導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 祭義

孝子將祭祀,必有齊莊之心以慮事,以具服物,以修宮室,以治百事。及祭之日,顏色必溫,行必恐,如懼不及愛然;其奠之也,容貌必溫,身必詘,如語焉而未之然;宿者皆出,其立卑靜以正,如將弗見然;及祭之後,陶陶遂遂,如將復入然。是故,愨善不違身,耳目不違心,思慮不違親。結諸心,形諸色,而術省之。孝子之志也。 建國之神位,右社稷而左宗廟。

新字:孝子将祭祀,必有斉荘之心以慮事,以具服物,以修宮室,以治百事。及祭之日,顔色必温,行必恐,如懼不及愛然;其奠之也,容貌必温,身必詘,如語焉而未之然;宿者皆出,其立卑静以正,如将弗見然;及祭之後,陶陶遂遂,如将復入然。是故,愨善不違身,耳目不違心,思慮不違親。結諸心,形諸色,而術省之。孝子之志也。 建国之神位,右社稷而左宗廟。

書き下し

孝子将に祭祀せんとするや、必ず斉荘(さいそう)の心有りて以て事を慮(おもんぱか)り、以て服物を具え、以て宮室を修め、以て百事を治む。祭の日に及びては、顔色必ず温かに、行い必ず恐れ、愛に及ばざるを懼るるが如く然り。その奠(てん)するや、容貌必ず温かに、身必ず詘(かが)め、語りて未だしが如く然り。宿者皆出づれば、その立つこと卑静にして以て正しく、将に見ざらんとするが如く然り。祭の後に及びては、陶陶遂遂(ようようすいすい)として、将に復た入らんとするが如く然り。是の故に、愨善(かくぜん)身に違わず、耳目心に違わず、思慮親に違わず。諸を心に結び、諸を色に形(あら)わして、術(の)べてこれを省(かえり)みる。孝子の志なり。 国の神位を建つるには、社稷を右にして宗廟を左にす。

現代語訳

孝子が祭祀を行おうとするときは、必ずつつしみ整った心をもって事を思いめぐらし、それによって衣服や祭具をととのえ、宮室を修繕し、あらゆる事を処理する。祭りの日になると、顔色は必ず和やかで、振る舞いは必ずおそれつつしみ、親を愛する心が届かないのではないかと懼れるかのようである。供え物を置くときは、容貌は必ず和やかで、身は必ずかがめ、親に語りかけてまだ答えを得ていないかのようである。助祭の賓客がみな退出すると、へりくだって静かに正しく立ち、もう親の姿が見えなくなってしまうかのようである。祭りが終わった後も、名残を惜しんでつき従うさまで、親がまた入って来るかのようである。こうして、誠実な善意は身から離れず、耳目は心から離れず、思いは親から離れない。思いを心に結び、顔色に表し、繰り返したどって省みる。これが孝子の志である。 国を建てて神々の位を定めるときは、社稷(土地と穀物の神)を右に、宗廟(祖先の廟)を左に置く。

解説

祭義篇の結びに近い段で、祭る孝子の心と姿を細やかに描く。準備の段階から祭りの後まで、容貌の一つ一つが「〜が如く然り」で結ばれ、そこにいない親をあたかもいるかのように思う心が身ぶりを決めていく。鄭玄は「陶陶遂遂」を相い随って行く貌とし、親がまた入って来るのを見るかのような思いの深さと読む。また「術」は「述」の誤りで、思いをたどり返して省みる意とする。論語八佾篇の「祭ること在すが如くす」を、場面ごとに展開したものといえる。末尾の一句は別の内容で、国都に神位を置くとき社稷を右に宗廟を左にするという配置を述べ、鄭玄は周が左を尊んだからだと注す。周礼考工記の「左祖右社」と同じ配置である。亡き人を思うとき、形だけの手順ではなく、その人を前にしているかのような心で臨むことが弔いの核であると教える段である。

この章句が説くこと

礼記祭義孝祭祀追慕

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る