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臨済録 / 示衆

道流!有一般禿子便向裏許著功,擬求出世之法,錯了也。若人求佛,是人失佛;若人求道,是人失道;若人求祖,是人失祖。大德莫錯,我且不取爾解經論、我亦不取爾國王大臣、我亦不取爾辯似懸河、我亦不取爾聰明智慧,唯要爾真正見解。「道流!設解得百本經論,不如一箇無事底阿師。爾解得——即輕蔑他人、勝負修羅、人我無明、長地獄業,如善星比丘解十二分教,生身陷地獄,大地不容。不如無事休歇去,飢來喫飯、睡來合眼,愚人笑我、智乃知焉。道流!莫向文字中求,心動疲勞,吸冷氣無益,不如一念緣起無生,超出三乘權學菩薩。

新字:道流!有一般禿子便向裏許著功,擬求出世之法,錯了也。若人求仏,是人失仏;若人求道,是人失道;若人求祖,是人失祖。大徳莫錯,我且不取爾解経論、我亦不取爾国王大臣、我亦不取爾弁似懸河、我亦不取爾聰明智慧,唯要爾真正見解。「道流!設解得百本経論,不如一箇無事底阿師。爾解得——即軽蔑他人、勝負修羅、人我無明、長地獄業,如善星比丘解十二分教,生身陥地獄,大地不容。不如無事休歇去,飢来喫飯、睡来合眼,愚人笑我、智乃知焉。道流!莫向文字中求,心動疲労,吸冷気無益,不如一念縁起無生,超出三乗権学菩薩。

書き下し

道流、有る一般の禿子は便ち裏許に向かって功を著け、出世の法を求めんと擬す。錯り了れり。若し人佛を求めば、是の人佛を失ふ。若し人道を求めば、是の人道を失ふ。若し人祖を求めば、是の人祖を失ふ。大德錯る莫かれ。我れ且く爾が經論を解するを取らず、我れ亦た爾が國王大臣なるを取らず、我れ亦た爾が辯の懸河に似たるを取らず、我れ亦た爾が聰明智慧を取らず、唯だ爾が真正の見解を要す。道流、設ひ百本の經論を解し得るも、一箇の無事底の阿師に如かず。爾解し得れば、即ち他人を輕蔑し、勝負は修羅、人我は無明にして、地獄の業を長ず。善星比丘の十二分教を解して、生身にして地獄に陷り、大地容れざるが如し。無事にして休歇し去るに如かず。飢ゑ來れば飯を喫し、睡り來れば眼を合はす。愚人は我を笑ふも、智は乃ち焉れを知る。道流、文字の中に向かって求むる莫かれ。心動き疲勞し、冷氣を吸ふも益無し。

現代語訳

道流よ、ある種の坊主どもは、内側に向かって力を入れ、世を出る法を求めようとする。もう間違っている。もし人が仏を求めれば、その人は仏を失う。もし人が道を求めれば、その人は道を失う。もし人が祖を求めれば、その人は祖を失う。大徳よ、間違えるな。わしはおまえが経論を解することを取らない。おまえが国王や大臣であることも取らない。おまえの弁舌が滝のように流れることも取らない。おまえの聡明さも智慧も取らない。ただおまえの真正の見解だけを求める。道流よ、たとえ百部の経論を解しても、一人の何事もない師には及ばない。おまえが解せるようになれば、たちまち他人を軽んじ、勝ち負けは修羅であり、我と人という思いは無明であって、地獄の業を長じさせる。善星比丘が十二分教を解しながら、生身のまま地獄に落ち、大地が容れなかったようなものだ。何事もなくやめてしまうにこしたことはない。腹が減れば飯を食い、眠くなれば目を閉じる。愚かな者はわしを笑うが、智ある者はこれを知る。道流よ、文字の中に求めるな。心が動いて疲れ、冷たい息を吸うばかりで益はない。

解説

「若し人佛を求めば、是の人佛を失ふ」——求めた瞬間に失う。求める行為が、対象を自分の外に置いてしまうからである。続く四つの否定が容赦ない。経論が読めることも、高い地位も、滝のような弁舌も、聡明さも取らない。世間で評価される能力を順に並べて、全部いらないと言う。求めるのはただ一つ、真正の見解だけ。しかも学識は無害ではないとまで言う。「爾解し得れば、即ち他人を輕蔑し」。分かるようになると人を見下す。そこから勝ち負けの修羅道が始まる。例に引かれる善星比丘は、経典に精通しながら地獄に落ちたとされる人物である。学識が業を積む道具になった例として挙げられている。ではどうするか。「飢ゑ來れば飯を喫し、睡り來れば眼を合はす」。腹が減れば食べ、眠ければ寝る。あまりに素朴で、笑われるのを承知で言っている——「愚人は我を笑ふも、智は乃ち焉れを知る」。

この章句が説くこと

求仏失仏無事底阿師善星比丘飢来喫飯睡来合眼

この一句を、あなたの毎日に。

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