李衛公問対 / 卷下
攻是守之機,守是攻之策,同歸乎勝而已矣。
新字:攻是守之機,守是攻之策,同帰乎勝而已矣。
書き下し
攻は是れ守の機、守は是れ攻の策なり。同じく勝に歸するのみ。
現代語訳
攻めは守りの糸口であり、守りは攻めのための策である。両者は共に勝利という一つの目的に帰着するにすぎない。
解説
攻めと守りを対立するものではなく、一つの目的に向かう表裏の関係として捉える視点である。守りに徹する場面も、次の攻めへの布石になり得るし、攻める場面も守りを固めるための手段になり得る。仕事でも人間関係でも、積極的に動くべき時と一歩引いて態勢を整える時とを対立させて考えがちだが、どちらも最終的な目的を達するための手段の違いにすぎない。今の行動がどちらの目的につながっているかを意識したい。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
攻守一体目的表裏
関連する章句
-
李衛公問対・卷下敵未だ勝つべからずと謂わば、則ち我は且く自守せん。敵の勝つべきを待ちて、則ち之を攻むるのみ。強弱を以て辭と為すに非ざるなり。
-
李衛公問対・卷下攻むる者は、其の城を攻め其の陳を擊つに止まらず、必ず其の心を攻むるの術有り。守る者は、其の壁を完くし其の陳を堅くするに止まらず、必ずや吾が氣を守りて待つ有り。
-
李衛公問対・卷下太宗曰く、「攻守の二事は、其の実一法か。『孫子』言ふ、『善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず。善く守る者は、敵其の攻むる所を知らず』と。即ち敵来たりて我を攻むれば、我も亦之を攻め、我若し自ら守れば、敵も亦之を守るを言はず。攻守両(ふた)つながら斉(ひと)しき、其の術奈何。」靖曰く、「前代此に似て相攻め相守る者、多し。皆曰く、『守るは則ち足らず、攻むるは則ち余り有り』と。便ち足らざるを弱と為し、余り有るを強と為すと謂ふ。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣『孫子』を案ずるに云ふ、『勝つべからざる者は、守るなり。勝つべき者は、攻むるなり』と。
-
李衛公問対・卷下守るの法は、要は敵に示すに不足を以てするに在り。攻むるの法は、要は敵に示すに有餘を以てするに在るなり。
-
李衛公問対・卷中兵は人を致すを貴び、之を拒まんと欲するに非ざるなり。
-
李衛公問対・卷下後人其の義を暁らざれば、則ち当に攻むべくして守り、当に守るべくして攻む。二役既に殊なり、故に其の法を一にすること能はず。」太宗曰く、「信なるかな。余り有ると足らざると、後人をして其の強弱に惑はしむ。殊に知らず、