臨済録 / 上堂
何以如此?不見釋尊云:『法離文字,不屬因、不在緣故。』為爾信不及,所以今日葛藤恐滯常侍與諸官員,昧他佛性,不如且退。」喝一喝,云:「少信根人終無了日。久立珍重。」師因一日到河府,府主王常侍請師升座。時麻谷出問:「大悲千手眼,那箇是正眼?」師云:「大悲千手眼,那箇是正眼?速道速道。」麻谷拽師下座,麻谷却坐,師近前,云:「不審。」麻谷擬議,師亦拽麻谷下座,師却坐,麻谷便出去,師便下座。
新字:何以如此?不見釈尊云:『法離文字,不属因、不在縁故。』為爾信不及,所以今日葛藤恐滞常侍与諸官員,昧他仏性,不如且退。」喝一喝,云:「少信根人終無了日。久立珍重。」師因一日到河府,府主王常侍請師升座。時麻谷出問:「大悲千手眼,那箇是正眼?」師云:「大悲千手眼,那箇是正眼?速道速道。」麻谷拽師下座,麻谷却坐,師近前,云:「不審。」麻谷擬議,師亦拽麻谷下座,師却坐,麻谷便出去,師便下座。
書き下し
何を以てか此の如くなる。見ずや、釈尊云く、『法は文字を離れ、因に属せず、縁に在らざるが故なり』と。爾が信不及なるが為に、所以に今日葛藤す。恐らくは常侍と諸官員とを滞らせ、他の仏性を昧まさん。如かず且く退かんには。」喝一喝して云く、「少信根の人は終に了る日無し。久立珍重。」師、因みに一日河府に到る。府主王常侍、師に升座を請う。時に麻谷出でて問う、「大悲千手眼、那箇か是れ正眼。」師云く、「大悲千手眼、那箇か是れ正眼。速やかに道え、速やかに道え。」麻谷、師を拽いて座を下らしめ、麻谷却って坐す。師近前して云く、「不審。」麻谷擬議す。師も亦た麻谷を拽いて座を下らしめ、師却って坐す。麻谷便ち出で去る。師便ち座を下る。
現代語訳
(前の説法の続きである。)どうしてそう言えるのか。釈尊(しゃくそん、仏教の開祖)が「法は文字を離れている。因にも属さず、縁にもないからだ」と言ったのを知らないのか。お前たちが自分を信じきれないから、今日こうして言葉をからませている(葛藤=つるくさがからみ合うような言葉のやりとり)のだ。これでは常侍や役人たちを足止めし、その仏性を曇らせてしまうおそれがある。ひとまず退くにこしたことはない。」そう言って一喝し、「信の根が浅い者は、いつまでたっても片がつかない。長く立たせてしまった。ではお大事に。」と言った。師はある日、河府(かふ、河北の府城)に行った。府主の王常侍が師に説法の座に上るよう願った。そのとき麻谷(まよく、馬祖の法を継いだ禅僧の系統)が進み出て問うた。「大悲観音の千の手、千の眼。どれが正しい眼か。」師は言った。「大悲観音の千の手、千の眼。どれが正しい眼か。さあ言え、さあ言え。」麻谷は師を引きずって座から下ろし、自分がかわりに座った。師は近寄って「ご機嫌いかが」と挨拶した。麻谷がためらって言葉に詰まると、師もまた麻谷を引きずり下ろし、自分が座った。麻谷はそのまま出て行き、師も座を下りた。
解説
関連する章句
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『臨済録』勘辨麻谷到り参じ、坐具を敷いて問う、「十二面観音、阿那面か正なる。」師、縄床を下り、一手に坐具を収め、一手に麻谷を搊(つか)んで云く、「十二面観音、什麼の処に向かってか去れる。」麻谷、身を転じて縄床に坐せんと擬す。師、拄杖を拈じて打つ。麻谷接却して、相捉えて方丈に入る。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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『臨済録』上堂山僧今日、事已むを獲ずして、曲げて人情に順ひ方に此の座に登る。若し祖宗門下に約して大事を稱揚せば、直だ是れ口を開くを得ず、爾が足を措く處無からん。山僧此の日、常侍の堅く請ふを以て、那んぞ綱宗を隱さん。還た作家の戰將、直下に陣を展べ旗を開く者有りや。眾に對して證據し看よ」と。僧問ふ、「如何なるか是れ佛法の大意」と。師便ち喝す。僧禮拜す。師云く、「這箇の師僧、却つて論を持するに堪へたり」と。師に問ふ、「誰が家の曲をか唱ふる。宗風阿誰にか嗣ぐ」と。師云く、「我れ黃蘗の處に在りて、三度發問し、三度打たる」と。僧擬議す。師便ち喝し、隨後して打ちて云く、「虛空裏に向かって橛を釘つ可からざるなり」と。座主有りて問ふ、「三乘十二分教、豈に是れ佛性を明かすにあらずや」と。師云く、「荒草曾て鋤かず」と。主云く、「佛豈に人を賺かんや」と。師云く、「佛は什麼の處にか在る」と。主語無し。師云く、「常侍の前に對して老僧を瞞かんと擬す。速やかに退け、速やかに退け。他の別人の諸問を妨ぐ」と。復た云く、「此の日の法筵は一大事の為の故なり。更に問話する者有りや。速やかに問ひ來れ。爾纔かに口を開けば、早く交涉勿きなり。
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『臨済録』勘辨定上座有り、到り參じて問ふ、「如何なるか是れ佛法の大意」と。師繩床を下り、擒住して一掌を與へて便ち托開す。定佇立す。傍の僧云く、「定上座、何ぞ禮拜せざる」と。定方に禮拜し、忽然として大悟す。
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『臨済録』示衆「道流、諸方に学人有って来たるが如きは、主客相見し了って、便ち一句子の語有り。『前頭の善知識を弁ぜんとして、学人箇の機権の語路を拈出して、善知識の口角頭に向かって攛過し、爾識るや識らずやと看る。爾若し是れ境なることを識得せば、把得して便ち坑子の裏に向かって拋つ。』学人便即ち尋常にして、然る後に便ち善知識の語を索む。前に依って之を奪う。学人云く、『上智なる哉、是れ大善知識。』即ち云く、『爾大いに好悪を識らず。』善知識の如きは、箇の境塊子を把出して、学人の面前に向かって弄す。前人弁得して下下に主と作り、境惑を受けず。善知識便即ち半身を現ず。学人便ち喝す。善知識又た一切差別の語路の中に入って擺撲す。学人云く、『好悪を識らざる老禿奴。』善知識歎じて曰く、『真正の道流。』諸方の善知識の如きは邪正を弁ぜず。学人来たって菩提・涅槃・三身・境智を問えば、瞎老師便ち他の与に解説し、他の学人に罵著せられて、便ち棒を把って他を打って、言う、『礼度無し。』自ら是れ爾善知識の眼無きなり、他を嗔ることを得ず。一般の好悪を識らざる禿奴有り、即ち東を指し西を劃し、晴を好み雨を好み、燈籠露柱を好む。爾看よ、眉毛幾茎か有る。這箇機縁を具す。学人会せず、便即ち心狂す。是の如きの流は総に是れ野狐精魅魍魎なり。他の好学人に嗌嗌として微笑せられ、言う、瞎老禿奴、他の天下の人を惑乱すと。「道流、出家児は且く道を学ばんことを要す。秖だ山僧往日の如きは、曾て毘尼の中に向かって心を留め、亦た曾て経論に於いて尋討す。後に方に是れ済世の薬、表顕の説なることを知って、遂乃ち一時に拋却し、即ち道を訪い禅に参ず。後に大善知識に遇うて、方乃ち道眼分明にして、始めて天下の老和尚を識得し、其の邪正を知る。是れ娘生下にして便ち会するにあらず、還って是れ体究練磨して一朝に自ら省す。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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