十八史略 / 『十八史略』東晋・淝水・淝水の戦いと風声鶴唳
秦遣兵分道寇晉陷諸郡執襄陽刺史朱序以歸己而議大擧或謂晉有長江之險堅曰以吾之衆投鞭於江可斷其流時中外皆諫惟慕容垂姚萇欲乘其釁勸之南伐堅遂發長安戎卒六十餘萬騎二十七萬晉以謝石為征討大都督謝玄為前鋒都督督衆八萬拒之劉牢之帥精兵五千趣洛澗直渡水擊秦前鋒梁成斬之石等水陸繼進堅登壽陽城望見晉兵部陣嚴整又望見八公山草木皆以為晉兵憮然有懼色秦兵逼肥水而陣玄使人謂曰移陣小卻使我兵得渡以決勝負可乎堅欲聽晉兵半渡擊之麾兵使卻秦兵退不可復止朱序在陣後呼曰秦兵敗矣遂潰玄等乘勝追擊秦兵大敗走者聞風聲鶴唳皆以為晉兵至堅狼狽還長安
新字:秦遣兵分道寇晋陥諸郡執襄陽刺史朱序以帰己而議大挙或謂晋有長江之険堅曰以吾之衆投鞭於江可断其流時中外皆諫惟慕容垂姚萇欲乗其釁勧之南伐堅遂発長安戎卒六十余万騎二十七万晋以謝石為征討大都督謝玄為前鋒都督督衆八万拒之劉牢之帥精兵五千趣洛澗直渡水撃秦前鋒梁成斬之石等水陸継進堅登寿陽城望見晋兵部陣厳整又望見八公山草木皆以為晋兵憮然有懼色秦兵逼肥水而陣玄使人謂曰移陣小却使我兵得渡以決勝負可乎堅欲聴晋兵半渡撃之麾兵使却秦兵退不可復止朱序在陣後呼曰秦兵敗矣遂潰玄等乗勝追撃秦兵大敗走者聞風声鶴唳皆以為晋兵至堅狼狽還長安
書き下し
秦、兵を遣わして道を分かち晋を寇し、諸郡を陥れ、襄陽の刺史朱序を執えて以て帰る。已にして大挙を議す。或るひと謂う、晋に長江の険有り、と。堅曰く、吾が衆を以て鞭を江に投ぜば、其の流れを断つ可し、と。時に中外、皆諫む。惟だ慕容垂・姚萇のみ、其の釁に乗ぜんと欲して之を勧む。南伐し、堅、遂に長安を発す。戎卒六十余万、騎二十七万。晋、謝石を以て征討大都督と為し、謝玄を前鋒都督と為し、衆八万を督して之を拒ぐ。劉牢之、精兵五千を帥い、洛澗に趣き、直ちに水を渡りて秦の前鋒梁成を撃ち、之を斬る。石等、水陸継ぎて進む。堅、寿陽城に登り、晋兵の部陣厳整なるを望見し、又八公山の草木を望見して、皆以て晋兵と為し、憮然として懼れの色有り。秦兵、肥水に逼りて陣す。玄、人をして謂わしめて曰く、陣を移して小しく却け、我が兵をして渡るを得しめ、以て勝負を決せんこと、可ならんか、と。堅、聴かんと欲す。晋兵の半ば渡るを、之を撃つ。兵を麾して却けしむるも、秦兵は退きて復た止む可からず。朱序、陣後に在りて呼びて曰く、秦兵敗れたり、と。遂に潰ゆ。玄等、勝ちに乗じて追撃し、秦兵大いに敗る。走る者、風声・鶴唳を聞き、皆以て晋兵至ると為す。堅、狼狽して長安に還る。
現代語訳
前秦は軍を分けて晋の諸郡を攻め落とし、襄陽の刺史朱序を捕らえて連れ帰りました。やがて大規模な南征が議論され、「晋には長江の険がある」と言う者に対し、符堅は「我が軍が鞭を投げ込めば、川の流れも断てる」と言い放ちました。当時、朝廷内外の誰もが諫めましたが、慕容垂と姚萇だけが、混乱に乗じる意図で勧めました。堅は長安を出発し、歩兵六十余万、騎兵二十七万を動員しました。晋は謝石を総大将、謝玄を先鋒の大将とし、八万の兵で防ぎました。劉牢之が精兵五千を率いて洛澗へ向かい、川を渡って前秦の先鋒梁成を斬りました。石らは水陸から続けて進みました。堅は寿陽城に登り、晋軍の陣が整っているのを見、さらに八公山の草木まで晋兵と思い込んで、恐れの色を浮かべました。秦軍は肥水に迫って布陣しました。謝玄は使者を送り、「陣を少し後ろに下げてもらえれば、我が軍が渡って勝敗を決しましょう」と申し入れ、堅は承知しようとしました。晋軍が半ば渡ったところを撃つつもりで、兵を指揮して後退させましたが、秦軍は退き始めると止められませんでした。朱序が陣の後ろで「秦軍は敗れた」と叫ぶと、全軍が崩れました。謝玄らは勝ちに乗じて追撃し、秦軍は大敗しました。逃げる者は風の音や鶴の鳴き声を聞いても晋兵が来たと思い込みました。堅は慌てふためいて長安に戻りました。
解説

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『長短経』覇図三年、粛宗崩ず。孝武帝昌明に至りて立つ。簡文皇帝の三子なり。羝賊苻堅、淮南を寇す。晋の冠軍将軍謝玄等、大いに堅を淝水に破る。〈苻堅、百万の衆を以て淝水に至る。謝玄、乃ち勇士八千人を選び、淝水を渉り渡る。玄、使いを遣わして堅に謂いて曰く「水を阻みて陣と為さば、日を曠しくして持久せん。請う、小しく却きて、君と周旋せん」と。秦の諸将、前軍の却くを聞き、已に利を失えりと謂う。朱序の徒、声して堅敗ると云う。大軍退き、自ら相い填籍す。風声鶴唳を聞き、皆な曰く、南軍至ると。遂に大敗す。〉堅、長安に還る。〈苻堅、此に因りて卒に亡滅するなり。〉二十一年、帝崩ず。自後、遂に干戈相い継ぐ。安帝に至り、桓玄の簒う所と為る。宋祖劉裕、玄を平らぐ。恭帝に至り、遂に宋に禅る。
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『智囊』制勝・陸遜・陸抗按ずるに、淝水の役、苻融硤石を攻め、堅は大軍を項城に留めて、自ら軽騎八千を引いて之に就く。朱序私かに謝石に謂いて曰く、「若し秦兵尽く至らば、誠に与に敵と為り難し。今諸軍の未だ集まらざるに乗じて、宜しく速やかに之を撃つべし。若し其の前鋒を敗らば、則ち彼已に気を奪われ、遂に破るべし」と。石之に従う。西陵督の歩闡、城を以て晋に降る。抗聞きて、日夜兵を督して西陵に赴き、別に厳囲を築き、内は闡を囲むべく、外は寇を禦ぐべからしめ、而して城を攻めず。諸将咸諫めて曰く、「兵の鋭に及んで、宜しく急に闡を攻むべし。晋の救いの至るに比び、闡は必ず抜けん。何ぞ固めに事として、民力を敝らすや」と。抗曰く、「此の城は甚だ固く、糧も又足れり。其の繕修備禦の具は皆抗が親ら規る所なり。之を攻めて急にして未だ克つ能わず、而して救い且に至らんとす。救い至りて備え無くば、表裏に敵を受く、何を以て之を御がん」と。諸将猶お然りとせず。抗衆を服せしめんと欲し、乃ち一たび攻むるを聴す。果たして利あらず、是に於いて囲備始めて力む。未だ幾ばくならず、晋の楊肇兵を帥いて来り救う。時に我が軍の都督俞賛、忽ち亡げて肇に詣る。抗曰く、「賛は軍中の旧吏なり、吾が虚実を知る。吾嘗て慮る、夷兵は素より簡練せず、若し敵来り攻めば、必ず先ず此の処ならんと」。是の夜夷兵を易え、悉く旧将を以て之を統べしむ。明日、肇果たして故の夷兵の処を攻む。抗之を撃ち、矢石雨のごとく下る。肇夜に遁る。抗追わずして、但だ鳴鼓発喊せしめ、将に攻めんとする者の若くす。肇大いに潰え、引き去る。遂に西陵を復し、闡を誅す。〔評〕陸遜・陸抗、是れ父にして是れ子なり。
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『長短経』臣行虞南曰く「昔、顧雍の侯に封ぜらるるの日、家人知らず。前代、其の質重を称し、以て偶と為す莫し。夫れ東晋の衰微を以て、彊場日に駭く。況んや永固〔苻堅の字なり。〕は六夷の英主にして、親ら百万を率い、苻融は儁才の名相にして、鋭を執りて先駆す。虎狼の爪牙を厲まし、長蛇の鋒鍔を騁す。先ず賓館を築きて、以て晋君を待つ。強弱を論ずれば、鴻毛と太山と、喩えと為すに足らず。文靖は深く桓沖の援を拒み、謝玄の書を喜ばず。則ち勝敗の数は、固より已に胸中に存するなり。夫れ斯の人や、豈に区々たる万戸の封を以て、其の方寸を動かす者ならんや。若し其の度量を論ぜば、近古以来、未だ其の匹を見ず」と。
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李衛公問対・卷上謝玄の苻堅を破るが若きは、謝玄の善きに非ず、蓋し苻堅の不善なるなり。」太宗侍臣を顧み、「謝玄伝」を検して之を閲し、曰く、「苻堅は甚(いづ)れの処か是れ不善なる。」靖曰く、「臣『苻堅載記』を観るに曰く、『秦の諸軍皆潰敗し、唯だ慕容垂の一軍のみ独り全し。堅千余騎を以て之に赴く。垂の子宝、垂に堅を殺さんことを勧むるも、果たさず』と。此れ以て秦軍の乱れを見る有り。慕容垂独り全きは、蓋し堅の垂に陥れらるること明らかなり。夫れ人に陥れられて敵に勝たんと欲するは、亦た難からずや。臣固より曰ふ、術無しと。苻堅の類是れなり。」太宗曰く、
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十八史略・『十八史略』東晋・謝安・捷書を前に碁を打つ謝安晋の太保謝安、卒す。安、文雅にして、徳量は王導に過ぐ。秦の衆の至るに方り、朝野震動す。安、夷然として碁を囲み墅を賭す。捷書至る。安、方に客と碁す。覧畢りて坐側に寘き、喜色無し。碁罷みて、客、之を問う。徐ろに曰く、小児輩、已に遂に賊を破れり、と。客去り、安、戸に入りて喜ぶこと甚だしく、屐歯の折るるを覚えず。其の情を矯めて物を鎮むること、此の如し。
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