李衛公問対 / 卷下
示敵以不足,則敵必來攻,此是敵不知其所攻者也;示敵以有餘,則敵必自守,此是敵不知其所守者也。攻守一決,敵與我分為二事。若我事得,則敵事敗;敵事得,則我事敗。得失成敗,彼我之事分焉。攻守者,一而已矣;得一者,百戰百勝。故曰:『知彼知己,百戰不殆。』其知一之謂乎?」靖再拜曰:「深乎!聖人之法也。
新字:示敵以不足,則敵必来攻,此是敵不知其所攻者也;示敵以有余,則敵必自守,此是敵不知其所守者也。攻守一決,敵与我分為二事。若我事得,則敵事敗;敵事得,則我事敗。得失成敗,彼我之事分焉。攻守者,一而已矣;得一者,百戦百勝。故曰:『知彼知己,百戦不殆。』其知一之謂乎?」靖再拝曰:「深乎!聖人之法也。
書き下し
敵に示すに足らざるを以てすれば、則ち敵必ず来たり攻む、此れ是れ敵其の攻むる所を知らざる者なり。敵に示すに余り有るを以てすれば、則ち敵必ず自ら守る、此れ是れ敵其の守る所を知らざる者なり。攻守一決し、敵と我と分かれて二事と為る。若し我が事得れば、則ち敵の事敗る。敵の事得れば、則ち我が事敗る。得失成敗、彼我の事分かる。攻守は、一のみ。一を得る者は、百戦百勝す。故に曰く、『彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)ふからず』と。其れ一を知るの謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、聖人の法や。
現代語訳
(太宗が続けた。)敵に不足を示せば、敵は必ず攻めて来る。これこそ敵がどこを攻めればよいか分からないということである。敵に余裕を示せば、敵は必ず自ら守る。これこそ敵がどこを守ればよいか分からないということである。攻守が一つに決すれば、敵と我とは二つの事に分かれる。もし我の事がうまくいけば、敵の事は敗れる。敵の事がうまくいけば、我の事は敗れる。得失と成敗は、彼と我の事として分かれるのである。攻守とは一つのものにすぎない。その一つを会得した者は、百戦して百勝する。だから『彼を知り己を知れば、百戦しても危うくない』と言う。これはその一つを知ることを言うのであろうか。」李靖は再拝して言った。「深いことだ、聖人の法は。
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷下大にして之を言へば、君為るの道なり。小にして之を言へば、将為るの法なり。夫れ其の心を攻むる者は、所謂彼を知る者なり。吾が気を守る者は、所謂己を知る者なり。」太宗曰く、「誠なるかな。朕常に陣に臨み、先づ敵の心と己の心と孰れか審らかなるかを料り、然る後に彼得て知るべし。敵の気と己の気と孰れか治まるかを察し、然る後に我得て知るべし。是を以て彼を知り己を知るは、兵家の大要なり。今の将臣、未だ彼を知らずと雖も、苟も能く己を知らば、則ち安んぞ利を失ふ者有らんや。」靖曰く、「孫武の所謂『先づ勝つべからざるを為す』とは、己を知る者なり。『以て敵の勝つべきを待つ』とは、彼を知る者なり。又曰く、『勝つべからざるは己に在り、勝つべきは敵に在り』と。臣斯須(ししゅ)も敢へて此の誡めを失はず。」太宗曰く、「『孫子』に『三軍は気を奪ふべし』の法を言ふ、『朝の気は鋭く、昼の気は惰(おこた)り、暮の気は帰る。善く兵を用ふる者は、其の鋭気を避け、其の惰帰を撃つ』と。如何。」靖曰く、「夫れ生を含み血を稟(う)け、鼓して闘争を作(な)し、死すと雖も省みざる者は、気然らしむるなり。故に
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「攻守の二事は、其の実一法か。『孫子』言ふ、『善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず。善く守る者は、敵其の攻むる所を知らず』と。即ち敵来たりて我を攻むれば、我も亦之を攻め、我若し自ら守れば、敵も亦之を守るを言はず。攻守両(ふた)つながら斉(ひと)しき、其の術奈何。」靖曰く、「前代此に似て相攻め相守る者、多し。皆曰く、『守るは則ち足らず、攻むるは則ち余り有り』と。便ち足らざるを弱と為し、余り有るを強と為すと謂ふ。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣『孫子』を案ずるに云ふ、『勝つべからざる者は、守るなり。勝つべき者は、攻むるなり』と。
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李衛公問対・卷下後人其の義を暁らざれば、則ち当に攻むべくして守り、当に守るべくして攻む。二役既に殊なり、故に其の法を一にすること能はず。」太宗曰く、「信なるかな。余り有ると足らざると、後人をして其の強弱に惑はしむ。殊に知らず、
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李衛公問対・卷下靖良(やや)久しくして曰く、「誠に聖語の如し。大凡(おほよそ)兵を用ふるに、若し敵人誤らざれば、則ち我が師安んぞ能く克たんや。
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李衛公問対・卷下節制我に在りと云ふのみ。」太宗曰く、「両陣相臨み、戦はざるを言はんと欲するも、安んぞ得べけんや。」靖曰く、「昔晋師秦を伐ち、綏を交へて退く。『司馬法』に曰く、『奔るを逐ふこと遠からず、綏を縦(はな)つも及ばず』と。臣謂へらく綏は、轡を御するの索なり。我が兵既に節制有り、彼の敵も亦行伍を正す、豈に敢へて軽々しく戦はんや。故に出でて綏を交へ、退きて逐はざる有り、各(おのおの)其の失敗を防ぐ者なり。孫武云ふ、『堂堂の陣を撃つ勿かれ、正正の旗を邀(むか)ふる無かれ』と。若し両陣体均しく勢等しければ、苟も一たび軽肆せば、其の乗ずる所と為り、則ち或いは大いに敗る、理然らしむるなり。是の故に、兵に戦はざる有り、必ず戦ふ有り。夫れ戦はざる者は我に在り、必ず戦ふ者は敵に在り。」太宗曰く、「戦はざるは我に在りとは、何の謂ぞや。」靖曰く、「孫武云ふ、『我戦ひを欲せざれば、地を画して之を守るも、敵我と戦ふを得ざるは、其の之く所に乖(そむ)けばなり』と。敵に人有れば、則ち綏を交ふるの間、未だ図るべからざるなり。故に曰く、戦はざるは我に在りと。夫れ必ず戦ふは敵に在りとは、孫武云ふ、『善く敵を動かす者は、之に形(あらは)せば、敵必ず之に従ひ、之に予(あた)ふれば、敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、本を以て之を待つ』と。敵に人無ければ、則ち必ず来たり戦ふ、吾得て以て乗じて之を破る。故に曰く、必ず戦ふ者は敵に在りと。」太宗曰く、「深きかな、節制の兵。
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李衛公問対・卷下若し攻めて守を知らず、守りて攻を知らざれば、唯だに其の事を二にするのみならず、抑(そもそも)又其の官を二にす。口に孫・呉を誦すと雖も、心に攻守両(ふた)つながら斉しきの説を妙思せずんば、其れ孰(たれ)か能く其の然るを知らんや。」太宗曰く、「『司馬法』に言ふ、『国大なりと雖も、戦ひを好めば必ず亡ぶ。天下平らかなりと雖も、戦ひを忘るれば必ず危ふし』と。此れ亦攻守一道か。」靖曰く、「国を有ち家を有つ者、曷(なん)ぞ嘗て攻守を講ぜざらんや。夫れ
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