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慎思録 / 巻之三

禮曰。祭者不欲屢。屢則瀆。夫忌日者。一歲一日而巳。如今倭俗每月稱忌日。素饌薦奠。固非正禮。故先輩有乖世俗而不行月忌者。竊謂。本邦元來無三年之喪。雖古制有期喪。復廢此禮久矣。是以孝子之心不能安。如月忌。雖非古禮。然國俗所同行。自幼習之既久矣。不忍遽廢。姑從其厚。而同俗亦可也。苟斷然而廢之不行。恐幾乎忍刻。

新字:礼曰。祭者不欲屡。屡則瀆。夫忌日者。一歳一日而巳。如今倭俗毎月称忌日。素饌薦奠。固非正礼。故先輩有乖世俗而不行月忌者。窃謂。本邦元来無三年之喪。雖古制有期喪。復廃此礼久矣。是以孝子之心不能安。如月忌。雖非古礼。然国俗所同行。自幼習之既久矣。不忍遽廃。姑従其厚。而同俗亦可也。苟断然而廃之不行。恐幾乎忍刻。

書き下し

礼に曰く、祭は数々ならんことを欲せず。数々なれば則ち瀆る、と。夫れ忌日は、一歳に一日のみ。今の倭俗の如きは毎月忌日と称し、素饌薦奠す。固より正礼に非ず。故に先輩世俗に乖きて月忌を行はざる者有り。窃かに謂ふ、本邦元来三年の喪無し。古制に期喪有りと雖も、復た此の礼を廃すること久し。是を以て孝子の心安んずる能はず。月忌の如きは、古礼に非ずと雖も、然れども国俗の同じく行ふ所にして、幼より之を習ふこと既に久し。遽かに廃するに忍びず。姑く其の厚きに従ひて、俗に同じうするも亦可なり。苟も断然として之を廃して行はずんば、恐らくは忍刻に幾からん。

現代語訳

『礼記』に「祭りはたびたびであることを望まない。たびたびであれば汚れる」とあります。そもそも命日は一年に一日だけです。今の日本の風俗のように、毎月を命日と称して精進料理を供えるのは、もちろん正しい礼ではありません。それで先輩の中には世俗に逆らって月命日を行わない者もいます。ひそかに思うに、わが国にはもともと三年の喪がありません。古い制度に一年の喪があったとはいえ、その礼も久しく廃れています。そのため孝子の心は安らぎません。月命日は古礼ではありませんが、国の風俗として皆が行い、幼い頃から久しく慣れ親しんできたものです。にわかに廃するには忍びません。しばらくは手厚い方に従って、世俗と同じにするのもよいでしょう。もしきっぱりと廃して行わなければ、おそらく情のない冷たさに近いでしょう。

解説

『礼記』祭義篇の「祭は数々ならんことを欲せず、数々なれば則ち瀆る」を引きつつ、日本の月命日の習俗を容認した一条です。儒礼を厳格に守る学者の中には月忌を廃する者もいましたが、益軒は、日本には三年の喪がなく孝子の心が満たされにくいこと、幼い頃から慣れた国俗であることを理由に、薄きより厚きに従うのがよいとしました。前出の「礼法は時と所に合わせる」という考えの具体例です。理屈で正しくても人の情を傷つける改革は冷たくなるという指摘は、慣習を見直すときの心得になります。

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