楽訓 / 巻之中・節序
一みな月の比になりぬれば、端居の風したしく、わらふだ敷きて居るも心よし。池の心ふかく、蓮葉の濁にしまずして、花ならで、夕風ににほひわたるだにも、異草にすぐれたり。ことに花の笑の唇ひらけたるは、所せきまで薰りみちて、世に似たるものなく淸らなり。涼を逐て木陰にやすらひ、木々の下風のなつかしきに、淸き泉をむすび、夏をわするゝ心地するも、いさぎよし。光明けき夜半の月を、淸き水に宿して見るは更なり、遣水の音など聞くも、いみじう心ゆくばかりなり。日ごろへて、暑さたへがたきに、夕立のしぐれわたりて、名殘すゞしきも、いと心よし。淸少納言は、夏は夜といひつれど、ゆふべは蚊と云ふ蟲人をさして、年老いては、殊更いみじうたへがたければ、唯このねぬる朝けの風の涼しきこそ、淸くして心にかなひ侍りつれ。
新字:一みな月の比になりぬれば、端居の風したしく、わらふだ敷きて居るも心よし。池の心ふかく、蓮葉の濁にしまずして、花ならで、夕風ににほひわたるだにも、異草にすぐれたり。ことに花の笑の唇ひらけたるは、所せきまで薫りみちて、世に似たるものなく清らなり。涼を逐て木陰にやすらひ、木々の下風のなつかしきに、清き泉をむすび、夏をわするゝ心地するも、いさぎよし。光明けき夜半の月を、清き水に宿して見るは更なり、遣水の音など聞くも、いみじう心ゆくばかりなり。日ごろへて、暑さたへがたきに、夕立のしぐれわたりて、名残すゞしきも、いと心よし。清少納言は、夏は夜といひつれど、ゆふべは蚊と云ふ虫人をさして、年老いては、殊更いみじうたへがたければ、唯このねぬる朝けの風の涼しきこそ、清くして心にかなひ侍りつれ。
書き下し
一みな月の比になりぬれば、端居の風したしく、わらふだ敷きて居るも心よし。池の心ふかく、蓮葉の濁にしまずして、花ならで、夕風ににほひわたるだにも、異草にすぐれたり。ことに花の笑の唇ひらけたるは、所せきまで薫りみちて、世に似たるものなく清らなり。涼を逐て木陰にやすらひ、木々の下風のなつかしきに、清き泉をむすび、夏をわするる心地するも、いさぎよし。光明けき夜半の月を、清き水に宿して見るは更なり、遣水の音など聞くも、いみじう心ゆくばかりなり。日ごろへて、暑さたへがたきに、夕立のしぐれわたりて、名残すずしきも、いと心よし。清少納言は、夏は夜といひつれど、ゆふべは蚊と云ふ虫人をさして、年老いては、殊更いみじうたへがたければ、唯このねぬる朝けの風の涼しきこそ、清くして心にかなひ侍りつれ。
現代語訳
六月の頃になると、縁側の風が親しく、円座を敷いて座っているのも心地よいものです。池の中ほど深く、蓮の葉は濁りに染まらず、花でなくとも夕風に香りが広がるのさえ他の草より優れています。ことに花が笑うように唇を開いたのは、あたり一面に香りが満ちて、世に似たものがないほど清らかです。涼を求めて木陰に休み、木々の下を吹く風が慕わしい所で、清い泉を手にすくい、夏を忘れる心地がするのも、さっぱりとしています。明るい夜半の月を清い水に映して見るのは言うまでもなく、遣水の音などを聞くのも、たいそう満ち足りた気持ちになります。暑さが何日も耐えがたいところに、夕立が降り渡って、その名残が涼しいのも、たいそう心地よいものです。清少納言は「夏は夜」と言いましたが、夕方は蚊という虫が人を刺し、年老いては特にたいそう耐えがたいので、ただ寝起きの朝風の涼しいのこそ、清らかで心にかなっておりました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之中・節序一夏もやうやう深くなりぬれば、木として繁らざるはなく、草として栄えざるはなく、日々に物を引延ぶるやうに見えて、ひたすらに緑の色深き夏木立こそ、花にもをさをさ劣るまじけれ。春の花は、所々に咲きて稀なり。夏は山も里も、あるとしある草木ごとに打はへて、皆緑の色なれば、春に異なる眺なり。八千草に植集めてなづさひし前栽の草木ども、雨をおびて、各其梢をあらはし、所得顔に、心にまかせて生茂れるも、うれしと見ゆ。昔おほゆる花たち花のかをれる夜は、追風もいとなつかし。早苗とる比、田家は雨を待ち得て、いそがはしく賑はし。此ころ遣水のほとりに飛ぶ蛍の、音もせですだくを見れば、鳴く虫よりいとあはれむべし。夏山のけしき、青みわたりたる高き峯、大空につらなりて、雲の外にそびえたるを、あくまで見るこそ、殊にすぐれて、心を快くする眺なれ。白楽天が、眼を放にして青山を見るといへるが如し。
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『楽訓』巻之中・節序一惜めども止まらぬ春、すでに去りぬれば、よばぬにきたる夏衣のうら珍しく、今めかしう改まれる比ほひ、大かたの空のけしき、心地よげなるに、青葉の木ずゑ若やかに、物ごとに春に立ちかはりて、又世異なる有様なるも、いとなんめでたき。緑陰昼寂を生ずれどもわびしからず。閑談にふける人は、繁花にもまされりとす。折まち得たる杜鵑の初音、まづなつかしくて、鶯のなく音、すでに老いにたるに、代れる心地ぞすなる。もろこし人は、杜鵑の声きく事を悪めども、我が日の本にては、昔よりこれをあはれみて、歌にも多くよめり。夜もすがら空もとどろに鳴きわたれども、聞く人みなあなかまとは思はず。多からぬ所は、今一声だに聞かまほし。又鳴き行く方の人も待ちなんと思へば、過行くも、更にうらむべからず。
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『楽訓』巻之中・節序門田の稲葉朝露にうるほひ、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稲晩禾の先立ちおくれて、穂に出でたるありさま、皆見るに堪へたる眺なり。秋の最中になりぬれば、一年を経て待ち得たる月明けきは、凡あめつちの間に並なきついでひとつの見ものなれば、よろづのうるはしき景物は、皆其下なるべし。このゆふべ此景にあへるこそ、うき世の中の面白さもあはれさも、残らぬ折なれ。年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張より、居まちの比まで、空はれぬれば、夜ごとに心を楽ましめ、目を悦ばしむる事、さらに数なし。ことさら三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、まことに福おほき此世なり。およそ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其領し給へる国の内なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯ひとつかかれる月を、己がものとして、恣にあふぎ見るも、いともかしこく、身にし余りて、いみじき幸なり。
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『楽訓』巻之中・節序世の中の、いみじく嬉しき事の、あるが中なる其一なるべし。我が心の楽を知らざる人は、無頼の少年の、閑をぬすみて、そぞろに行楽するに似たりと思ふべし。芳草雨後に秀で、好花風裏にむなしきも、此をりなり。杜が詩に、鶯の歌あたたかにして正にしげしと云ひ、陳希夷が野花啼鳥一般の春と詠ぜしも、皆此時なり。花のゆふばえを、すこし酔にのりて見るも、ことに色まされる心地ぞすなる。花に坐し月に酔ひて、二ながらかねたる楽、春宵一刻値千金、花に清香有り月に陰有りといふ詩を思ひ出でられぬ。又花を惜しみて春は起くること早く、月を愛して夜は眠ること遅しといへり。古人はかくこそ月花をめでしに、今の人の、あたら夜の月と花とにそむきて、空しく臥すは、いと惜むべし。又夜の間の風のうしろめたきをも知らで、朝起くることおそきは、花を惜まざるなり。
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『楽訓』巻之中・節序一秋は又夕暮のけしきこそ、ただならず見ゆれ。薄霧のまがきに立ちのほるよそほひ、風のおと、虫のね、いづれとなく人の心にしみて、春にもまさり、あはれ深し。秋は夕と、誰かいはざるべきや。夜長ければ、暁のかね人をおどろかしやすく、ねざめがちなり。ことさら老のねぶりは早くさめて、常に夜を残せば、いのねられぬままに、懐古の心残夜に生じて、来しかた行くすゑの事、思ひつづけらる。老いては常に昔の事のみぞ忍ばしき。
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『楽訓』巻之中・節序宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め来しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。
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