李衛公問対 / 卷中
曹公驕而好勝,當時,諸將奉《新書》者,莫敢攻其短。且臨敵立表,無乃晚乎?臣竊觀陛下所製破陳樂舞,前出四表,後綴八旛,左右折旋,趨步金鼓,各有其節,此即八陳圖,四頭八尾之制也。人間但見樂舞之盛,豈有知軍容如斯焉?」太宗曰:「昔漢高帝定天下,歌云:『安得猛士兮守四方。』,蓋兵法可以意授,不可語傳。朕為破陳樂舞,唯卿已曉其表矣,後世其知我不苟作也。」太宗曰:「方色五旗為正乎?旛麾折衝為奇乎?分合為變,其隊數曷為得宜?」靖曰:「臣參用古法,凡三隊合,則旗相倚而不交;五隊合,則兩旗交;十隊合,則五旗交。吹角,開五交之旗,則一復散而為十;開二交之旗,則一復散而為五;開相倚不交之旗,則一復散而為三。兵散則以合為奇,合則以散為奇。三令五申,三散三合,然復歸於正,四頭八尾,乃可教焉,此隊法所宜也。」太宗稱善。太宗曰:「曹公有『戰騎、陷騎、遊騎』,今馬軍何等比乎?」靖曰:「臣案《新書》云:『戰騎居前,陷騎居中,遊騎居後。如此,則是各立名號,分為三類爾。大抵騎隊八馬當車徒二十四人,二十四騎當車徒七十二人,此古制也。車徒常教以正,騎隊常教以奇。』據曹公,前後及中,分為三覆,不言兩廂,舉一端言也。
新字:曹公驕而好勝,当時,諸将奉《新書》者,莫敢攻其短。且臨敵立表,無乃晩乎?臣窃観陛下所製破陳楽舞,前出四表,後綴八旛,左右折旋,趨歩金鼓,各有其節,此即八陳図,四頭八尾之制也。人間但見楽舞之盛,豈有知軍容如斯焉?」太宗曰:「昔漢高帝定天下,歌云:『安得猛士兮守四方。』,蓋兵法可以意授,不可語伝。朕為破陳楽舞,唯卿已暁其表矣,後世其知我不苟作也。」太宗曰:「方色五旗為正乎?旛麾折衝為奇乎?分合為変,其隊数曷為得宜?」靖曰:「臣参用古法,凡三隊合,則旗相倚而不交;五隊合,則両旗交;十隊合,則五旗交。吹角,開五交之旗,則一復散而為十;開二交之旗,則一復散而為五;開相倚不交之旗,則一復散而為三。兵散則以合為奇,合則以散為奇。三令五申,三散三合,然復帰於正,四頭八尾,乃可教焉,此隊法所宜也。」太宗称善。太宗曰:「曹公有『戦騎、陥騎、遊騎』,今馬軍何等比乎?」靖曰:「臣案《新書》云:『戦騎居前,陥騎居中,遊騎居後。如此,則是各立名号,分為三類爾。大抵騎隊八馬当車徒二十四人,二十四騎当車徒七十二人,此古制也。車徒常教以正,騎隊常教以奇。』拠曹公,前後及中,分為三覆,不言両廂,舉一端言也。
書き下し
曹公は驕りて勝つことを好む。当時、諸将の『新書』を奉ずる者、敢へて其の短を攻むる莫し。且つ敵に臨みて表を立つるは、乃ち晩きこと無からんや。臣窃かに陛下の製する所の破陣楽舞を観るに、前に四表を出だし、後に八旛を綴り、左右に折旋し、金鼓に趨歩し、各(おのおの)其の節有り。此れ即ち八陣図、四頭八尾の制なり。人間(じんかん)但だ楽舞の盛んなるを見るのみ、豈に軍容の斯くの如きを知る有らんや。」太宗曰く、「昔漢の高帝天下を定め、歌ひて云ふ、『安(いづく)んぞ猛士を得て四方を守らしめん』と。蓋し兵法は意を以て授くべく、語を以て伝ふべからず。朕破陣楽舞を為(つく)るに、唯だ卿のみ已に其の表を暁れり。後世其れ我が苟(かりそめ)にも作らざるを知らん。」太宗曰く、「方色の五旗を正と為すか。旛麾の折衝を奇と為すか。分合を変と為すに、其の隊数は曷(なに)をか宜しきを得と為す。」靖曰く、「臣古法を参用す。凡そ三隊合すれば、則ち旗相倚りて交はらず。五隊合すれば、則ち両旗交はる。十隊合すれば、則ち五旗交はる。角を吹き、五交の旗を開けば、則ち一復た散じて十と為る。二交の旗を開けば、則ち一復た散じて五と為る。相倚りて交はらざるの旗を開けば、則ち一復た散じて三と為る。兵散ずれば則ち合を以て奇と為し、合すれば則ち散を以て奇と為す。三令五申し、三たび散じ三たび合し、然して復た正に帰す。四頭八尾、乃ち教ふべし。此れ隊法の宜しき所なり。」太宗善しと称す。太宗曰く、「曹公に『戦騎・陥騎・遊騎』有り、今の馬軍は何等にか比する。」靖曰く、「臣『新書』を案ずるに云ふ、『戦騎は前に居り、陥騎は中に居り、遊騎は後に居る。此くの如くんば、則ち是れ各名号を立て、分かちて三類と為すのみ。大抵騎隊の八馬は車徒二十四人に当たり、二十四騎は車徒七十二人に当たる。此れ古制なり。車徒は常に教ふるに正を以てし、騎隊は常に教ふるに奇を以てす』と。曹公に拠れば、前後及び中、分かちて三覆と為し、両廂を言はざるは、一端を挙げて言ふなり。
現代語訳
(李靖が言った。)曹公(曹操)は驕って勝つことを好んだので、当時、その兵書『新書』を奉じる諸将は、あえてその短所を批判する者がいなかった。そもそも敵に臨んでから標識を立てるというのは、遅すぎるのではないか。臣がひそかに陛下の作られた破陣楽の舞を拝見すると、前に四本の標識を出し、後ろに八本の旗を連ね、左右に折れ曲がって旋回し、金鼓の合図に合わせて小走りに進み、それぞれに節度がある。これがすなわち八陣図であり、四頭八尾の編制である。世の人々はただ楽舞の盛大さを見るだけで、軍の陣容がこのようであると知る者があろうか。」太宗は言った。「昔、漢の高帝(劉邦)は天下を平定して、『どうにかして勇士を得て四方を守らせたいものだ』と歌った。思うに兵法は心で授けることはできても、言葉で伝えることはできない。朕が破陣楽の舞を作ったが、ただ卿だけがすでにその表すところを悟った。後世の人も、朕がいい加減に作ったのではないことを知るであろう。」太宗は言った。「方角の色の五旗を正とするのか。旛や麾で折れ曲がり突き進むのを奇とするのか。分かれたり合したりするのを変化とするなら、その隊の数はどうすれば適切になるのか。」李靖は言った。「臣は古法を参照して用いている。およそ三隊が合すれば、旗は寄り添うが交差しない。五隊が合すれば、二本の旗が交差する。十隊が合すれば、五本の旗が交差する。角笛を吹いて、五本交差した旗を開けば、一つがまた散って十となる。二本交差した旗を開けば、一つがまた散って五となる。寄り添って交差しない旗を開けば、一つがまた散って三となる。兵が散っていれば合することを奇とし、合していれば散ることを奇とする。三度命じ五度言い聞かせ、三度散じ三度合して、そうしてまた正に帰る。こうして四頭八尾の陣を教えることができる。これが隊法の適切なあり方である。」太宗はよしと称えた。太宗は言った。「曹公には『戦騎・陥騎・遊騎』があったが、今の騎兵はどれに比べられるか。」李靖は言った。「臣が『新書』を調べると、こう言う。『戦騎は前に、陥騎は中に、遊騎は後ろに位置する。このようにそれぞれ名号を立てて、三類に分けているだけである。おおよそ騎兵の隊の八騎は戦車と歩兵の二十四人に相当し、二十四騎は戦車と歩兵の七十二人に相当する。これが古の制度である。戦車と歩兵には常に正を教え、騎兵の隊には常に奇を教える』と。曹公によれば、前後と中の三つに分けて三覆とし、左右両翼に言及していないのは、一端を挙げて言ったにすぎない。
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷中後人三覆の義を暁らざれば、則ち戦騎必ず陥騎・遊騎より前む、如何ぞ使用せん。臣熟(つら)つら此の法を用ふ。軍を回らし陣を転ずれば、則ち遊騎前に当たり、戦騎後に当たり、陥騎変に臨みて分かる。皆曹公の術なり。」太宗笑ひて曰く、「多少の人か曹公に惑はさる。」太宗曰く、「車・歩・騎の三者は、一法なり。其の用は人に在るか。」靖曰く、「臣『春秋』の『魚麗の陣』を案ずるに、偏を先にし伍を後にす。此れ則ち車歩にして騎無し。之を左右の拒と謂ふは、拒禦を言ふのみにして、出奇の勝を取るに非ざるなり。晋の荀呉狄を伐つに、車を舎(す)てて行と為す。此れ則ち騎多きを便と為し、唯だ奇勝を務む、拒禦のみに非ず。臣其の術を均しくし、凡そ一馬を三人に当て、車歩之に称(かな)はしめ、混じて一法と為し、之を用ふるは人に在り。敵安んぞ吾が車の果たして何くより出で、騎の果たして何くより来たり、徒の果たして何くより従ふを知らんや。或いは九地に潜み、或いは九天に動く、其の知神の如きは、惟だ陛下のみ焉(これ)有り、臣何ぞ以て之を知るに足らんや。」太宗曰く、「太公の書に云ふ、『地は方六百歩或いは六十歩、十二辰を表す』と。其の術如何。」靖曰く、「地を画すること方一千二百歩、開方の形なり。毎部地を占むること二十歩の方、横は五歩を以て一人を立て、縦は四歩を以て一人を立つ。凡そ二千五百人、五方に分かち、空地四処、所謂陣間に陣を容るる者なり。武王紂を伐つに、虎賁各(おのおの)三千人を掌り、毎陣六千人、共に三万の衆、此れ太公の地を画するの法なり。」太宗曰く、「卿の六花陣は地を画すること幾何(いくばく)ぞ。」靖曰く、「大閲には、地は方千二百歩なる者、其の義は六陣、各地を占むること四百歩、分かちて東西両廂と為し、空地一千二百歩を教戦の所と為す。臣嘗て士三万を教ふるに、毎陣五千人、其の一を以て営法と為し、五を方・円・曲・直・鋭の形と為し、毎陣五変、凡そ二十五変にして止む。」
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李衛公問対・卷中臣其の術を修む。凡そ隊を立つるに、相去ること各々十歩。駐隊は前隊を去ること二十歩。一隊を隔つる毎に、一戦隊を立つ。前進するに五十歩を以て節と為す。角一声すれば、諸隊皆散立し、十歩の内に過ぎず。第四の角声に至りて、槍を籠めて跪坐す。是に於いて之に鼓し、三たび呼び三たび撃ち、三十歩より五十歩に至り、以て敵の変を制す。馬軍は背より出で、亦た五十歩にして時に臨みて節止す。前は正、後は奇にして、敵の如何を観る。再び之に鼓すれば、則ち前は奇、後は正にして、復た敵の来るを邀へ、隙を伺ひて虚を擣(つ)く。此れ六花の大率皆然り。」太宗曰く、「曹公の『新書』に云ふ、『陣を作りて敵に対するに、必ず先づ表を立て、兵を引きて表に就きて陣す。一部敵を受け、余部進みて救はざる者は、斬る』と。此れ何の術ぞや。」靖曰く、「敵に臨みて表を立つるは非なり。此れ但だ戦ひを教ふる時の法のみ。
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李衛公問対・卷上是を以て、素より分かつ者は教閲なり。時に臨みて変を制する者は、勝げて窮むべからざるなり。」太宗曰く、「深きかな、深きかな。曹公必ず之を知れり。但だ『新書』は諸将に授くる所以のみにして、奇正の本法に非ず。」太宗曰く、「曹公云ふ、『奇兵は旁(かたはら)より撃つ』と。卿謂ふこと若何(いかん)。」靖曰く、「臣曹公の『孫子』に註するを案ずるに曰く、『先に出でて合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す』と。此れ旁撃の拘りと異なれり。臣愚かにも謂へらく、大衆の合する所を正と為し、将の自ら出だす所を奇と為す。烏(いづく)んぞ先後・旁撃の拘り有らんや。」太宗曰く、「吾の正は、敵をして視て以て奇と為さしめ、吾の奇は、敵をして視て以て正と為さしむ。斯れ所謂『人を形(あら)はす』者か。奇を以て正と為し、正を以て奇と為し、変化測る莫し。斯れ所謂『形無し』といふ者か。」靖再拝して曰く、「陛下の神聖、迥(はる)かに古人に出づ、臣の及ぶ所に非ず。」太宗曰く、「分合を変と為すとは、奇正安(いづ)くに在りや。」靖曰く、
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李衛公問対・卷上臣の区区として古制をば、皆纂(あつ)めて以て図にする所以の者は、有制の兵と成らんことを庶(こひねが)へばなり。」太宗曰く、「卿我が為に古の陣法を択び、悉く図にして以て上(たてまつ)れ。」太宗曰く、「蕃兵は唯だ勁馬奔衝す、此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩犄角す、此れ正兵か。」靖曰く、「『孫子』を案ずるに云ふ、『善く兵を用ゐる者は、之を勢に求めて、人に貴ばず。故に能く人を択びて勢に任ず』と。夫れ所謂人を択ぶとは、各々蕃漢の長ずる所に随ひて戦ふなり。蕃は馬に長じ、馬は速闘に利あり。漢は弩に長じ、弩は緩戦に利あり。此れ自然に各々其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分かつ所に非ず。臣前に曾て蕃漢を部するに必ず号を変じ服を易ふるは、奇正相生ずるの法なり。馬にも亦た正有り、弩にも亦た奇有り、何の常か之れ有らんや。」太宗曰く、「卿更に細かに其の術を言へ。」靖曰く、「先づ之を形(あら)はし、敵をして之に従はしむ、是れ其の術なり。」太宗曰く、「朕之を悟れり。『孫子』に曰く、『兵を形はすの極は、無形に至る』と。又曰く、『形に因りて勝ちを衆に措くも、衆知ること能はず』と。其れ此の謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、陛下の聖慮、已に思ひ半ばに過ぎたり。」太宗曰く、「近ごろ契丹・奚皆内属す。松漠・饒楽の二都督を置き、安北都護に統べしむ。朕薛万徹を用ゐんとす、如何。」靖曰く、「万徹は阿史那社尒及び執失思力・契苾何力に如かず。此れ皆蕃臣の兵を知る者なり。常に之と松漠・饒楽の山川道路、蕃情の逆順を言ふに因り、遠くは西域の部落十数種に至るまで、歴歴として信ずべし。臣之に教ふるに陣法を以てすれば、点頭して義に服せざるは無し。望むらくは陛下之に任じて疑ふ勿れ。万徹の若きは、則ち勇にして謀無く、以て独り任じ難し。」太宗笑ひて曰く、「蕃人皆卿の役使する所と為る。古人云ふ、『蛮夷を以て蛮夷を攻むるは、中国の勢なり』と。卿之を得たり。」
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李衛公問対・卷上周の一乗は、歩卒七十二人、甲士三人なり。二十五人を以て一甲と為し、凡そ三甲、共に七十五人なり。楚は山沢の国にして、車少なく人多し。分かちて三隊と為せば、則ち周の制と同じ。」太宗曰く、「春秋に荀呉狄を伐つに、車を毀ちて行と為す。亦た正兵か、奇兵か。」靖曰く、「荀呉は車の法を用ゐたるのみ。車を舎(す)つと雖も法は其の中に在り。一は左角と為し、一は右角と為し、一は前拒と為し、分かちて三隊と為す。此れ一乗の法なり、千万乗も皆然り。臣曹公の『新書』を案ずるに云ふ、『攻車は七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車は一隊、炊子十人、守装五人、廐養五人、樵汲五人、共に二十五人。攻守二乗、凡そ百人。兵十万を興すに、車千乗を用ゐ、軽重二千』と。此れ大率孫・呉の旧法なり。又漢魏の間の軍制を観るに、五車を隊と為し、僕射一人。十車を師と為し、率長一人。凡そ車千乗に、将吏二人。多多此に倣ふ。臣今の法を以て之を参用すれば、則ち跳盪は騎兵なり。戦鋒隊は歩騎相半ばす。駐隊は車乗を兼ねて出づるなり。臣西のかた突厥を討つに、険を越ゆること数千里、此の制未だ嘗て敢へて易へず。蓋し古法の節制、信に重んずべし。」太宗霊州に幸し、迴(かへ)りて、靖を召して坐を賜ひ、曰く、「朕道宗及び阿史那社尒等に命じて薛延陁を討たしむ。而して鉄勒の諸部漢官を置かんことを乞ふ、朕皆其の請ひに従ふ。延陁西に走る、後患と為らんことを恐る、故に李勣を遣はして之を討たしむ。今荒方悉く平らぐも、然れども諸部蕃漢雑処す。何の道を以てか経久し、両つながら全く之を安んずるを得しめん。」靖曰く、「陛下勅して突厥より回紇の部落に至るまで、凡そ駅を置くこと六十六処、以て斥候を通ず。斯れ已に策を得たり。
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李衛公問対・卷中太宗曰く、「五行陣は如何。」靖曰く、「本(もと)五方の色に因りて此の名を立つ。方・円・曲・直・鋭は、実は地形に因りて然らしむ。凡そ軍素(もと)より此の五者を習はずんば、安んぞ以て敵に臨むべけんや。兵は詭道なり、故に強ひて五行と名づく。之を文(かざ)るに術数相生相克の義を以てするも、其の実は兵の形は水に象(かたど)り、地に因りて流れを制す、此れ其の旨なり。」太宗曰く、「李勣言ふ、『牝牡・方円は、伏兵の法なり』と。古是れ有りや否や。」靖曰く、「牝牡の法は、俗伝に出づ。其の実は陰陽の二義のみ。臣范蠡を案ずるに云ふ、『後るれば則ち陰を用ひ、先んずれば則ち陽を用ふ。敵の陽節を尽くし、吾が陰節を盈たして之を奪ふ』と。此れ兵家の陰陽の妙なり。范蠡又云ふ、『右を設けて牝と為し、左を益して牡と為し、早晏以て天道に順ふ』と。此れ則ち左右・早晏、時に臨みて同じからず、奇正の変に在る者なり。左右は、人の陰陽なり。早晏は、天の陰陽なり。奇正は、天人相変ずるの陰陽なり。若し執りて変ぜざれば、則ち陰陽倶に廃す、如何。牝牡の形を守るのみ。故に之に形(あらは)す者は、奇を以て敵に示す、吾が正に非ざるなり。之に勝つ者は、正を以て敵を撃つ、吾が奇に非ざるなり。此れを奇正相変ずと謂ふ。兵の伏する者は、山谷草木に止まらず、伏蔵する所以を伏と為すなり。其の正は山の如く、其の奇は雷の如く、敵対面すと雖も、吾が奇正の所在を測る莫し。此に至りては、夫れ何の形か之れ有らん。」太宗曰く、「四獣の陣、又商・羽・徴・角を以て之に象るは、何の道ぞや。」靖曰く、「詭道なり。」太宗曰く、「廃すべきか。」靖曰く、「之を存するは能く之を廃する所以なり。若し廃して用ひざれば、詭愈(いよいよ)甚だし。」太宗曰く、「何の謂ぞや。」靖曰く、「之を仮るに四獣の陣、及び天地風雲の号を以てし、又商金・羽水・徴火・角木の配を加ふ、此れ皆兵家自古の詭道なり。
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