楽訓 / 巻之上・総論
一内の樂を本とし、耳目を以て外の樂を得る媒として、其欲になやまされず、天地萬物の景氣のうるはしきを感ずれば、其樂かぎりなし。此樂、朝夕つねに目の前にみちみちて餘あり。これを樂める人は、すなはち山水月花の主となりて、人に乞ひ求むるに及ばず、たからもて買ふにあらざれば、一錢を費さず。心にまかせて、恣にとりて用ふれども盡きず。つねに我が物として領すれども、人いさはず。如何となれば、山水風月の佳景は、もとより定まれる主なければなり。かく天地の内きはまりなき樂を知りて、樂める人は、富貴の驕樂をうらやまず。其樂富貴にまさればなり。此樂を知らざる人は、樂むべき事、目のまへに常にみちみちて多けれど、其樂を知らざれば、樂まず。
新字:一内の楽を本とし、耳目を以て外の楽を得る媒として、其欲になやまされず、天地万物の景気のうるはしきを感ずれば、其楽かぎりなし。此楽、朝夕つねに目の前にみちみちて余あり。これを楽める人は、すなはち山水月花の主となりて、人に乞ひ求むるに及ばず、たからもて買ふにあらざれば、一銭を費さず。心にまかせて、恣にとりて用ふれども尽きず。つねに我が物として領すれども、人いさはず。如何となれば、山水風月の佳景は、もとより定まれる主なければなり。かく天地の内きはまりなき楽を知りて、楽める人は、富貴の驕楽をうらやまず。其楽富貴にまさればなり。此楽を知らざる人は、楽むべき事、目のまへに常にみちみちて多けれど、其楽を知らざれば、楽まず。
書き下し
一内の楽を本とし、耳目を以て外の楽を得る媒として、其欲になやまされず、天地万物の景気のうるはしきを感ずれば、其楽かぎりなし。此楽、朝夕つねに目の前にみちみちて余あり。これを楽める人は、すなはち山水月花の主となりて、人に乞ひ求むるに及ばず、たからもて買ふにあらざれば、一銭を費さず。心にまかせて、恣にとりて用ふれども尽きず。つねに我が物として領すれども、人いさはず。如何となれば、山水風月の佳景は、もとより定まれる主なければなり。かく天地の内きはまりなき楽を知りて、楽める人は、富貴の驕楽をうらやまず。其楽富貴にまさればなり。此楽を知らざる人は、楽むべき事、目のまへに常にみちみちて多けれど、其楽を知らざれば、楽まず。
現代語訳
内の楽しみを本とし、耳目を外の楽しみを得るなかだちとして、欲に悩まされず、天地万物の景色の美しさを感じれば、その楽しみは限りがありません。この楽しみは朝夕いつも目の前に満ちあふれて余りあります。これを楽しむ人は、そのまま山水月花の主となって、人に頼んで求める必要もなく、お金で買うのでもないので、一銭も費やしません。心のままに思う存分取って用いても尽きません。いつも自分のものとして領していても、人は咎めません。なぜなら、山水風月の美しい景色には、もともと決まった持ち主がいないからです。このように天地の中の限りない楽しみを知って楽しむ人は、富貴の人のおごった楽しみをうらやみません。その楽しみが富貴にまさるからです。この楽しみを知らない人は、楽しむべきことが目の前に常にあふれるほど多くあっても、その楽しみを知らないので楽しみません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之中・節序一一年の内、天地の道常にめぐり、四時に行はれて、万古よりこのかた止まず。其間霞たつより雪の積れるまで、其けしき、をりをりに異なり。又朝夕のけしき日々に異なれる、変態きはまりなき眺也。天にありて象をなせるは、日月の輝き、風雨のうるほひ、霜雪の清らかなる、雲烟のたなびけるは、天の文なり。地にありて形をなせるは、山河のそばたち流れ、江海の深く広き、鳥獣の鳴き動き、草木の生茂れるは、地の文なり。かくの如く、天地の内、四時の行はれ、百物のなれる有様、目のまへにみちみちて、人の見る事を喜ばしめ、心を感ぜしむる事、大なる楽なるかな。これを楽まん人は眼力を以て境界とし、四時を以て良辰として、其楽何ぞ唯人間三公の貴き万戸侯の富に比べんや。よく心をとめて翫ばん人は、其楽極りなかるべし。
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『慎思録』巻之一人の心に、本然の楽しみ有れば、則ち目の睹る所、耳の聴く所、身の触るる所、風花雪月四時の佳興、山川の好景、鳥獣の和鳴、草木の栄華、凡そ天地の間に満つる者は、皆以て吾が本然の楽しみを資くるに足る。是を以て天下の物を挙げて、皆以て吾が心を悦ばしめ吾が身を養ふの具と為すべし。其の富饒なるや、終身用ひ尽くすべからず。惟外物の美を藉りて以て吾が楽しみと為すに非ず。外物の美来たり触れて、吾が本然の楽しみを資くるのみ。苟も本然の楽しみ無ければ、則ち外物の我が身に奉じ我が欲を誘ふ者は、適に以て吾が心を累はし吾が身を傷ふの具と為すに足るのみ。何ぞ以て楽しみと為すに足らんや。
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『楽訓』巻之上・総論世俗の楽は、其楽いまだ止まざるに、はやく我が身の苦とぞなれる。たとへば味よき物をむさぼりて、恣に飲みくへば、はじめは快しといへど、やがて病おこり、身の苦となれるが如し。凡世俗の楽は、心をまよはし、身をそこなひ、人を苦ましむ。君子の楽は、迷なくして心を養ふ。外物を以ていはば、月花をめで、山水を見、風を吟じ、鳥をうらやむの類、其楽淡ければ、終日楽めども身にわざはひなく、人のとがめ、神のいさむるわざにあらず。此楽、貧賤にしても得やすく、後のわざはひなし。富貴の人は、其おごり怠にすさみて、此楽を知らず。貧賤の人は、此二の失すくなし。志だにあれば、此楽を得やすし。
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『楽訓』巻之上・総論一人の心の内に、もとより此楽あり。私慾行はれざれば、時となく所として、楽しからずといふ事なし。是本性より流れ出でたる楽なり。外に求むるにあらず。又我が耳目口鼻形の五官、外物にまじはりて、色を見、声を聞き、物くひ、香をかぎ、動き、静なる五のわざ、欲すくなく、よきほどに過ぎざれば、あふさきるさ、ことごとに楽しからざる事なし。是外物を以て楽の本とするにあらず。又外物にふれて、其喜ばしき力を得て、楽初ていでくるにもあらず。もとより人の心の内に、生れつきたる楽あるゆゑ、外物にふれて其助を得て、内なる楽さかんになれる也。たとへば人にもとより生れつきたる元気あり。是生命の本なり。されど飲食衣服などの、外よりの養なければ、うゑこごえて元気を保ちがたし。
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『楽訓』巻之下・後論一人ごとに生れつきたる楽あれども、学ばざれば、己が物なりながら知らず。衆人の楽はみな外欲にあり。是をほしいままにすれば、却て我が身のわざはひも是よりおこる。君子は学んで道を楽み、命を安んじて貧をうれへず。閑を得ては書をよみ、時節を感じ、風景を翫び、月花をめで、詩歌を吟し、草木を愛する、此あまたの事、かはるがはる楽まば、朝夕の楽きはまりなかるべし。老いては、心やすく身楽にして、貧賤を甘んずるこそ、折にかなひて宜しかるべけれ。かかる時楽まずんば、日月逝きて止らず。をしむべし。かくの如く、世にきはまりなき楽あるを知らで、何となく憂ひくるしみて過さんは、まことに不幸の人、一生を空しくすといふべし。
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『楽訓』巻之上・総論もし此理を知れらば、身の上につきて楽み、外を願ふべからず。貧賤にしても、患難にあひても、時となく所として、楽あらずといふ事なかるべし。坐には坐の楽あり、立には立の楽あり、行にも、臥にも、飲食にも、見るにも、きくにも、ものいふにも、楽あらずといふ事なし。楽はもとより心に生れつきて、身にそへるものなればなり。されど此楽を知りて楽む人すくなし。理くらければ楽を知らず、欲ふかければ楽をうしなふ。
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