楽訓 / 巻之下・後論
老いては身の死なざる事をきらふと云ひしは、古の人、亂世の苦をいへるなり。かゝる世に生れし人の苦、今より思ひやるにも悲むべし。昔より亂世は多く、治世はすくなし。今の人は、いにしへ兵亂の世久しくつゞきて、不幸にうれひにしづめる事を思ひやりて、我が大君の御めぐみと、今の世の太平の樂をわするべからず。蓼蟲はからきことを知らず。今の世に生れては、今の世の樂を知れる人すくなし。古を思ひやりて、今の世を樂むべし。
新字:老いては身の死なざる事をきらふと云ひしは、古の人、乱世の苦をいへるなり。かゝる世に生れし人の苦、今より思ひやるにも悲むべし。昔より乱世は多く、治世はすくなし。今の人は、いにしへ兵乱の世久しくつゞきて、不幸にうれひにしづめる事を思ひやりて、我が大君の御めぐみと、今の世の太平の楽をわするべからず。蓼虫はからきことを知らず。今の世に生れては、今の世の楽を知れる人すくなし。古を思ひやりて、今の世を楽むべし。
書き下し
老いては身の死なざる事をきらふと云ひしは、古の人、乱世の苦をいへるなり。かかる世に生れし人の苦、今より思ひやるにも悲むべし。昔より乱世は多く、治世はすくなし。今の人は、いにしへ兵乱の世久しくつづきて、不幸にうれひにしづめる事を思ひやりて、我が大君の御めぐみと、今の世の太平の楽をわするべからず。蓼虫はからきことを知らず。今の世に生れては、今の世の楽を知れる人すくなし。古を思ひやりて、今の世を楽むべし。
現代語訳
「老いては身が死なないことを嫌う」と言ったのは、昔の人が乱世の苦しみを言ったのです。そのような世に生まれた人の苦しみは、今から思いやっても悲しいものです。昔から乱世は多く、治まった世は少ない。今の人は、昔戦乱の世が長く続いて、人々が不幸に憂いに沈んでいたことを思いやって、我が大君のお恵みと、今の世の太平の楽しみを忘れてはなりません。蓼に住む虫は辛さを知りません。今の世に生まれては、今の世の楽しみを知る人は少ない。昔を思いやって、今の世を楽しむべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之下・後論一万の事、はじめ、事のいまだ備らざりし時を思ひ、今にくらべなば、苦なく楽多かるべし。上古の時は、野に居り穴にすむ。五穀のはむべきなく、きぬ布の著るべきなし。もろもろの器なく、火食を知らず。其苦思ひやるべし。今の世の人は、上古にくらぶるに、事毎にそなはりて、楽むべし。又我がはじめ貧賤なる苦を思ひて、今の時にくらぶべし。戦国の時のうきことを思ひて、今の太平を楽むべし。
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『初学訓』巻之二一いにしへの乱世の時を聞くに、力ある者は、つねに干戈を事として、しばしば戦にのぞみ、力なき者は、粮をつつみて、時々山林に逃げかくる。一日も、安堵の思ひなし。これを思ひて、今の太平の御代の、安穏にして無事なるを楽むべし。農工商は、君に仕へずといへども、又、其国郡を治め給ふ君恩を忘るべからず。大君の御めぐみによりて、かかる太平の楽を享くることを喜ぶべし。
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『慎思録』巻之五安楽の時に当たりて、其の安楽を知らず。故に其の安楽を楽しむこと能はざる者は、常人の情なり。所謂蓼虫の辛きを知らざるの類なり。必ず憂患の時を渉りて、而る後に前時の安楽を知りて之を思ふ。君子は然らず。其の安楽の時に当たるや、必ず其の安楽を知りて之を楽しむ。所謂其の位に素して行ひ、其の外を願はざるなり。
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『楽訓』巻之下・後論一栄啓期が三の楽は、人となり、男子となり、いのち長かりしをいへりしは、誠にさる事なり。今の世の人は、此上に、又大に楽むべきことひとつあり。これを知りて、人ごとに楽むべし。其の可楽はなんぞ。大君の御めぐみによりて、かかる太平の御世に生れ、堯舜の仁にあひて、白頭まで干戈を見ず、是大なる楽にあらずや。康節の世を論ぜし詞に、太平の世に生れ、太平の世に老い、太平の世に死ぬるといへりしは、誠に大なる幸なり。今の世の人皆しかり。乱世に生れては、朝夕兵革を事とし、或は難をのがれさけて、身のおき所もなく、山にも海にも、白波の立田山、夜半にひとり行きがたきのみならず、白日といへど、同じき輩多く伴はざれば、近き所にも往きかへる事やすからざりしとなん。
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『楽訓』巻之下・後論老の身は、殊に残生のいくほどなくて、死期の近きにあらんこと、忘るべからず。もし我が身に禍あらば、古今はなはだしき禍にあへる人多し。それに我が不幸をくらべて見ば、我が禍はさほどなくて、恨なかるべし。是つたなき計のやうに聞ゆめれど、古の賢者のをしへなり。これを試むるにしるしを得る事多し。此計すてがたし。
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『楽訓』巻之下・後論一もし不幸にしてうれひ多からば、我が身はもとよりかかれとてこそ生れけめと思ひ、天命にまかせて、死ぬるまでは楽み、憂なくして過さまほし。達人は命を知りて憂なし。一世には、白髪を見ずして死する人多し。道を知らずして死ぬるは、殊にうらみ多し。此世のありさまをだに知らで、世を早くする事をしむべし。我がともがら白髪を見る事久し。幸とすべし。東坡が詩に、人は白髪を見てうれひ、我は白髪を見てよろこぶといひしもむべなり。
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