李衛公問対 / 卷下
卿為纂述歷代善於節制者,具圖來上,朕當擇其精微,垂於後世。」靖曰:「臣前所進黃帝、太公二陳圖,并《司馬法》、諸葛亮奇正之法,此已精悉。歷代名將,用其一二,成功者亦眾矣。但史官鮮克知兵,不能紀其實迹焉。臣敢不奉詔,當纂述以聞。」太宗曰:「兵法,孰為最深?」靖曰:「臣常分為三等,使學者當漸而至焉。一曰道,二曰天地,三曰將法。夫道之說,至微至深;《易》所謂『聰明叡智,神武而不殺』者是也。夫天之說陰陽,地之說險易。善用兵者,能以陰奪陽,以險攻易;《孟子》所謂『天時地利』者是也。夫將法之說,在乎任人利器;《三略》所謂『得士者昌』、《管子》所謂『器必堅利』者是也。」太宗曰:「然!吾謂不戰而屈人之兵者,上也;百戰百勝者,中也;深溝高壘以自守者,下也。以是校量,孫武著書,三等皆具焉。」靖曰:「觀其文,迹其事,亦可差別矣。若張良、范蠡、孫武,脫然高引,不知所往,此非知道,安能爾乎?若樂毅、管仲、諸葛亮,戰必勝,守必固,此非察天時地利,安能爾乎?其次王猛之保秦,謝安之守晉,非任將擇材,繕完自固,安能爾乎?故
新字:卿為纂述歴代善於節制者,具図来上,朕当択其精微,垂於後世。」靖曰:「臣前所進黄帝、太公二陳図,并《司馬法》、諸葛亮奇正之法,此已精悉。歴代名将,用其一二,成功者亦衆矣。但史官鮮克知兵,不能紀其実迹焉。臣敢不奉詔,当纂述以聞。」太宗曰:「兵法,孰為最深?」靖曰:「臣常分為三等,使学者当漸而至焉。一曰道,二曰天地,三曰将法。夫道之説,至微至深;《易》所謂『聰明叡智,神武而不殺』者是也。夫天之説陰陽,地之説険易。善用兵者,能以陰奪陽,以険攻易;《孟子》所謂『天時地利』者是也。夫将法之説,在乎任人利器;《三略》所謂『得士者昌』、《管子》所謂『器必堅利』者是也。」太宗曰:「然!吾謂不戦而屈人之兵者,上也;百戦百勝者,中也;深溝高塁以自守者,下也。以是校量,孫武著書,三等皆具焉。」靖曰:「観其文,迹其事,亦可差別矣。若張良、范蠡、孫武,脱然高引,不知所往,此非知道,安能爾乎?若楽毅、管仲、諸葛亮,戦必勝,守必固,此非察天時地利,安能爾乎?其次王猛之保秦,謝安之守晋,非任将択材,繕完自固,安能爾乎?故
書き下し
卿為に歴代の節制を善くする者を纂述し、図を具へて来たり上れ。朕当に其の精微を択び、後世に垂るべし。」靖曰く、「臣前に進むる所の黄帝・太公の二陣図、并(なら)びに『司馬法』・諸葛亮の奇正の法、此れ已に精悉なり。歴代の名将、其の一二を用ひ、功を成す者も亦衆し。但だ史官は兵を知ること鮮(すくな)く、其の実迹を紀すこと能はず。臣敢へて詔を奉ぜざらんや、当に纂述して以て聞すべし。」太宗曰く、「兵法は、孰れをか最も深しと為す。」靖曰く、「臣常に分かちて三等と為し、学ぶ者をして当に漸にして至らしむ。一に曰く道、二に曰く天地、三に曰く将法。夫れ道の説は、至微至深なり。『易』の所謂『聡明叡智、神武にして殺さず』とは是れなり。夫れ天の説は陰陽、地の説は険易なり。善く兵を用ふる者は、能く陰を以て陽を奪ひ、険を以て易を攻む。『孟子』の所謂『天の時・地の利』とは是れなり。夫れ将法の説は、人に任じ器を利するに在り。『三略』の所謂『士を得る者は昌(さか)ゆ』、『管子』の所謂『器は必ず堅利なり』とは是れなり。」太宗曰く、「然り。吾謂(おも)へらく、戦はずして人の兵を屈する者は、上なり。百戦百勝する者は、中なり。溝を深くし塁を高くして以て自ら守る者は、下なり。是を以て校量すれば、孫武の書を著すや、三等皆具はる。」靖曰く、「其の文を観、其の事を迹(たづ)ぬれば、亦差別すべし。張良・范蠡・孫武の若きは、脱然として高く引き、往く所を知らず。此れ道を知るに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。楽毅・管仲・諸葛亮の若きは、戦へば必ず勝ち、守れば必ず固し。此れ天の時・地の利を察するに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。其の次、王猛の秦を保ち、謝安の晋を守る、将に任じ材を択び、繕完して自ら固むるに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。故に
現代語訳
(太宗が続けた。)卿は朕のために歴代の節制に巧みだった者を編纂して述べ、図を添えて献上せよ。朕はその精妙なところを選んで、後世に伝えよう。」李靖は言った。「臣が先に献上した黄帝・太公の二つの陣図、それに『司馬法』と諸葛亮(三国時代の蜀の丞相)の奇正の法は、すでに詳しく尽くしている。歴代の名将で、そのうちの一つ二つを用いて功を成した者も多い。ただ史官は兵を知る者が少なく、その実際の事跡を記録できなかった。臣がどうして詔を奉じないことがあろうか。編纂して申し上げよう。」太宗は言った。「兵法は、何が最も深いか。」李靖は言った。「臣はいつもこれを三等に分けて、学ぶ者が段階を追って到達するようにしている。一は道、二は天地、三は将法である。道の説は、最も微妙で最も深い。『易』(易経)のいわゆる『聡明で叡智があり、神のような武をもちながら殺さない』というのがこれである。天の説は陰陽であり、地の説は険しさと平らかさである。兵を用いるのが巧みな者は、陰によって陽を奪い、険しさによって平らかさを攻めることができる。『孟子』のいわゆる『天の時・地の利』がこれである。将法の説は、人に任せ、器物を鋭利にすることにある。『三略』(太公望の兵書とされる)のいわゆる『士を得る者は栄える』、『管子』のいわゆる『器物は必ず堅く鋭利にせよ』というのがこれである。」太宗は言った。「そのとおりだ。私が思うに、戦わずして敵の兵を屈服させるのが上であり、百戦百勝するのが中であり、堀を深くし塁を高くして自ら守るのが下である。これによって比べ量れば、孫武(孫子)が著した書には、三等がすべて備わっている。」李靖は言った。「その文を読み、その事跡をたどれば、やはり区別することができる。張良(漢の高祖の参謀)・范蠡(越の参謀)・孫武のような人は、さっぱりと高く身を引いて、どこへ行ったか分からない。これは道を知っているのでなければ、どうしてそうできようか。楽毅(燕の名将)・管仲(斉の宰相)・諸葛亮のような人は、戦えば必ず勝ち、守れば必ず固かった。これは天の時と地の利を察しているのでなければ、どうしてそうできようか。その次に、王猛(前秦の宰相)が秦を保ち、謝安(東晋の宰相)が晋を守ったのは、将に任せ人材を選び、備えを整えて自ら固めたのでなければ、どうしてそうできようか。だから
解説
関連する章句
-
李衛公問対・卷上太宗曰く、「漢の張良・韓信、兵法を序次すること、凡そ百八十二家、要用を刪(けづ)り取りて、定めて三十五家を著す。今其の伝を失ふは何ぞや。」靖曰く、「張良の学ぶ所は、太公の『六韜』『三略』是れなり。韓信の学ぶ所は、穰苴・孫武是れなり。然れども大体は三門・四種を出でざるのみ。」太宗曰く、「何をか三門と謂ふ。」靖曰く、「臣案ずるに、太公の『謀』八十一篇は、所謂陰謀にして言を以て窮むべからず。太公の『言』七十一篇は、兵を以て窮むべからず。太公の『兵』八十五篇は、財を以て窮むべからず。此れ三門なり。」太宗曰く、「何をか四種と謂ふ。」靖曰く、「漢の任宏の論ずる所是れなり。凡そ兵家の流、権謀を一種と為し、形勢を一種と為し、及び陰陽・技巧の二種、此れ四種なり。」太宗曰く、「『司馬法』首めに蒐狩を序するは何ぞや。」靖曰く、「其の時に順ひて、之を要するに神を以てし、其の事を重んずるなり。周の礼に最も大政と為す。成に岐陽の蒐有り、康に酆宮の朝有り、穆に塗山の会有り。此れ天子の事なり。周の衰ふるに及び、斉桓に昭陵の師有り、晋文に践土の盟有り。此れ諸侯の天子の事を奉行するなり。其の実は九伐の法を用ゐて、以て不恪を威し、之に仮るに朝会を以てし、之に因るに巡狩を以てし、之を訓ふるに甲兵を以てす。言ふこころは、事無くして兵は妄りに挙げず、必ず農隙に於いてし、武備を忘れざるなり。故に首めに蒐狩を序す、其れ深からずや。」太宗曰く、「『春秋』に楚子の二広の法に云ふ、『百官物に象りて動き、軍政戒めずして備はる』と。此れも亦た周の制を得たるか。」靖曰く、「左氏の説を案ずるに、楚子の乗広は三十乗、広に一卒有り、卒に偏の両あり。軍行くに右轅し、轅を以て法と為す、故に轅を挟みて戦ふ。皆周の制なり。臣謂へらく、百人を卒と曰ひ、五十人を両と曰ふ。此れ是れ毎車一乗に、士百五十人を用ゐ、周の制に比して差(やや)多きのみ。
-
李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
-
李衛公問対・卷中是に反すれば、則ち力逮(およ)ばざる有り。之を治むるの術に非ずんば、安んぞ能く兵に臨まんや。」太宗曰く、「今人の『孫子』を習ふ者は、但だ空文を誦するのみにして、克く其の義を推広すること鮮し。力を治むるの法は、宜しく偏く諸将に告ぐべし。」太宗曰く、「旧将老卒、凋零して殆ど尽き、諸軍新たに置かれ、陣敵を経ず。今教ふるに何の道を以てか要と為す。」靖曰く、「臣常に士を教ふるに、分かちて三等と為す。必ず先づ伍法を結び、伍法既に成れば、之を軍校に授く。此れ一等なり。軍校の法は、一を以て十と為し、十を以て百と為す。此れ一等なり。之を裨将に授け、裨将乃ち諸校の隊を総べ、聚めて陣図と為す。此れ一等なり。大将軍此の三等の教へを察し、是に於いて大いに閲し、制度を稽考し、奇正を分別し、衆に誓ひて罰を行ふ。陛下高きに臨みて之を観れば、施して可ならざる無し。」太宗曰く、「伍法に数家有り、孰れか要と為す。」靖曰く、「臣案ずるに、『春秋』左氏伝に云ふ、『偏を先にし伍を後にす』と。又『司馬法』に曰く、『五人を伍と為す』と。『尉繚子』に「束武令」有り、漢の制に尺籍伍符有り。後世の符籍は、紙を以て之を為る。是に於いて其の制を失へり。臣其の法を酌み、五人より変じて二十五人と為し、二十五人より変じて七十五人と為す。此れ則ち歩卒七十二人、甲士三人の制なり。車を舎てて騎を用ゐれば、則ち二十五人は八馬に当たる。此れ則ち五兵五当の制なり。是れ則ち諸家の兵法、唯だ伍法を要と為す。小列の五人、大列の二十五人、参列の七十五人、又五たび其の数を参(まじ)へて、三百七十五人を得。三百人を正と為し、六十人を奇と為す。此れ則ち百五十人分かれて二正と為り、三十人分かれて二奇と為る。蓋し左右等しきなり。穰苴の所謂『五人を伍と為し、十伍を隊と為す』、今に至るまで之に因る。此れ其の要なり。」
-
李衛公問対・卷上岐の都に始めて、以て井畝を建て、戎車三百両、虎賁三百人、以て軍制を立て、六歩七歩、六伐七伐、以て戦法を教ふ。師を牧野に陳ね、太公百夫を以て師を致し、以て武功を成し、四万五千人を以て、紂の七十万の衆に勝つ。周の『司馬法』は、太公に本づく者なり。太公既に没し、斉人其の遺法を得たり。桓公の天下に覇たるに至りて、管仲に任じ、復た太公の法を修め、之を節制の師と謂ひ、諸侯畢(ことごと)く服す。」太宗曰く、「儒者多く管仲を覇臣なるのみと言ひ、殊に兵法の乃ち王制に本づくを知らざるなり。諸葛亮は王佐の才にして、自ら管・楽に比す。此を以て管仲も亦た王佐なるを知る。但だ周衰ふる時、王用ゐること能はず、故に斉に仮りて師を興すのみ。」靖再拝して曰く、「陛下の神聖、人を知ること此の如し。老臣死すと雖も、昔賢に媿づること無し。臣請ふ、管仲の斉を制するの法を言はん。斉国を三分して以て三軍と為す。五家を軌と為す、故に五人を伍と為す。十軌を里と為す、故に五十人を小戎と為す。四里を連と為す、故に二百人を卒と為す。十連を郷と為す、故に二千人を旅と為す。五郷に一帥、故に万人を軍と為す。亦た『司馬法』の『一帥に五旅、一旅に五卒』の義に由る。其の実は皆太公の遺法を得たり。」太宗曰く、「『司馬法』は、人穰苴(じやうしよ)の述ぶる所と言ふ、是か否か。」靖曰く、「『史記』穰苴伝を案ずるに、斉の景公の時、穰苴善く兵を用ゐ、燕・晋の師を敗る。景公尊びて司馬の官と為す。是に由りて称して司馬穰苴と為し、子孫司馬氏と号す。斉の威王に至りて、古の司馬法を追論し、又穰苴の学ぶ所を述べ、遂に『司馬穰苴書』数十篇有り。今世に伝ふる所の兵家者流、又権謀・形勢・陰陽・技巧の四種に分かるるも、皆司馬法より出づるなり。」
-
李衛公問対・卷下大にして之を言へば、君為るの道なり。小にして之を言へば、将為るの法なり。夫れ其の心を攻むる者は、所謂彼を知る者なり。吾が気を守る者は、所謂己を知る者なり。」太宗曰く、「誠なるかな。朕常に陣に臨み、先づ敵の心と己の心と孰れか審らかなるかを料り、然る後に彼得て知るべし。敵の気と己の気と孰れか治まるかを察し、然る後に我得て知るべし。是を以て彼を知り己を知るは、兵家の大要なり。今の将臣、未だ彼を知らずと雖も、苟も能く己を知らば、則ち安んぞ利を失ふ者有らんや。」靖曰く、「孫武の所謂『先づ勝つべからざるを為す』とは、己を知る者なり。『以て敵の勝つべきを待つ』とは、彼を知る者なり。又曰く、『勝つべからざるは己に在り、勝つべきは敵に在り』と。臣斯須(ししゅ)も敢へて此の誡めを失はず。」太宗曰く、「『孫子』に『三軍は気を奪ふべし』の法を言ふ、『朝の気は鋭く、昼の気は惰(おこた)り、暮の気は帰る。善く兵を用ふる者は、其の鋭気を避け、其の惰帰を撃つ』と。如何。」靖曰く、「夫れ生を含み血を稟(う)け、鼓して闘争を作(な)し、死すと雖も省みざる者は、気然らしむるなり。故に
-
李衛公問対・卷中太宗曰く、「朕諸(もろもろ)の兵書を観るに、孫武に出づるは無し。孫武の十三篇は、虚実に出づるは無し。夫れ兵を用ゐるに、虚実の勢を識れば、則ち勝たざる無し。今諸将の中、但だ能く『実に背きて虚を撃つ』と言ふのみ。其の敵に臨むに及びては、則ち虚実を識る者鮮し。蓋し人を致すこと能はずして、反って敵の致す所と為るが故なり。如何。卿悉く諸将の為に其の要を言へ。」靖曰く、「先づ之に教ふるに奇正相変ずるの術を以てし、然る後に之に語るに虚実の形を以てすれば、可なり。諸将多く奇を以て正と為し、正を以て奇と為すを知らず。且つ安んぞ虚は是れ実、実は是れ虚なるを識らんや。」太宗曰く、「『之を策りて得失の計を知り、之を作して動静の理を知り、之を形して死生の地を知り、之を角(くら)べて有余不足の処を知る』。此れ則ち奇正は我に在り、虚実は敵に在るか。」靖曰く、「奇正は、敵の虚実を致す所以なり。敵実なれば則ち我必ず正を以てし、敵虚なれば則ち我必ず奇を為す。苟も将奇正を知らずんば、則ち敵の虚実を知ると雖も、安んぞ能く之を致さんや。臣詔を奉じ、但だ諸将に教ふるに奇正を以てし、然る後に虚実自ら知らん。」太宗曰く、「奇を以て正と為すとは、敵其の奇を意へば、則ち吾正もて之を撃つ。正を以て奇と為すとは、敵其の正を意へば、則ち吾奇もて之を撃つ。敵の勢をして常に虚、我の勢をして常に実ならしむ。当に此の法を以て諸将に授け、暁(さと)り易からしむべし。」靖曰く、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る