臨済録 / 上堂
上堂云:「赤肉團上有一無位真人,常從汝等諸人面門出入,未證據者看看。」時有僧出問:「如何是無位真人?」師下禪床把住,云:「道道。」其僧擬議,師托開,云:「無位真人是什麼乾屎橛?」便歸方丈。
新字:上堂云:「赤肉団上有一無位真人,常従汝等諸人面門出入,未証拠者看看。」時有僧出問:「如何是無位真人?」師下禅床把住,云:「道道。」其僧擬議,師托開,云:「無位真人是什麼乾屎橛?」便帰方丈。
書き下し
上堂して云く、「赤肉團上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ證據せざる者は看よ看よ」と。時に僧有り出でて問ふ、「如何なるか是れ無位の真人」と。師禪床を下りて把住して云く、「道へ、道へ」と。其の僧擬議す。師托開して云く、「無位の真人、是れ什麼の乾屎橛ぞ」と。便ち方丈に歸る。
現代語訳
上堂して言った。「この赤い肉のかたまりの上に、位のない真人が一人いる。常におまえたち一人ひとりの顔の門から出入りしている。まだ見届けていない者は、見よ、見よ」。そのとき一人の僧が進み出て問うた。「無位の真人とは何ですか」。慧照は禅床を下りて僧の胸ぐらをつかみ、「言え、言え」と迫った。その僧が言いよどんだ。慧照は突き放して言った。「無位の真人が、何のくそかき箆か」。そのまま方丈へ帰っていった。
解説
『臨済録』で最も知られた一段である。「赤肉團上に一無位の真人有り」——この生身の肉体の上に、どんな位づけも受けつけない真人が一人いる。仏でも祖でも聖でもなく、階級を持たない。しかも遠くにいない。「汝等諸人の面門より出入す」、いまこの顔から出入りしている。ところが僧が「それは何ですか」と問うたとたん、臨済は禅床を下りて胸ぐらをつかみ「言え」と迫る。説明を求めた側に、その場で答えさせようとした。僧が口ごもると突き放し、「是れ什麼の乾屎橛ぞ」と吐き捨てて去る。乾屎橛は糞をかき取る木の箆で、最も汚いものの喩えである。自分が持ち出した言葉を、自分で汚物と呼んで捨てた。言葉にして受け取った瞬間に、それはもう真人ではない——というより、真人という言葉ごと捨てさせている。臨済の教え方の呼吸が、この短い一段に凝縮している。
この章句が説くこと
無位真人赤肉団上乾屎橛面門出入
関連する章句
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『碧巌録』第三十二則定遂に臨済一日衆に示して云くを挙す、赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よと。時に僧有り出でて問ふ、如何なるか是れ無位の真人。済便ち擒住して云く、道へ道へ。僧擬議す。済便ち托開して云く、無位の真人、是れ什麼の乾屎橛ぞと。便ち方丈に帰る。巌頭覚えず舌を吐く。欽山云く、何ぞ非無位の真人と道はざる。定に擒住せられて云く、無位の真人と非無位の真人と、相去ること多少ぞ。速やかに道へ速やかに道へ。山無語、直に面黄面青なることを得たり。巌頭・雪峰近前して礼拝して云く、這の新戒は好悪を識らず、上座に触忤す。望むらくは慈悲もて且く放過せよ。定云く、若し是れ這の両箇の老漢ならずんば、這の尿床の鬼子を築殺せん。又鎮州に在りて斎より回り、橋上に到りて歇む。三人の座主に逢ふ。一人問ふ、如何なるか是れ禅河の深処、須らく底を窮むべし。定擒住して橋下に抛向せんと擬す。時に二座主、連忙として救ひて云く、休みね休みね、是れ伊上座に触忤す、且く望むらくは慈悲せよ。定云く、若し是れ二座主ならずんば、他に従ひて窮めて底に到り去らしめん。看よ他の恁麼の手段、全く是れ臨済の作用なり。更に雪竇の頌出するを看よ。云く、
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『碧巌録』第七十三則臨済も未だ是れ白拈賊ならず。臨済一日衆に示して云く、「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。時に僧有り、出でて問ふ、「如何なるか是れ無位の真人」。臨済、禅床を下つて搊住して云く、「道へ道へ」。僧無語。済、托開して云く、「無位の真人、是れ什麼の乾屎橛ぞ」。雪峰後に聞いて云く、「臨済大いに白拈賊に似たり」。雪竇は他の臨済と相見えしめんと要す。馬祖の機鋒を観るに、尤も臨済に過ぎたり。此れ正に是れ白拈賊、臨済も未だ是れ白拈賊ならず。雪竇一時に穿却し了れり。却つて這の僧を頌して道ふ、「四句を離れ百非を絶す、天上人間、唯だ我のみ知る」と。且く鬼窟裏に向かつて活計を作すこと莫れ。古人云く、「問は答処に在り、答は問処に在り」と。早く是れ奇特なり。爾作麼生か四句を離れ得、百非を絶し得ん。雪竇道ふ、此の事唯だ我のみ能く知る、直饒ひ三世の諸仏も也た覰れども見えず、と。既に是れ独自箇知る、諸人更に上り来たつて箇の什麼をか求めん。大溈真如拈じて云く、「這の僧恁麼に問ひ、馬祖恁麼に答ふ。四句を離れ百非を絶す、智蔵・海兄都て知らず。会せんと要すや。道ふことを見ずや、馬駒、天下の人を踏殺すと」。
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『臨済録』示衆道流、切に真正の見解を求取して、天下に橫行し、這の一般の精魅に惑亂せらるるを免るるを要す。無事是れ貴人なり。但だ造作する莫かれ、秖だ是れ平常なれ。爾外に向かひ傍家に求めて脚手を覓めんと擬するは、錯り了れり。秖だ佛を求めんと擬するも、佛は是れ名句なり。爾還た馳求する底を識るや。三世十方の佛祖出で來るも也た秖だ法を求むるが為なり。如今參學の道流も也た秖だ法を求むるが為なり。法を得て始めて了る。未だ得ざれば依前として五道に輪回す。云何なるか是れ法。法とは是れ心法なり。心法は形無く、十方に通貫し、目前に現に用ゐらる。人信ずること及ばず、便ち乃ち名を認め句を認め、文字の中に向かって意度を求む。佛法とは天地懸殊なり。道流、山僧が説法は、什麼の法をか説く。心地の法を説く。便ち能く凡に入り聖に入り、淨に入り穢に入り、真に入り俗に入る。要且つ是れ爾が真俗凡聖にあらず。能く一切の真俗凡聖に名字を安著し、真俗凡聖は此の人に名字を安著すること得ず。道流、把得すれば便ち用ゐ、更に名字を著けざる、之を號して玄旨と為す。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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