礼記 / 哀公問
公曰:「敢問何謂敬身?」 孔子對曰:「君子過言,則民作辭;過動,則民作則。君子言不過辭,動不過則,百姓不命而敬恭。如是,則能敬其身;能敬其身,則能成其親矣。」
新字:公曰:「敢問何謂敬身?」 孔子対曰:「君子過言,則民作辞;過動,則民作則。君子言不過辞,動不過則,百姓不命而敬恭。如是,則能敬其身;能敬其身,則能成其親矣。」
書き下し
公曰く、「敢えて問う、何をか身を敬すと謂う」と。 孔子対えて曰く、「君子言を過(あやま)てば、則ち民辞を作(な)し、動を過てば、則ち民則(のり)を作す。君子言は辞を過たず、動は則を過たざれば、百姓命ぜずして敬恭す。是くの如くなれば、則ち能くその身を敬す。能くその身を敬すれば、則ち能くその親を成す」と。
現代語訳
哀公はいった。「あえて尋ねるが、身を敬うとはどういうことか」。 孔子は答えた。「君子が言葉を誤れば、民はそれをもっともらしい言葉として真似し、行いを誤れば、民はそれを手本として従います。君子が言葉において誤らず、行いにおいて法を外れなければ、民は命じなくても敬い恭しくなります。このようであれば、その身を敬うことができます。その身を敬うことができれば、その親の名を成し遂げることができます」。
解説
前段の「身を敬するを大と為す」を受けて、哀公が敬身の中身を問い、孔子が言葉と行いの慎みとして答える段である。鄭玄は「則」を法と注し、民は君に化される者なので、君の言葉が誤っていても民はなおその言葉を称え、君の行いが誤っていても民はなおそれを法とすると説く。上に立つ者の一言一行は、正しくても誤っていても、そのまま下の手本になってしまう。だからこそ、言は辞を過たず、動は則を過たないことが、身を敬することの中身になる。そうすれば民は命じなくても自ずと敬い恭しくなる。論語子路篇の「その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、令すと雖も従わず」と同じ発想である。そして身を敬することが親の名を成すことにつながるという結びは、次の段の問いを呼び起こす。親や上司の何気ない口癖や振る舞いが、子や部下にそのまま写っていく様子を思えば、この段の重みは身近なものとしてわかる。
この章句が説くこと
礼記哀公問敬身言行手本
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