李衛公問対 / 卷下
太宗曰:「然。苻堅初得王猛,實知兵,遂取中原。及猛卒,堅果敗,此縻軍之謂乎?吳漢為光武所任,兵不遙制,故漢果平蜀,此不陷孤旅之謂乎?得失事迹,足為萬代鑑。」太宗曰:
新字:太宗曰:「然。苻堅初得王猛,実知兵,遂取中原。及猛卒,堅果敗,此縻軍之謂乎?呉漢為光武所任,兵不遥制,故漢果平蜀,此不陥孤旅之謂乎?得失事迹,足為万代鑑。」太宗曰:
書き下し
太宗曰く、「然り。苻堅初め王猛を得て、実に兵を知り、遂に中原を取る。猛卒するに及び、堅果たして敗る。此れ縻軍の謂か。呉漢光武の任ずる所と為り、兵遥かに制せず、故に漢果たして蜀を平らぐ。此れ孤旅に陥らざるの謂か。得失の事迹、万代の鑑と為すに足る。」太宗曰く、
現代語訳
太宗は言った。「そのとおりだ。苻堅(前秦の君主)は初め王猛(前秦の宰相)を得て、実によく兵を知り、ついに中原を取った。王猛が死ぬと、苻堅は果たして敗れた。これが縻軍(分けるべきときに分けられず縛られた軍)ということか。呉漢(後漢の将)は光武帝に任され、兵を遠くから制御されることがなかったので、呉漢は果たして蜀を平定した。これが孤立した軍に陥らないということか。これらの得失の事跡は、万代の鑑とするに足る。」太宗は言った。
解説
李靖が引いた太公の言葉、すなわち分けるべきときに分けないのを縻軍、集めるべきときに集めないのを孤旅とする説を受けて、太宗が実例に当てはめる。苻堅は名宰相の王猛がいた間は兵を正しく使えたが、その死後は大軍を一つに束ねたまま淝水で崩れた。呉漢は光武帝から全権を委ねられ、遠方の朝廷から指図されなかったので、分屯しても連携して蜀を平らげた。組織でも、分権と集中の加減を誤れば大きな力も生かせない。現場に権限を委ねながら、いざというときには結集できる体制こそが強いという教訓は、今も変わらない。
関連する章句
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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李衛公問対・卷中之を存すれば、則ち余の詭復た増さず。之を廃すれば、則ち貪を使ひ愚を使ふの術、何に従りてか施さんや。」太宗良(やや)久しくして曰く、「卿宜しく之を秘し、外に泄らす無かるべし。」太宗曰く、「厳刑峻法、人をして我を畏れて敵を畏れざらしむ、朕甚だ之に惑ふ。昔光武孤軍を以て王莽の百万の衆に当たる、刑法の之に臨む有るに非ず。此れ何に由るや。」靖曰く、「兵家の勝敗は、情状万殊にして、一事を以て推すべからざるなり。陳勝・呉広の秦師を敗るが如き、豈に勝・広の刑法能く秦に加はらんや。光武の起こるや、蓋し人心の莽を怨むに順ふなり。況んや又王尋・王邑は兵法を暁らず、徒らに兵衆を誇る、自ら敗るる所以なり。臣『孫子』を案ずるに曰く、
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李衛公問対・卷上謝玄の苻堅を破るが若きは、謝玄の善きに非ず、蓋し苻堅の不善なるなり。」太宗侍臣を顧み、「謝玄伝」を検して之を閲し、曰く、「苻堅は甚(いづ)れの処か是れ不善なる。」靖曰く、「臣『苻堅載記』を観るに曰く、『秦の諸軍皆潰敗し、唯だ慕容垂の一軍のみ独り全し。堅千余騎を以て之に赴く。垂の子宝、垂に堅を殺さんことを勧むるも、果たさず』と。此れ以て秦軍の乱れを見る有り。慕容垂独り全きは、蓋し堅の垂に陥れらるること明らかなり。夫れ人に陥れられて敵に勝たんと欲するは、亦た難からずや。臣固より曰ふ、術無しと。苻堅の類是れなり。」太宗曰く、
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李衛公問対・卷下分かつべくして分たざるは、縻軍と為る。聚まるべくして聚まらざるは、孤旅と為る。
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李衛公問対・卷中何ぞや。」靖曰く、「兵は、已むを得ずして之を用ふ。安んぞ客と為りて且つ久しきに在らんや。『孫子』に曰く、『遠く輸(おく)れば則ち百姓貧し』と。此れ客為るの弊なり。又曰く、『役は籍を再びせず、糧は三たび載せず』と。此れ久しくすべからざるの験なり。臣主客の勢を校量するに、則ち客を変じて主と為し、主を変じて客と為すの術有り。」太宗曰く、「何の謂ぞや。」靖曰く、「『糧を敵に因る』、是れ客を変じて主と為すなり。『飽けるは能く之を飢ゑしめ、佚するは能く之を労せしむ』、是れ主を変じて客と為すなり。故に兵は主客遅速に拘はらず、唯だ発して必ず節に中(あた)る、宜しと為す所以なり。」太宗曰く、「古人に諸(これ)有りや。」靖曰く、「昔越呉を伐つに、左右の二軍を以て鼓を鳴らして進む。呉兵を分かちて之を禦ぐ。越中軍を以て潜かに渉り、鼓せず、襲ひて呉師を敗る。此れ客を変じて主と為すの験なり。石勒姫澹と戦ふに、澹の兵遠く来たる。勒孔萇を遣はして前鋒と為し、逆へて澹の軍を撃たしむ。孔萇退きて澹来たり追ふ。勒伏兵を以て之を夾撃し、澹の軍大いに敗る。此れ労を変じて佚と為すの験なり。古人此くの如き者多し。」太宗曰く、「鉄蒺藜・行馬は、太公の制する所なり。是なるか。」靖曰く、「之有り。然れども敵を拒ぐのみ。
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李衛公問対・卷上然れども臣愚かにも以謂(おも)へらく、漢の戍(まもり)は宜しく自ら一法を為すべく、蕃落は宜しく自ら一法を為すべし。教習各々異にし、混同せしむる勿れ。或いは寇の至るに遇はば、則ち密かに主将に勅し、時に臨みて号を変じ服を易へ、奇を出だして之を撃たしめん。」太宗曰く、「何の道ぞや。」靖曰く、「此れ所謂『多方以て之を誤らしむ』の術なり。蕃にして之に漢を示し、漢にして之に蕃を示す。彼蕃漢の別を知らずんば、則ち能く我が攻守の計を測る莫し。
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