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礼記 / 喪大記

期居廬,終喪不御於內者,父在為母為妻;齊衰期者,大功布衰九月者,皆三月不御於內。婦人不居廬,不寢苫。喪父母,既練而歸;期九月者,既葬而歸。公之喪,大夫俟練,士卒哭而歸。大夫、士父母之葬,既練而歸。朔月忌日,則歸哭于宗室。諸父兄弟之喪,既卒哭而歸。父不次於子,兄不次於弟。

新字:期居廬,終喪不御於内者,父在為母為妻;斉衰期者,大功布衰九月者,皆三月不御於内。婦人不居廬,不寝苫。喪父母,既練而帰;期九月者,既葬而帰。公之喪,大夫俟練,士卒哭而帰。大夫、士父母之葬,既練而帰。朔月忌日,則帰哭于宗室。諸父兄弟之喪,既卒哭而帰。父不次於子,兄不次於弟。

書き下し

期(き)に廬に居り、喪を終うるまで内に御せざる者は、父在りて母の為にし、妻の為にするなり。斉衰(しさい)期の者、大功布衰九月の者は、皆三月内に御せず。婦人は廬に居らず、苫に寝ねず。父母を喪(うしな)えば、既に練して帰る。期・九月の者は、既に葬りて帰る。公の喪には、大夫は練を俟ち、士は卒哭して帰る。大夫・士の父母の葬には、既に練して帰る。朔月・忌日には、則ち帰りて宗室に哭す。諸父・兄弟の喪には、既に卒哭して帰る。父は子に次(じ)せず、兄は弟に次せず。

現代語訳

一年の喪で倚廬に住み、喪が終わるまで妻妾と寝所を共にしないのは、父が存命中に母のために服する場合と、妻のために服する場合である。斉衰(しさい、裾を縫った麻の喪服)で一年の喪に服する者、大功(やや粗い麻布の喪服)で九か月の喪に服する者は、いずれも三か月の間は寝所を共にしない。婦人は倚廬に住まず、苫の上に寝ない。(嫁いだ娘が実家の)父母を失ったときは、一周忌の練祭を済ませてから婚家に帰る。一年や九か月の喪であれば、葬った後に帰る。公(領地を持つ大夫を、家臣がこう呼ぶ)の喪では、その都邑に仕える大夫は練祭まで、士は卒哭を済ませるまでとどまり、それから自分の家に帰る。大夫や士が父母を葬ったとき(宗家の本宅で服喪していた者は)、練祭を済ませてから自分の家に帰る。その後も毎月の朔日と命日には、宗家に帰って哭する。おじや兄弟の喪では、卒哭を済ませてから家に帰る。父は子の喪のために倚廬に住まず、兄は弟の喪のために倚廬に住まない。

解説

喪の軽重に応じて、倚廬に住む期間や夫婦の同寝を慎む期間、服喪の場から家に帰る時期を定めた段である。父が存命中の母の喪と、妻の喪とは、同じ一年の喪であっても喪が終わるまで同寝を慎むとされ、特に重く扱われている。斉衰一年や大功九月の喪では三か月でよい。婦人が倚廬に住まず苫に寝ないのは、婦人は外に出て小屋に住むことをしないという当時の内外の別による。嫁いだ娘が実家の父母の喪に帰り、練祭の後に婚家に戻るという規定には、嫁いでも実の親を悼む務めは消えないという考えがある。鄭玄によれば、ここでいう公は領地を持つ大夫のことで、その家臣のうち大夫は練まで、士は卒哭までとどまる。近い臣ほど長く喪に仕えるのである。末尾の「父は子に次せず、兄は弟に次せず」は、目上の者は目下の者のために倚廬に住まないという尊卑の原則を示す。逆縁の悲しみは深いが、礼の上では目上がへりくだりすぎないことで、家の秩序が保たれると考えられたのである。

この章句が説くこと

礼記喪大記斉衰大功服喪

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