李衛公問対 / 卷上
若謝玄之破苻堅,非謝玄之善也,蓋苻堅之不善也。」太宗顧侍臣,檢〈謝玄傳〉,閱之,曰:「苻堅甚處是不善?」靖曰:「臣觀《苻堅載記》曰:『秦諸軍皆潰敗,唯慕容垂一軍獨全。堅以千餘騎赴之,垂子寶勸垂殺堅,不果。』此有以見秦軍之亂,慕容垂獨全,蓋堅為垂所陷明矣!夫為人所陷而欲勝敵,不亦難乎?臣固曰:無術焉,苻堅之類是也。」太宗曰:
新字:若謝玄之破苻堅,非謝玄之善也,蓋苻堅之不善也。」太宗顧侍臣,検〈謝玄伝〉,閲之,曰:「苻堅甚処是不善?」靖曰:「臣観《苻堅載記》曰:『秦諸軍皆潰敗,唯慕容垂一軍独全。堅以千余騎赴之,垂子宝勧垂殺堅,不果。』此有以見秦軍之乱,慕容垂独全,蓋堅為垂所陥明矣!夫為人所陥而欲勝敵,不亦難乎?臣固曰:無術焉,苻堅之類是也。」太宗曰:
書き下し
謝玄の苻堅を破るが若きは、謝玄の善きに非ず、蓋し苻堅の不善なるなり。」太宗侍臣を顧み、「謝玄伝」を検して之を閲し、曰く、「苻堅は甚(いづ)れの処か是れ不善なる。」靖曰く、「臣『苻堅載記』を観るに曰く、『秦の諸軍皆潰敗し、唯だ慕容垂の一軍のみ独り全し。堅千余騎を以て之に赴く。垂の子宝、垂に堅を殺さんことを勧むるも、果たさず』と。此れ以て秦軍の乱れを見る有り。慕容垂独り全きは、蓋し堅の垂に陥れらるること明らかなり。夫れ人に陥れられて敵に勝たんと欲するは、亦た難からずや。臣固より曰ふ、術無しと。苻堅の類是れなり。」太宗曰く、
現代語訳
たとえば謝玄(しゃげん、東晋の将)が苻堅(ふけん、前秦の君主)を破ったのは、謝玄が優れていたからではなく、苻堅がまずかったからである。」太宗は侍臣を振り返り、(『晋書』の)「謝玄伝」を取り出させて読み、言った。「苻堅はどこがまずかったのか。」李靖が言った。「臣が『苻堅載記』(『晋書』の苻堅の記録)を読むと、『秦の諸軍はみな潰走したが、ただ慕容垂(ぼようすい、のちの後燕の建国者)の一軍だけが無傷だった。苻堅は千余騎を率いてそこへ赴いた。慕容垂の子の宝は父に苻堅を殺すよう勧めたが、果たさなかった』とある。ここから秦軍の乱れが見て取れる。慕容垂だけが無傷だったのは、苻堅が慕容垂に陥れられたことを明らかに示している。そもそも人に陥れられながら敵に勝とうとするのは、難しいことではないか。臣がもともと術がないと言うのは、苻堅のような者のことである。」太宗が言った。
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「然り。苻堅初め王猛を得て、実に兵を知り、遂に中原を取る。猛卒するに及び、堅果たして敗る。此れ縻軍の謂か。呉漢光武の任ずる所と為り、兵遥かに制せず、故に漢果たして蜀を平らぐ。此れ孤旅に陥らざるの謂か。得失の事迹、万代の鑑と為すに足る。」太宗曰く、
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『長短経』臣行虞南曰く「昔、顧雍の侯に封ぜらるるの日、家人知らず。前代、其の質重を称し、以て偶と為す莫し。夫れ東晋の衰微を以て、彊場日に駭く。況んや永固〔苻堅の字なり。〕は六夷の英主にして、親ら百万を率い、苻融は儁才の名相にして、鋭を執りて先駆す。虎狼の爪牙を厲まし、長蛇の鋒鍔を騁す。先ず賓館を築きて、以て晋君を待つ。強弱を論ずれば、鴻毛と太山と、喩えと為すに足らず。文靖は深く桓沖の援を拒み、謝玄の書を喜ばず。則ち勝敗の数は、固より已に胸中に存するなり。夫れ斯の人や、豈に区々たる万戸の封を以て、其の方寸を動かす者ならんや。若し其の度量を論ぜば、近古以来、未だ其の匹を見ず」と。
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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『長短経』覇図三年、粛宗崩ず。孝武帝昌明に至りて立つ。簡文皇帝の三子なり。羝賊苻堅、淮南を寇す。晋の冠軍将軍謝玄等、大いに堅を淝水に破る。〈苻堅、百万の衆を以て淝水に至る。謝玄、乃ち勇士八千人を選び、淝水を渉り渡る。玄、使いを遣わして堅に謂いて曰く「水を阻みて陣と為さば、日を曠しくして持久せん。請う、小しく却きて、君と周旋せん」と。秦の諸将、前軍の却くを聞き、已に利を失えりと謂う。朱序の徒、声して堅敗ると云う。大軍退き、自ら相い填籍す。風声鶴唳を聞き、皆な曰く、南軍至ると。遂に大敗す。〉堅、長安に還る。〈苻堅、此に因りて卒に亡滅するなり。〉二十一年、帝崩ず。自後、遂に干戈相い継ぐ。安帝に至り、桓玄の簒う所と為る。宋祖劉裕、玄を平らぐ。恭帝に至り、遂に宋に禅る。
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李衛公問対・卷上且つ右軍却かずんば、則ち老生安んぞ之を致して来らしめんや。法に曰く、『利して之を誘ひ、乱して之を取る』と。老生は兵を知らず、勇を恃みて急に進み、後を断たるるを意はずして、陛下に擒にせらる。此れ所謂奇を以て正と為すなり。」太宗曰く、「霍去病は暗に孫・呉と合ふと、誠に是れ有るかな。右軍の却くに当たりてや、高祖色を失ふ。朕の奮ひ撃つに及びて、反って我が利と為る。孫・呉に暗合すとは、卿実に言を知れり。」太宗曰く、「凡そ兵の却くは、皆之を奇と謂ふべきか。」靖曰く、「然らず。夫れ兵の却くに、旗参差として斉はず、鼓大小ありて応ぜず、令喧囂(けんごう)として一ならざるは、此れ真の敗却にして、奇に非ざるなり。若し旗斉ひ鼓応じ、号令一の如く、紛紛紜紜として、退走すと雖も、敗に非ざるなり、必ず奇有るなり。法に曰く、『佯(いつは)り北(に)ぐるは追ふ勿れ』と。又曰く、『能にして之に不能を示す』と。皆奇の謂なり。」太宗曰く、「霍邑の戦ひ、右軍少しく却くは、其れ天か。老生の擒にせらるるは、其れ人か。」靖曰く、「若し正兵変じて奇と為り、奇兵変じて正と為るに非ずんば、則ち安んぞ能く勝たんや。故に
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李衛公問対・卷上前代の戦闘は、多くは小術を以て術無きに勝ち、片善を以て善無きに勝つ。斯れ安んぞ以て兵法を論ずるに足らんや。
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