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楽訓 / 巻之下・後論

一年老いて、夕日のかたぶける如く、死ぬべき時近くいたりぬれば、命を安んじて、悲むまじき理を知るべし。易の離に、ほとぎをたゝきて歌はずんば、終に大耋のなげきあらんといへり。ほとぎは、人のかたはらにある日用の器なり。これをたゝき歌ふとは、かなしみなく、樂んで日をおくるなり。大耋のなげきは夕日の大にかたぶくをなげくを云ふ。人の老にいたり、死の近きこと、夕日のかたぶく如くなるは、是かくあるべき常の理なれば、嘆くべからず。なげくは常の理を知らず、愚なり。故に凶しといへり。是常に樂みて、老にいたるを嘆くべからずとなり。人の若より老にいたり、死に近きは、四時の行はるゝが如く、定まりたるつねの理なり。然るに、老をなげき、死をくるしむは、理にくらしと云ふべし。

新字:一年老いて、夕日のかたぶける如く、死ぬべき時近くいたりぬれば、命を安んじて、悲むまじき理を知るべし。易の離に、ほとぎをたゝきて歌はずんば、終に大耋のなげきあらんといへり。ほとぎは、人のかたはらにある日用の器なり。これをたゝき歌ふとは、かなしみなく、楽んで日をおくるなり。大耋のなげきは夕日の大にかたぶくをなげくを云ふ。人の老にいたり、死の近きこと、夕日のかたぶく如くなるは、是かくあるべき常の理なれば、嘆くべからず。なげくは常の理を知らず、愚なり。故に凶しといへり。是常に楽みて、老にいたるを嘆くべからずとなり。人の若より老にいたり、死に近きは、四時の行はるゝが如く、定まりたるつねの理なり。然るに、老をなげき、死をくるしむは、理にくらしと云ふべし。

書き下し

一年老いて、夕日のかたぶける如く、死ぬべき時近くいたりぬれば、命を安んじて、悲むまじき理を知るべし。易の離に、ほとぎをたたきて歌はずんば、終に大耋のなげきあらんといへり。ほとぎは、人のかたはらにある日用の器なり。これをたたき歌ふとは、かなしみなく、楽んで日をおくるなり。大耋のなげきは夕日の大にかたぶくをなげくを云ふ。人の老にいたり、死の近きこと、夕日のかたぶく如くなるは、是かくあるべき常の理なれば、嘆くべからず。なげくは常の理を知らず、愚なり。故に凶しといへり。是常に楽みて、老にいたるを嘆くべからずとなり。人の若より老にいたり、死に近きは、四時の行はるるが如く、定まりたるつねの理なり。然るに、老をなげき、死をくるしむは、理にくらしと云ふべし。

現代語訳

年老いて、夕日が傾くように死ぬべき時が近づいたなら、天命に安んじて、悲しむべきでない道理を知るべきです。『易』の離の卦に「ほとぎ(素焼きの器)をたたいて歌わなければ、ついには大耋(老いの極み)の嘆きがある」とあります。ほとぎは人のそばにある日用の器です。これをたたいて歌うとは、悲しみなく、楽しんで日を送ることです。大耋の嘆きとは、夕日が大きく傾くのを嘆くことを言います。人が老いに至り、死が近いことは、夕日が傾くようなもので、これはそうあるべき常の道理ですから、嘆いてはなりません。嘆くのは常の道理を知らないからで、愚かです。だから「凶」と言うのです。これは、常に楽しんで、老いに至るのを嘆いてはならないということです。人が若い時から老いに至り、死に近づくのは、四季がめぐるように定まった常の道理です。それなのに老いを嘆き、死を苦しむのは、道理に暗いと言うべきです。

解説

『易経』離卦の九三の爻辞「日昃之離、不鼓缶而歌、則大耋之嗟、凶」を、益軒が老いの心得として読み解いた一節です。日が傾くのは自然の理であり、ほとぎをたたいて歌うように楽しんで日を送ればよく、老いを嘆くのは理を知らない愚かさで「凶」だと言います。老いから死への流れを四季のめぐりにたとえるのも益軒らしい見方です。老いや死を過度に恐れるより、自然の一部として受け入れることで、残りの日々を穏やかに楽しめるのだと教えています。

この章句が説くこと

老い死易経天命楽しみ

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