楽訓 / 巻之中・節序
一一年の内をすべて思ふに、春は陽氣はじめてのぼり、萬物生ず。空の景色のどかに、人の心もうらゝかにして賑はし。夏は陽氣ことごとく上り、宇內にあまねく滿ち、天地まじはりて、草木しげく、萬物長す。秋は陽氣はじめて下り、陰氣のぼり、萬物藏まりて、景色いさぎよく、人の心にしみて、感ずる事ふかし。春に對して、はた裏表となれり。冬は陽氣ことごとく下り、陰氣專らにして、萬物かくる。夏に對して、又裏表となれり。およそ一年のめぐり、冬にいたりて天地まじはらず、とぢふさがりて品物かくれぬれば、春生じ、夏長じ、秋をさむる如くなるしわざはなくて、月日多くうつろひ行けど、何のうるはしき景氣も見えず、四時の内にて、爲す事なくて、いたづらなる時ぞと見ゆれど、春夏秋のうるはしき景色と、なし出せるしわざと、此時にいたりとゞまり、一年の大なる功をなしをはりて、そこばくの元氣を深く貯へかくして、來れる春の本となる理をふくめるは、此時にぞあんなる。
新字:一一年の内をすべて思ふに、春は陽気はじめてのぼり、万物生ず。空の景色のどかに、人の心もうらゝかにして賑はし。夏は陽気ことごとく上り、宇内にあまねく満ち、天地まじはりて、草木しげく、万物長す。秋は陽気はじめて下り、陰気のぼり、万物蔵まりて、景色いさぎよく、人の心にしみて、感ずる事ふかし。春に対して、はた裏表となれり。冬は陽気ことごとく下り、陰気専らにして、万物かくる。夏に対して、又裏表となれり。およそ一年のめぐり、冬にいたりて天地まじはらず、とぢふさがりて品物かくれぬれば、春生じ、夏長じ、秋をさむる如くなるしわざはなくて、月日多くうつろひ行けど、何のうるはしき景気も見えず、四時の内にて、為す事なくて、いたづらなる時ぞと見ゆれど、春夏秋のうるはしき景色と、なし出せるしわざと、此時にいたりとゞまり、一年の大なる功をなしをはりて、そこばくの元気を深く貯へかくして、来れる春の本となる理をふくめるは、此時にぞあんなる。
書き下し
一一年の内をすべて思ふに、春は陽気はじめてのぼり、万物生ず。空の景色のどかに、人の心もうららかにして賑はし。夏は陽気ことごとく上り、宇内にあまねく満ち、天地まじはりて、草木しげく、万物長す。秋は陽気はじめて下り、陰気のぼり、万物蔵まりて、景色いさぎよく、人の心にしみて、感ずる事ふかし。春に対して、はた裏表となれり。冬は陽気ことごとく下り、陰気専らにして、万物かくる。夏に対して、又裏表となれり。およそ一年のめぐり、冬にいたりて天地まじはらず、とぢふさがりて品物かくれぬれば、春生じ、夏長じ、秋をさむる如くなるしわざはなくて、月日多くうつろひ行けど、何のうるはしき景気も見えず、四時の内にて、為す事なくて、いたづらなる時ぞと見ゆれど、春夏秋のうるはしき景色と、なし出せるしわざと、此時にいたりとどまり、一年の大なる功をなしをはりて、そこばくの元気を深く貯へかくして、来れる春の本となる理をふくめるは、此時にぞあんなる。
現代語訳
一年の内を全体として考えると、春は陽気が初めて昇り、万物が生じます。空の景色はのどかで、人の心もうららかでにぎやかです。夏は陽気がことごとく上り、天下にあまねく満ち、天地が交わって草木が茂り、万物が成長します。秋は陽気が初めて下り、陰気が昇り、万物が収まって、景色はすがすがしく、人の心にしみて深く感じさせます。春に対してまさに表裏となっています。冬は陽気がことごとく下り、陰気がもっぱらとなって、万物は隠れます。夏に対して、また表裏となっています。およそ一年の巡りで、冬になると天地は交わらず、閉じふさがって品物が隠れるので、春に生じ、夏に育て、秋に収めるような働きはなく、月日は多く移っていくのに何の美しい景色も見えず、四季のうちで何もすることのない無駄な時のように見えます。けれども春夏秋の美しい景色と成し遂げた働きがこの時に至って止まり、一年の大きな仕事をし終えて、多くの元気を深く蓄え隠して、来る春の本となる道理を含んでいるのは、この時なのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之六冬気の閉蔵する者は、乃ち終はりを成して兼ねて始めを成す所以なり。蓋し春生じ夏長じ秋収め、三時は各為す所有り。冬に至りては、則ち功成り事遂げて、為す所無き者、是れ往歳の功を成す所以なり。且つ閉蔵の中、生意を含蓄する者は、乃ち来春物を生ずるの始めと為る所以なり。諸を穀実に譬ふれば、其の成熟する者は、功を成す所以なり。其の中に生性有る者は、来春発生の気を含む所以なり。
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『楽訓』巻之中・節序されば冬の気の一方にとぢかくれて、為す事なきは、一年の功成り、事遂げて、終をなせるのみならず、又来る年の発生の恵をふくみたんめれば、始をなせりといふべし。人の夜なよなねいり気しづまれるは、終日のいたはりを休め、明日のうごきなせるしわざの力の本となれり。もし夜よくいねざれば、今日のいたはりを休めがたく、明日のはたらき力なきが如し。冬にあたりて、人も亦天の時にしたがひて、しづかに精神を養ふべし。
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『慎思録』巻之六冬の四時の終はりを成し、又能く四時の始めを成す所以の者は、何ぞや。蓋し陽気の内に潜伏する者は、来年発生の本始と為る所以なり。衆物の外に枯落朽滅する者は、往歳遂成の末終と為る所以なり。上林賦の所謂、季冬の月、万物内に権輿し、外に殂落すと謂ふが如き、是れなり。此れ造化流行の妙理にして、学者の当に玩味すべき所なり。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一天道は、春は生じ、夏は長じ、秋はをさむ。三時は皆事あり。冬はただ生気のかくれしづまるまでにて、しわざなし。夜ふけて人のねいりたる時、無事にしてやすむが如し。冬の気閉蔵するは、即是、来春発生の本なり。冬寒気はげしくして、陽気をさまりかくるれば、来春の陽気さかんなり。故に冬あたたかに雷なりて、陽気動きもるれば、来春の発生の気よわく、秋穀の実のりもうすし。人夜半の後いねざれば、血気しづまらずして、明日力よわし。人心も静なる時に養ひて、動く時の本とすべし。心しづかならず、動きさわげば、わざをつとむるに力なく、まよひてあやまり多し。
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『楽訓』巻之中・節序一いでや天地の内にみちたる四時のけしきの、きはまりなき楽をいはん。春はまづ一夜のほどにあらたまの年立ちかへる朝の空の光、心づからにや、旧年にかはりて長閑けし。睦月はことたつとて、貧しき家にも、春盤などいふものをまうく。又かはらけとりいで、おほみきすすめて、まづつとめて父母にことぶきし、次にみづから祝し、賓客にももてなすさまなど、つねにかはりて、いとなんいみじう珍かなり。時は今は四の始なれば、そらのけしきやうやう引きかへ、こち風ゆるく吹きて、氷とけ、遠き山辺に霞のうすくたなびける、さまざまに物けざやかに見えて、冬の空に立ちかはれる粧、まづ春の来れるしるしあらはなり。かきねがくれに、冬より残れる雪の、ところどころはだれに見ゆるも、去年の名残をしむべし。
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『楽訓』巻之中・節序一一年の内、天地の道常にめぐり、四時に行はれて、万古よりこのかた止まず。其間霞たつより雪の積れるまで、其けしき、をりをりに異なり。又朝夕のけしき日々に異なれる、変態きはまりなき眺也。天にありて象をなせるは、日月の輝き、風雨のうるほひ、霜雪の清らかなる、雲烟のたなびけるは、天の文なり。地にありて形をなせるは、山河のそばたち流れ、江海の深く広き、鳥獣の鳴き動き、草木の生茂れるは、地の文なり。かくの如く、天地の内、四時の行はれ、百物のなれる有様、目のまへにみちみちて、人の見る事を喜ばしめ、心を感ぜしむる事、大なる楽なるかな。これを楽まん人は眼力を以て境界とし、四時を以て良辰として、其楽何ぞ唯人間三公の貴き万戸侯の富に比べんや。よく心をとめて翫ばん人は、其楽極りなかるべし。
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