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礼記 / 檀弓上

將軍文子之喪,既除喪,而后越人來弔,主人深衣、練冠,待于廟,垂涕洟,子游觀之曰:「將軍文氏之子其庶幾乎!亡於禮者之禮也,其動也中。」 幼名,冠字,五十以伯仲,死謚,周道也。絰也者,實也。掘中霤而浴,毀竈以綴足;及葬,毀宗躐行,出于大門,殷道也。學者行之。

新字:将軍文子之喪,既除喪,而后越人来弔,主人深衣、練冠,待于廟,垂涕洟,子游観之曰:「将軍文氏之子其庶幾乎!亡於礼者之礼也,其動也中。」 幼名,冠字,五十以伯仲,死謚,周道也。絰也者,実也。掘中霤而浴,毀竈以綴足;及葬,毀宗躐行,出于大門,殷道也。学者行之。

書き下し

将軍文子の喪に、既に喪を除きて、而る后に越人来り弔う。主人深衣・練冠して、廟に待ち、涕洟(ていい)を垂る。子游これを観て曰く、「将軍文氏の子は其れ庶幾(ちか)からんか。礼に亡(な)き者の礼なり、其の動くや中(あた)れり」と。 幼にして名づけ、冠して字(あざな)し、五十にして伯仲を以てし、死して諡(おくりな)するは、周の道なり。絰(てつ)なる者は、実なり。中霤(ちゅうりゅう)を掘りて浴し、竈(かまど)を毀(こぼ)ちて以て足を綴(つづ)り、葬に及びて、宗を毀ち行を躐(こ)えて、大門より出ずるは、殷の道なり。学者これを行う。

現代語訳

衛の将軍文子の喪で、喪がすっかり明けてから、遠い越の国の人が弔問に来た。喪主(文子の子)は深衣(上下続きの普段着)に練り絹の冠を着け、廟で待ち受けて、涙と鼻水を流して応対した。子游はそれを見て言った。「将軍文氏の子は、礼にかなうに近いと言えよう。礼の定めのない場合の礼であって、その振る舞いは的を射ている」。 生まれて幼いうちに名をつけ、成人の冠礼で字をつけ、五十歳になると伯・仲(兄弟の順)で呼び、死ねば諡を贈るのは、周の道である。絰(喪の麻帯)は、哀しみの実(まこと)を表すものである。中霤(部屋の中央)を掘って遺体を湯灌し、竈を壊してその煉瓦で遺体の足を整え、葬るときには廟の門の西の垣を壊し、行神の祭りの位置を越えて大門から出すのは、殷の道である。孔子に学んだ者たちはこの殷の道を行った。

解説

前半は、礼に定めのない事態に臨機応変に対応した例である。喪が明けた後に遠方から弔問客が来た場合の礼は、どこにも定められていない。文子の子は、祥祭後の深衣と、まだ祥祭前の練冠とを組み合わせて廟で待ち、涙を流して迎えた。子游はこれを「礼に亡き者の礼なり、其の動くや中れり」とほめ、鄭玄は礼の変に中ったのだと注す。後半は、周と殷の礼の違いを並べる。名・字・伯仲・諡と、人生の段階ごとに呼び名を改めるのが周の道である。一方、中霤を掘って浴し、竈を壊して足を綴り、廟の垣を壊して柩を出すのは殷の道で、鄭玄はもう二度とここで事を行わないことを明らかにするためと注し、学者とは孔子に学んだ者で、殷の礼を倣ったのだと説く。規則のない場面でどう振る舞うかに、その人の礼の理解の深さが出る。

この章句が説くこと

礼記子游臨機応変名字殷

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