礼記 / 坊記
子云:「賓禮每進以讓,喪禮每加以遠。浴於中霤,飯於牖下,小斂於戶內,大斂於阼,殯於客位,祖於庭,葬於墓,所以示遠也。殷人吊於壙,周人吊於家,示民不偝也。」子云:「死,民之卒事也,吾從周。以此坊民,諸侯猶有薨而不葬者。」
新字:子云:「賓礼毎進以譲,喪礼毎加以遠。浴於中霤,飯於牖下,小斂於戸内,大斂於阼,殯於客位,祖於庭,葬於墓,所以示遠也。殷人吊於壙,周人吊於家,示民不偝也。」子云:「死,民之卒事也,吾従周。以此坊民,諸侯猶有薨而不葬者。」
書き下し
子云う、「賓礼は進む毎に以て譲り、喪礼は加うる毎に以て遠ざく。中霤(ちゅうりゅう)に浴し、牖下(ゆうか)に飯(はん)し、戸内に小斂(しょうれん)し、阼(そ)に大斂し、客位に殯(ひん)し、庭に祖し、墓に葬るは、遠ざくるを示す所以なり。殷人は壙(こう)に弔い、周人は家に弔うは、民に偝かざるを示すなり」と。子云う、「死は、民の卒事なり、吾は周に従わん。此を以て民を坊ぐも、諸侯猶お薨じて葬らざる者有り」と。
現代語訳
孔子は言った。「賓客の礼では一歩進むごとに譲り合い、喪の礼では儀式を重ねるごとに遺体を少しずつ遠くへ移す。遺体を室の中央(中霤)で湯灌し、窓の下で口に飯を含ませ、戸の内側で小斂(衣を着せる儀式)をし、東の阼階の上で大斂(納棺)をし、西の客の位置に殯(ひん、埋葬まで棺を安置すること)をし、庭で祖(出棺前の道の神の祭り)をし、墓に葬る。これは死者が次第に遠ざかることを示すためである。殷の人は墓穴のほとりで弔問し、周の人は葬儀を終えて家に帰ってから弔問した。これは民に死者に背かないことを示すのである」。孔子は言った。「死は、人の生涯の最後の大事である。私は周のやり方に従おう。こうして民を防いでも、諸侯にはなお亡くなっても葬られない者がいた」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・檀弓下喪礼は、哀戚の至りなり。哀しみを節するは、変に順うなり。君子は之を始むる者を念うなり。復は、愛を尽くすの道なり、禱祠(とうし)の心有り。諸(これ)を幽より反らんことを望むは、諸を鬼神に求むるの道なり。北面するは、諸を幽に求むるの義なり。拝して稽顙(けいそう)するは、哀戚の至りて隠(いた)めるなり。稽顙するは、隠むことの甚だしきなり。飯(はん)に米・貝を用うるは、虚しくするに忍びざればなり。食の道を以てせず、美を用うるのみ。銘は、明旌(めいせい)なり。死者を以て別つべからざるが為に、故に其の旗を以てこれを識(しる)す。これを愛すれば、斯(ここ)にこれを録す。これを敬すれば、斯に其の道を尽くすのみ。重(ちょう)は、主の道なり。殷は主を綴りて重とす。周は主して重を徹す。奠するに素器を以てするは、生者に哀素の心有るを以てなり。唯だ祭祀の礼は、主人自ら尽くすのみ。豈に神の饗くる所を知らんや、亦た主人に斉敬の心有るを以てなり。辟踊(へきよう)は、哀しみの至りなり。筭(さん)有るは、これが節文を為すなり。袒(たん)し、括髪(かっぱつ)するは、変なり。慍(うん)するは、哀しみの変なり。飾りを去るは、美を去るなり。袒し括髪するは、飾りを去ることの甚だしきなり。袒する所有り、襲する所有るは、哀しみの節なり。弁絰(べんてつ)葛して葬るは、神と交わるの道なり、敬心有り。周人は弁して葬り、殷人は冔(く)して葬る。主人・主婦・室老に歠(すす)らしむるは、其の病むが為なり、君命じてこれに食らわしむるなり。反哭して堂に升るは、諸を其の作す所に反るなり。主婦室に入るは、諸を其の養う所に反るなり。反哭の弔は、哀しみの至りなり。反りて亡し、これを失えり、是に於いて甚だしと為す。殷は既に封じて弔し、周は反哭して弔す。孔子曰く、「殷は已(はなは)だ愨(かく)なり、吾は周に従わん」と。北方に葬り、北首するは、三代の達礼なり、幽に之(ゆ)くの故なり。既に封ずれば、主人贈(ぞう)し、而して祝虞尸(ぐし)を宿(しゅく)す。既に反哭すれば、主人有司と虞牲を視、有司几筵(きえん)を以て墓左に舎奠し、反りて、日中にして虞す。葬る日に虞するは、一日も離るるに忍びざればなり。是の月や、虞を以て奠に易う。卒哭を「成事」と曰う。是の日や、吉祭を以て喪祭に易え、明日、祖父に祔(ふ)す。其の変じて吉祭に之くや、祔に至るに比(およ)びて、必ず是の日に於いて接す、一日も末(いま)だ帰する所有らざるに忍びざればなり。殷は練して祔し、周は卒哭して祔す。孔子殷を善しとす。
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礼記・檀弓下君臣の喪に臨むには、巫(ふ)・祝(しゅく)・桃・茢(れつ)を以てし、戈(ほこ)を執らしむ、これを悪(にく)めばなり。生に異なる所以なり。 喪には死の道有り。先王の言い難き所なり。 喪の朝(ちょう)するや、死者の孝心に順うなり。其の其の室を離るるを哀しむ、故に祖・考の廟に至りて后(のち)に行く。殷は朝して祖に殯し、周は朝して遂に葬る。
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孔子家語・曲禮子夏問子貢、孔子に問いて曰く、「殷人は既に定めて壙に吊し、周人は反哭して家に吊す、之を如何にせん」と。孔子曰く、「反哭の吊は、喪の至りなり、反りて亡し、之を失えり、斯に於て甚だしと為す、故に之を吊う。死は、人の卒事なり。殷は愨を以てす、吾周に従わん。殷人は既に之を練して、明日、祖に祔す。周人は既に卒哭するの明日、祖に祔す。祔は、神を祭るの始事なり。周は戚を以てす、吾殷に従わん」と。
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礼記・坊記子云う、「客階より升り、弔を賓位に受くるは、民に追孝を教うるなり。未だ喪を没(お)えざれば君と称せざるは、民に争わざるを示すなり。故に魯の《春秋》に晋の喪を記して曰く、『其の君の子奚齊(けいせい)と其の君卓とを殺す』と。此を以て民を坊ぐも、子猶お其の父を弑する者有り」と。 子云う、「孝以て君に事え、弟(てい)以て長に事うるは、民に貳(ふたごころ)あらざるを示すなり。故に君子は君有れば仕えんことを謀らず、唯だ卜するの日に二君と称す。父に喪すること三年、君に喪すること三年なるは、民に疑わざるを示すなり。父母在せば、敢えて其の身を有せず、敢えて其の財を私せざるは、民に上下有るを示すなり。故に天子は四海の内に客礼無く、敢えて主と為る莫し。故に君其の臣に適けば、阼階より升り、堂に位に即くは、民に敢えて其の室を有せざるを示すなり。父母在せば、饋献車馬に及ばざるは、民に敢えて専らにせざるを示すなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘れて其の君に貳す」と。
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礼記・檀弓上将軍文子の喪に、既に喪を除きて、而る后に越人来り弔う。主人深衣・練冠して、廟に待ち、涕洟(ていい)を垂る。子游これを観て曰く、「将軍文氏の子は其れ庶幾(ちか)からんか。礼に亡(な)き者の礼なり、其の動くや中(あた)れり」と。 幼にして名づけ、冠して字(あざな)し、五十にして伯仲を以てし、死して諡(おくりな)するは、周の道なり。絰(てつ)なる者は、実なり。中霤(ちゅうりゅう)を掘りて浴し、竈(かまど)を毀(こぼ)ちて以て足を綴(つづ)り、葬に及びて、宗を毀ち行を躐(こ)えて、大門より出ずるは、殷の道なり。学者これを行う。
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礼記・喪大記小斂には、主人戸内に位に即き、主婦東面し、乃ち斂す。斂を卒(お)うれば、主人これに馮(よ)りて踊し、主婦も亦これの如くす。主人袒(たん)して髦(ぼう)を説(ぬ)き、髪を括るに麻を以てし、婦人は髽(ざ)し、麻を房中に帯ぶ。帷(い)を徹し、男女尸を奉じて堂に夷(うつ)し、降りて拝す。君は寄公・国賓を拝し、大夫・士は卿大夫を位に拝し、士に於いては旁(あまね)く三拝す。夫人も亦寄公の夫人を堂上に拝し、大夫の内子・士の妻は特に拝し、命婦は泛(あまね)く衆賓を堂上に拝す。主人位に即き、襲(しゅう)して絰(てつ)を帯び踊す。母の喪には、位に即きて免(ぶん)し、乃ち奠(てん)す。弔う者は裘を襲い、武に絰を加え帯び、主人と拾(こもごも)踊す。君の喪には、虞人木・角を出だし、狄人壺を出だし、雍人鼎を出だし、司馬これを県け、乃ち官もて代わる代わる哭す。大夫は官もて代わる代わる哭して壺を県けず、士は代わる代わる哭して官を以てせず。君は堂上に二燭、下に二燭、大夫は堂上に一燭、下に二燭、士は堂上に一燭、下に一燭。賓出づれば帷を徹す。尸を堂上に哭するに、主人は東方に在り、外より来たる者は西方に在り、諸婦は南郷す。婦人は客を迎え客を送るに堂を下らず、堂を下れば哭せず。男子は寝門を出でて人を見れば哭せず。その女主無ければ、則ち男主女賓を寝門の内に拝し、その男主無ければ、則ち女主男賓を阼階(そかい)の下に拝す。子幼ければ、則ち衰(さい)を以てこれを抱き、人これが為に拝す。後たる者在らざれば、則ち爵有る者は辞し、爵無き者は人これが為に拝す。竟(さかい)の内に在れば則ちこれを俟ち、竟の外に在れば則ち殯葬して可なり。喪に後無きこと有るも、主無きこと無し。
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