楽訓 / 巻之中・節序
世の中の、いみじく嬉しき事の、あるが中なる其一なるべし。我が心の樂を知らざる人は、無賴の少年の、閑をぬすみて、そゞろに行樂するに似たりと思ふべし。芳草雨後に秀で、好花風裏にむなしきも、此をりなり。杜が詩に、鶯の歌あたたかにして正にしげしと云ひ、陳希夷が野花啼鳥一般の春と詠ぜしも、皆此時なり。花のゆふばえを、すこし醉にのりて見るも、ことに色まされる心地ぞすなる。花に坐し月に醉ひて、二ながらかねたる樂、春宵一刻値千金、花有淸香月有陰といふ詩を思ひ出でられぬ。又惜花春起早、愛月夜眠遲といへり。古人はかくこそ月花をめでしに、今の人の、あたら夜の月と花とにそむきて、空しく臥すは、いと惜むべし。又夜の間の風のうしろめたきをも知らで、朝起くることおそきは、花を惜まざるなり。
新字:世の中の、いみじく嬉しき事の、あるが中なる其一なるべし。我が心の楽を知らざる人は、無頼の少年の、閑をぬすみて、そゞろに行楽するに似たりと思ふべし。芳草雨後に秀で、好花風裏にむなしきも、此をりなり。杜が詩に、鶯の歌あたたかにして正にしげしと云ひ、陳希夷が野花啼鳥一般の春と詠ぜしも、皆此時なり。花のゆふばえを、すこし酔にのりて見るも、ことに色まされる心地ぞすなる。花に坐し月に酔ひて、二ながらかねたる楽、春宵一刻値千金、花有清香月有陰といふ詩を思ひ出でられぬ。又惜花春起早、愛月夜眠遅といへり。古人はかくこそ月花をめでしに、今の人の、あたら夜の月と花とにそむきて、空しく臥すは、いと惜むべし。又夜の間の風のうしろめたきをも知らで、朝起くることおそきは、花を惜まざるなり。
書き下し
世の中の、いみじく嬉しき事の、あるが中なる其一なるべし。我が心の楽を知らざる人は、無頼の少年の、閑をぬすみて、そぞろに行楽するに似たりと思ふべし。芳草雨後に秀で、好花風裏にむなしきも、此をりなり。杜が詩に、鶯の歌あたたかにして正にしげしと云ひ、陳希夷が野花啼鳥一般の春と詠ぜしも、皆此時なり。花のゆふばえを、すこし酔にのりて見るも、ことに色まされる心地ぞすなる。花に坐し月に酔ひて、二ながらかねたる楽、春宵一刻値千金、花に清香有り月に陰有りといふ詩を思ひ出でられぬ。又花を惜しみて春は起くること早く、月を愛して夜は眠ること遅しといへり。古人はかくこそ月花をめでしに、今の人の、あたら夜の月と花とにそむきて、空しく臥すは、いと惜むべし。又夜の間の風のうしろめたきをも知らで、朝起くることおそきは、花を惜まざるなり。
現代語訳
それは世の中で、たいそううれしい事がある中の一つでしょう。わが心の楽しみを知らない人は、それを無頼の若者が暇を盗んでむやみに遊び歩くのに似ていると思うでしょう。芳しい草が雨の後に伸び、よい花が風の中にむなしく散るのも、この頃です。杜甫の詩に「鶯の歌は暖かにして正に繁し」と言い、陳希夷が「野花啼鳥一般の春」と詠んだのも、みなこの時です。花の夕映えを、少し酒に酔って見るのも、ことに色が増さる心地がします。花の下に座り月に酔って、二つを兼ねた楽しみは、「春宵一刻値千金、花に清香有り月に陰有り」という詩が思い出されます。また「花を惜しみて春は起くること早く、月を愛して夜は眠ること遅し」とも言います。昔の人はこのように月と花をめでたのに、今の人が、惜しい夜の月と花に背を向けてむなしく寝てしまうのは、たいそう惜しむべきことです。また夜の間の風が気がかりなのも知らずに朝起きるのが遅いのは、花を惜しまない者です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之中・節序春の花は、いづれとなく開け出づる色、ことに目おどろかれぬるに、心みじかくて早く散りぬるはうらめし。九十の春光はいとながけれど、何くれと紛はし風雨も亦しげければ、為す事なく、はかなく過ぎて、とどめあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕ぐれにさへなりぬ。落花寂々たる黄昏の時は、春の名残いとをしむべし。蘇子瞻が、青雲還一夢といへる、むべなるかな。吾がともがら、うき世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは忘られしに、今より後は如何せん。かかる折にふれては、殊更時の早く過ぎて、失ひやすき事、思ひ知られぬ。老いぬれば、今幾年か花もあひ見んと思へば、春の惜しさはいやまさりぬ。いとせめて樽酒余春を楽みて、老の憂を忘るべし。
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『楽訓』巻之中・節序まちわびし梅のにほひ、百花に先だち、春の消息を得てよろこぶべし。谷をいで高きにうつる鶯の、春をむかへて物わかき声、はつ春の初音の今日にあへる、耳とまりてこほしく、花ならで身にしむものならし。花をめで鳥をうらやむは、是まづ春のたまものなり。是をはじめとして、猶行先はるかに栄ゆる春の豊なる恵たのもし。千年を経べきみどりの松も、今一入の色をまして、つねに見なれしも、弥めづらしくなづさはれぬ。韓文公が最も是れ一年春の好き処といへりしは、早春のけしき、一年の内にて、ことに珍かにすぐれたる故なるべし。きさらぎの程より、よろづ皆冬の心尽きて、空の色うららかに、景色だちて、四方山も霞こめたるよそほひ、ことに曙のけしき、譬ふべき物なく、あはれむべし。
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『楽訓』巻之中・節序宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め来しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。
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『楽訓』巻之中・節序されど日頃またせまたせて、やうやう咲けるが、あくまで見る程もなく、疾く散るは、又うらめし。よしさらば散るまでも見じ山桜、花のさかりを面かげにして。古の人のよみけんも、後の思出にせんとにや、情ふかし。此折から、春雨のしきしきふれば、我がやどの園の桜は、如何に有らんと、うしろめたし。柳緑に花紅にして、春の色をゑがき出せるは、いと麗しき眺なり。春やうやう深くなれば、風和かに、日あたたかに、百草芳をあらそひ、群花艶をきそふ折なれば、いづれの処か春の無からんや。かかる景色にふれては、人の心も浮立ちて、思ふどちかい連ね、春を尋ねてあくがれありき、ひねもす花を眺くらすこそ、目を恣にし、心を快くするわざなれ。
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『楽訓』巻之中・節序一いでや天地の内にみちたる四時のけしきの、きはまりなき楽をいはん。春はまづ一夜のほどにあらたまの年立ちかへる朝の空の光、心づからにや、旧年にかはりて長閑けし。睦月はことたつとて、貧しき家にも、春盤などいふものをまうく。又かはらけとりいで、おほみきすすめて、まづつとめて父母にことぶきし、次にみづから祝し、賓客にももてなすさまなど、つねにかはりて、いとなんいみじう珍かなり。時は今は四の始なれば、そらのけしきやうやう引きかへ、こち風ゆるく吹きて、氷とけ、遠き山辺に霞のうすくたなびける、さまざまに物けざやかに見えて、冬の空に立ちかはれる粧、まづ春の来れるしるしあらはなり。かきねがくれに、冬より残れる雪の、ところどころはだれに見ゆるも、去年の名残をしむべし。
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『楽訓』巻之中・節序門田の稲葉朝露にうるほひ、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稲晩禾の先立ちおくれて、穂に出でたるありさま、皆見るに堪へたる眺なり。秋の最中になりぬれば、一年を経て待ち得たる月明けきは、凡あめつちの間に並なきついでひとつの見ものなれば、よろづのうるはしき景物は、皆其下なるべし。このゆふべ此景にあへるこそ、うき世の中の面白さもあはれさも、残らぬ折なれ。年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張より、居まちの比まで、空はれぬれば、夜ごとに心を楽ましめ、目を悦ばしむる事、さらに数なし。ことさら三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、まことに福おほき此世なり。およそ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其領し給へる国の内なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯ひとつかかれる月を、己がものとして、恣にあふぎ見るも、いともかしこく、身にし余りて、いみじき幸なり。
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