李衛公問対 / 卷中
此步法也。教士猶布棊於盤,若無畫路,棊安用之?孫武曰:『地生度,度生量,量生數,數生稱,稱生勝。勝兵若以鎰稱銖,敗兵若以銖稱鎰。』皆起於度量方國也。」太宗曰:「深乎!孫武之言。不度地之遠近,形之廣狹,則何以制其節乎?」靖曰:「庸將罕能知其節者也。
新字:此歩法也。教士猶布棋於盤,若無画路,棋安用之?孫武曰:『地生度,度生量,量生数,数生称,称生勝。勝兵若以鎰称銖,敗兵若以銖称鎰。』皆起於度量方国也。」太宗曰:「深乎!孫武之言。不度地之遠近,形之広狭,則何以制其節乎?」靖曰:「庸将罕能知其節者也。
書き下し
此れ歩法なり。士を教ふるは猶ほ棊(ご)を盤に布くがごとし。若し画路無くんば、棊安んぞ之を用ゐん。孫武曰く、『地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。勝兵は鎰を以て銖を称るが若く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し』と。皆度量の方国より起こるなり。」太宗曰く、「深きかな、孫武の言。地の遠近、形の広狭を度らずんば、則ち何を以て其の節を制せんや。」靖曰く、「庸将は能く其の節を知る者罕なり。
現代語訳
(呉起のその言葉は)歩法のことである。兵士を教えるのは、碁石を盤に並べるようなものだ。もし盤に線がなければ、碁石をどう使えようか。孫武は言っている、『地形から距離が生まれ、距離から物量が生まれ、物量から兵数が生まれ、兵数から力の比較が生まれ、比較から勝利が生まれる。勝つ軍は鎰(いつ、重い単位)で銖(しゅ、軽い単位)を量るようであり、負ける軍は銖で鎰を量るようだ』と。みな度量の方形の区画から起こるのである。」太宗が言った。「深いな、孫武の言葉は。地の遠近や地形の広狭を測らなければ、どうしてその節度を定められようか。」李靖が言った。「凡庸な将でその節度を知る者はまれである。
解説
関連する章句
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孫子・形篇兵法は、一に曰く度、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰を以て銖を称るが若く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し。勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の谿に決するが若き者は形なり。
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李衛公問対・卷中是に反すれば、則ち力逮(およ)ばざる有り。之を治むるの術に非ずんば、安んぞ能く兵に臨まんや。」太宗曰く、「今人の『孫子』を習ふ者は、但だ空文を誦するのみにして、克く其の義を推広すること鮮し。力を治むるの法は、宜しく偏く諸将に告ぐべし。」太宗曰く、「旧将老卒、凋零して殆ど尽き、諸軍新たに置かれ、陣敵を経ず。今教ふるに何の道を以てか要と為す。」靖曰く、「臣常に士を教ふるに、分かちて三等と為す。必ず先づ伍法を結び、伍法既に成れば、之を軍校に授く。此れ一等なり。軍校の法は、一を以て十と為し、十を以て百と為す。此れ一等なり。之を裨将に授け、裨将乃ち諸校の隊を総べ、聚めて陣図と為す。此れ一等なり。大将軍此の三等の教へを察し、是に於いて大いに閲し、制度を稽考し、奇正を分別し、衆に誓ひて罰を行ふ。陛下高きに臨みて之を観れば、施して可ならざる無し。」太宗曰く、「伍法に数家有り、孰れか要と為す。」靖曰く、「臣案ずるに、『春秋』左氏伝に云ふ、『偏を先にし伍を後にす』と。又『司馬法』に曰く、『五人を伍と為す』と。『尉繚子』に「束武令」有り、漢の制に尺籍伍符有り。後世の符籍は、紙を以て之を為る。是に於いて其の制を失へり。臣其の法を酌み、五人より変じて二十五人と為し、二十五人より変じて七十五人と為す。此れ則ち歩卒七十二人、甲士三人の制なり。車を舎てて騎を用ゐれば、則ち二十五人は八馬に当たる。此れ則ち五兵五当の制なり。是れ則ち諸家の兵法、唯だ伍法を要と為す。小列の五人、大列の二十五人、参列の七十五人、又五たび其の数を参(まじ)へて、三百七十五人を得。三百人を正と為し、六十人を奇と為す。此れ則ち百五十人分かれて二正と為り、三十人分かれて二奇と為る。蓋し左右等しきなり。穰苴の所謂『五人を伍と為し、十伍を隊と為す』、今に至るまで之に因る。此れ其の要なり。」
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李衛公問対・卷下卿為に歴代の節制を善くする者を纂述し、図を具へて来たり上れ。朕当に其の精微を択び、後世に垂るべし。」靖曰く、「臣前に進むる所の黄帝・太公の二陣図、并(なら)びに『司馬法』・諸葛亮の奇正の法、此れ已に精悉なり。歴代の名将、其の一二を用ひ、功を成す者も亦衆し。但だ史官は兵を知ること鮮(すくな)く、其の実迹を紀すこと能はず。臣敢へて詔を奉ぜざらんや、当に纂述して以て聞すべし。」太宗曰く、「兵法は、孰れをか最も深しと為す。」靖曰く、「臣常に分かちて三等と為し、学ぶ者をして当に漸にして至らしむ。一に曰く道、二に曰く天地、三に曰く将法。夫れ道の説は、至微至深なり。『易』の所謂『聡明叡智、神武にして殺さず』とは是れなり。夫れ天の説は陰陽、地の説は険易なり。善く兵を用ふる者は、能く陰を以て陽を奪ひ、険を以て易を攻む。『孟子』の所謂『天の時・地の利』とは是れなり。夫れ将法の説は、人に任じ器を利するに在り。『三略』の所謂『士を得る者は昌(さか)ゆ』、『管子』の所謂『器は必ず堅利なり』とは是れなり。」太宗曰く、「然り。吾謂(おも)へらく、戦はずして人の兵を屈する者は、上なり。百戦百勝する者は、中なり。溝を深くし塁を高くして以て自ら守る者は、下なり。是を以て校量すれば、孫武の書を著すや、三等皆具はる。」靖曰く、「其の文を観、其の事を迹(たづ)ぬれば、亦差別すべし。張良・范蠡・孫武の若きは、脱然として高く引き、往く所を知らず。此れ道を知るに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。楽毅・管仲・諸葛亮の若きは、戦へば必ず勝ち、守れば必ず固し。此れ天の時・地の利を察するに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。其の次、王猛の秦を保ち、謝安の晋を守る、将に任じ材を択び、繕完して自ら固むるに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。故に
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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李衛公問対・卷下節制我に在りと云ふのみ。」太宗曰く、「両陣相臨み、戦はざるを言はんと欲するも、安んぞ得べけんや。」靖曰く、「昔晋師秦を伐ち、綏を交へて退く。『司馬法』に曰く、『奔るを逐ふこと遠からず、綏を縦(はな)つも及ばず』と。臣謂へらく綏は、轡を御するの索なり。我が兵既に節制有り、彼の敵も亦行伍を正す、豈に敢へて軽々しく戦はんや。故に出でて綏を交へ、退きて逐はざる有り、各(おのおの)其の失敗を防ぐ者なり。孫武云ふ、『堂堂の陣を撃つ勿かれ、正正の旗を邀(むか)ふる無かれ』と。若し両陣体均しく勢等しければ、苟も一たび軽肆せば、其の乗ずる所と為り、則ち或いは大いに敗る、理然らしむるなり。是の故に、兵に戦はざる有り、必ず戦ふ有り。夫れ戦はざる者は我に在り、必ず戦ふ者は敵に在り。」太宗曰く、「戦はざるは我に在りとは、何の謂ぞや。」靖曰く、「孫武云ふ、『我戦ひを欲せざれば、地を画して之を守るも、敵我と戦ふを得ざるは、其の之く所に乖(そむ)けばなり』と。敵に人有れば、則ち綏を交ふるの間、未だ図るべからざるなり。故に曰く、戦はざるは我に在りと。夫れ必ず戦ふは敵に在りとは、孫武云ふ、『善く敵を動かす者は、之に形(あらは)せば、敵必ず之に従ひ、之に予(あた)ふれば、敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、本を以て之を待つ』と。敵に人無ければ、則ち必ず来たり戦ふ、吾得て以て乗じて之を破る。故に曰く、必ず戦ふ者は敵に在りと。」太宗曰く、「深きかな、節制の兵。
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「太公云ふ、『歩兵を以て車騎と戦ふ者は、必ず丘墓・険阻に依る』と。又『孫子』に云ふ、『天隙の地、丘墓・故城は、兵処るべからず』と。如何。」靖曰く、
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