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礼記 / 祭統

夫祭有昭穆。昭穆者,所以別父子、遠近、長幼、親疏之序而無亂也。是故,有事於大廟,則群昭群穆咸在而不失其倫。此之謂親疏之殺也。 古者明君,爵有德而祿有功;必賜爵祿於大廟,示不敢專也。故祭之日,一獻,君降立于阼階之南;南鄉,所命北面,史由君右執策命之。再拜稽首,受書以歸,而舍奠於其廟。此爵賞之施也。

新字:夫祭有昭穆。昭穆者,所以別父子、遠近、長幼、親疏之序而無乱也。是故,有事於大廟,則群昭群穆咸在而不失其倫。此之謂親疏之殺也。 古者明君,爵有徳而禄有功;必賜爵禄於大廟,示不敢専也。故祭之日,一献,君降立于阼階之南;南郷,所命北面,史由君右執策命之。再拝稽首,受書以帰,而舎奠於其廟。此爵賞之施也。

書き下し

夫れ祭に昭穆(しょうぼく)有り。昭穆は、父子・遠近・長幼・親疏の序を別ちて乱るること無き所以なり。是の故に、大廟に事有れば、則ち群昭群穆咸(み)な在りてその倫を失わず。此れをこれ親疏の殺と謂う。 古者(いにしえ)明君は、徳有るに爵して功有るに禄す。必ず爵禄を大廟に賜う。敢えて専らにせざるを示すなり。故に祭の日、一献して、君降りて阼階(そかい)の南に立つ。南郷(なんきょう)し、命ぜらるる所は北面し、史、君の右由り策を執りてこれに命ず。再拝稽首し、書を受けて以て帰り、而してその廟に舎奠(せきてん)す。此れ爵賞の施しなり。

現代語訳

そもそも祭りには昭穆(しょうぼく、祖先と子孫を世代ごとに左右の列に分ける順序)がある。昭穆は、父と子、遠い者と近い者、年長と年少、親しい者と疎い者の順序を区別して乱れないようにするためのものである。それゆえ大廟で祭りがあると、昭の列の者も穆の列の者もみな集まって、その序列を失わない。これを親疏による差のつけ方という。 昔の明君は、徳ある者に爵位を与え、功ある者に俸禄を与えた。そして必ず爵位と俸禄を大廟で授けた。独断で与えるのではないことを示すためである。それゆえ祭りの日、一献が終わると、君主は堂を降りて東の階段の南に立ち、南に向く。命を受ける者は北に向き、史官が君主の右から策(任命の文書)を執って命を読み上げる。受ける者は再拝して額を地につけ、文書を受けて帰り、自分の家の廟に供え物をして報告する。これが爵位と褒賞の施し方である。

解説

十倫の第五「親疏の殺」と第六「爵賞の施し」を示す段である。昭穆は、始祖を中心に、父の世代と子の世代を左右に交互に配する制度で、祭りに一族が集まるとき、各人が自分の世代の列に並ぶことで、遠近・長幼・親疏の順序が目に見える形になる。後半は、爵位や禄を大廟で授ける作法である。君がその場で任意に与えるのではなく、祖先の前で授けることで、私の恩ではなく公の賞であることを示す。孔穎達の疏は、策命を受けた者が家に帰って家廟に釈奠し、君の命を受けたことを祖先に告げると説き、時ならぬ祭りなので奠と称するという。祭義篇の「禄爵慶賞、諸を宗廟に成す」とも対応する。任命や表彰を、上司の気まぐれではなく、組織の公の場と手続きの中で行うことの意味を考えさせる段であり、受けた者がそれを家族や来し方に報告するという心の動きも、今の感覚にそのまま通じる。

この章句が説くこと

礼記祭統昭穆爵賞宗廟

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