楄檐,如此之類逢彌勒出世,移置他方世界寄地獄受苦。大德!爾波波地往諸方覓什麼物?踏爾脚板闊,無佛可求、無道可成、無法可得。外求有相佛,與汝不相似,欲識汝本心,非合亦非離。』

新字:「但有来求者,我即便出看渠,渠不識我,我便著数般衣,学人生解一向入我言句:『苦哉,瞎禿子無眼人把我著底衣認青、黄、赤、白,我脱却入清浄境中。』学人一見便生忻欲。我又脱却,学人失心,忙然狂走,言:『我無衣。』我即向渠道:『爾識我著衣底人否?』忽爾回頭,認我了也。『大徳!爾莫認衣,衣不能動,人能著衣,有箇清浄衣、有箇無生衣、菩提衣、涅槃衣、有祖衣、有仏衣。大徳!但有声名文句,皆悉是衣変,従臍輪気海中鼓激、牙歯敲磕成其句義,明知是幻化。大徳!外発声語業、内表心所法,以思有念,皆悉是衣。爾秖麼認他著底衣為寔解,縦経塵劫秖是衣通,三界循還輪回生死;不如無事,相逢不相識、共語不知名。今時学人不得,蓋為認名字為解,大策子上抄死老漢語,三重五重複子裹,不教人見,道是玄旨,以為保重。大錯,瞎屡生!爾向枯骨上覓什麼汁?有一般不識好悪,向教中取意度商量成於句義,如把屎塊子向口裏含了吐過与別人。猶如俗人打伝口令相似,一生虚過也。道我出家,被他問著仏法,便即杜口無詞,眼似漆突、口如楄檐,如此之類逢弥勒出世,移置他方世界寄地獄受苦。大徳!爾波波地往諸方覓什麼物?踏爾脚板闊,無仏可求、無道可成、無法可得。外求有相仏,与汝不相似,欲識汝本心,非合亦非離。』

書き下し

「但だ来たり求むる者有らば、我れ即便ち出でて渠を看る。渠我れを識らず。我れ便ち数般の衣を著く。学人解を生じて一向に我が言句に入る。『苦しい哉、瞎禿子無眼の人、我が著くる底の衣を把って青黄赤白と認む。』我れ脱却して清浄の境中に入れば、学人一見して便ち忻欲を生ず。我れ又た脱却すれば、学人失心して、忙然として狂走して言う、『我れに衣無し。』我れ即ち渠に向かって道う、『爾我が衣を著くる底の人を識るや否や。』忽爾として回頭すれば、我れを認め了れり。『大徳、爾衣を認むること莫かれ。衣は動くこと能わず、人能く衣を著く。箇の清浄衣有り、箇の無生衣・菩提衣・涅槃衣有り、祖衣有り、仏衣有り。大徳、但だ有らゆる声名文句は、皆な悉く是れ衣変なり。臍輪気海の中より鼓激し、牙歯敲磕して其の句義を成す。明らかに知んぬ、是れ幻化なることを。大徳、外に声語の業を発し、内に心所の法を表す。思を以て念有り、皆な悉く是れ衣なり。爾秖麼に他の著くる底の衣を認めて寔解と為さば、縦い塵劫を経るも秖だ是れ衣通なり。三界に循還し、生死に輪回す。如かず無事にして、相逢うて相識らず、共に語って名を知らざらんには。今時の学人の得ざるは、蓋し名字を認めて解と為すが為なり。大策子上に死老漢の語を抄し、三重五重に複子に裹んで人をして見せしめず、是れ玄旨なりと道うて、以て保重と為す。大いに錯る。瞎屢生、爾枯骨上に向かって什麼の汁をか覓む。一般の好悪を識らざるもの有り、教中に向かって意度を取り商量して句義を成す。屎塊子を把って口裏に向かって含み了って、吐き過ごして別人に与うるが如し。猶お俗人の口令を打伝するが如くに相似たり。一生虚しく過ごす。我れ出家すと道うも、他に仏法を問著せられて、便即ち口を杜じて詞無く、眼は漆突に似、口は楄担の如し。此の如きの類は、弥勒の出世に逢うも、他方世界に移置せられ、地獄に寄せて苦を受けん。大徳、爾波波地に諸方に往いて什麼物をか覓む。爾が脚板を踏んで闊からしむ。仏の求むべき無く、道の成ずべき無く、法の得べき無し。外に有相の仏を求むるは、汝と相似ず。汝が本心を識らんと欲せば、合に非ず亦た離に非ず。』

現代語訳

「求めて来る者があれば、わたしはすぐに出て行ってその者を見る。その者はわたしが分からない。わたしはそこでいくつかの衣を着てみせる。修行者はそれで理解をこしらえ、ひたすらわたしの言葉の中に入り込む。「なんと情けないことか、目の見えぬ坊主、眼のない人よ。わたしが着ている衣をつかんで、青だ黄だ赤だ白だと思い込む。」わたしがそれを脱いで清らかな境に入れば、修行者はひと目見て喜び欲しがる。わたしがそれもまた脱げば、修行者は気を失ったようにうろたえ、あわてて走り回り、「わたしには衣がない」と言う。そこでわたしはその者に向かって、「お前は、わたしの衣を着ているその人が分かるか」と言う。ふと振り返れば、わたしを見て取ったことになる。「諸君、衣を見誤ってはならない。衣は動くことができない。人が衣を着るのだ。清浄の衣があり、無生の衣、菩提の衣、涅槃の衣があり、祖師の衣があり、仏の衣がある。諸君、声や名前や言葉や文句というものは、どれもみな衣の変化したものである。へその下の気の海から吹き上げ、歯がかち合って、その句の意味をつくる。それが幻だと明らかに分かる。諸君、外には声や言葉の業を発し、内には心のはたらきを表す。思いによって念が生じるが、それもみな衣である。お前たちがただその者の着ている衣を見て真の理解だとするなら、たとえ塵の数ほどの劫を経ても、衣に通じるだけのことだ。三界をぐるぐるめぐり、生死を繰り返す。何事もなく、出会っても互いに見知らず、語り合っても名前を知らないにこしたことはない。今の修行者がものにできないのは、名前や文字を理解だと思い込んでいるからだ。大きな帳面に死んだ老いぼれの言葉を書き写し、三重五重に袱紗で包んで人に見せず、これこそ奥義だと言って大切にしまいこむ。大間違いだ。目の見えぬ愚か者め、干からびた骨の上に何の汁を探すのか。善し悪しの分からない連中がいて、教えの中からあれこれ推し量り論じて句の意味をこしらえる。まるで糞のかたまりを口に含んで、吐き出して他人に渡すようなものだ。俗人が口伝えの言葉遊びを回していくのと似ている。一生をむなしく過ごすだけだ。自分は出家したと言いながら、仏法について問われると、口をつぐんで言葉もなく、目は煙突の穴のように真っ黒で、口は天秤棒のように一文字に結ばれる。こんな連中は、弥勒が世に出る時に出会っても、他の世界に移され、地獄に預けられて苦を受けることになる。諸君、お前たちはあくせくと諸方に出かけて何を探しているのか。足の裏を踏み広げて(歩き回って)いるだけだ。求めるべき仏もなく、成し遂げるべき道もなく、得るべき法もない。外に形ある仏を求めても、お前とは似ても似つかない。お前の本心を知りたければ、それは合わさるのでもなく、離れるのでもない。」

解説

衣のたとえで、言葉や概念と、それを使う人との違いを語る段である。臨済は様々な衣を着替えて見せ、修行者はその色や清らかさに飛びつく。衣を全部脱ぐと、今度は自分には衣がないとうろたえる。衣を着ている人そのものに気づけ、というのが要点である。清浄も菩提も涅槃も、声や文字もすべて衣であり、衣は自分では動けない。祖師の言葉を帳面に写して奥義と称して秘蔵する者を、臨済は枯れ骨に汁を探す者と罵る。資格や肩書き、流行の用語も一種の衣である。衣の立派さで人を測ったり、自分の中身を衣で補おうとしたりしていないか。衣を着替えても変わらずに動いている人を見よ、という指摘である。

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