礼記 / 喪大記
父母之喪,居倚廬、不塗,寢苫枕塊,非喪事不言。君為廬宮之,大夫士襢之。既葬柱楣,塗廬不於顯者。君、大夫、士皆宮之。凡非適子者,自未葬以於隱者為廬。既葬,與人立:君言王事,不言國事;大夫士言公事,不言家事。君既葬,王政入於國,既卒哭而服王事;大夫、士既葬,公政入於家,既卒哭、弁絰帶,金革之事無辟也。既練,居堊室,不與人居。君謀國政,大夫、士謀家事。既祥,黝堊。祥而外無哭者;禫而內無哭者,樂作矣故也。禫而從御,吉祭而復寢。
新字:父母之喪,居倚廬、不塗,寝苫枕塊,非喪事不言。君為廬宮之,大夫士襢之。既葬柱楣,塗廬不於顕者。君、大夫、士皆宮之。凡非適子者,自未葬以於隠者為廬。既葬,与人立:君言王事,不言国事;大夫士言公事,不言家事。君既葬,王政入於国,既卒哭而服王事;大夫、士既葬,公政入於家,既卒哭、弁絰帯,金革之事無辟也。既練,居堊室,不与人居。君謀国政,大夫、士謀家事。既祥,黝堊。祥而外無哭者;禫而内無哭者,楽作矣故也。禫而従御,吉祭而復寝。
書き下し
父母の喪には、倚廬(いろ)に居りて塗らず、苫(せん)に寝ね塊(かい)を枕とし、喪事に非ざれば言わず。君は廬を為りてこれを宮(かこ)い、大夫・士はこれを襢(あら)わにす。既に葬れば楣(び)を柱(ささ)え、廬を塗るも顕なる者に於いてせず。君・大夫・士皆これを宮う。凡そ適子に非ざる者は、未だ葬らざるより以て隠るる者に於いて廬を為る。既に葬れば、人と立ちて、君は王事を言いて、国事を言わず。大夫・士は公事を言いて、家事を言わず。君既に葬れば、王政国に入り、既に卒哭して王事に服す。大夫・士既に葬れば、公政家に入り、既に卒哭して弁絰帯し、金革の事も辟くること無きなり。既に練すれば、堊室(あくしつ)に居り、人と居らず。君は国政を謀り、大夫・士は家事を謀る。既に祥すれば、黝堊(ゆうあく)す。祥して外に哭する者無く、禫(たん)して内に哭する者無し。楽作(おこ)るが故なり。禫して御に従い、吉祭して寝に復す。
現代語訳
父母の喪では、中門の外に木を壁に立てかけて作った仮小屋(倚廬)に住み、壁を土で塗らず、苫(とま、草のむしろ)の上に寝て土塊を枕にし、喪に関わること以外は口にしない。君の場合は小屋の周りを囲いで巡らせ、大夫と士の場合は囲わずにむき出しにする。葬った後は、軒の横木(楣)を柱で支えて小屋を少し広げ、内側を土で塗るが、外から見える側は塗らない。葬った後は、君・大夫・士いずれも囲いを巡らせる。嫡子でない者は、葬る前から人目につかない所に小屋を作る。葬った後は、人と並んで立って話すが、君は天子の事は話しても自国の政務は話さず、大夫と士は君の公務は話しても自家の事は話さない。君は葬った後、天子の政令が国に届けば受け、卒哭(葬後の区切りの祭り)を終えれば天子の命に服する。大夫と士は葬った後、君の政令が家に届けば受け、卒哭を終えれば弁絰(喪の冠)と麻の帯を着けたまま、戦(金革の事)であっても避けない。一周忌の練祭を過ぎれば、白土を塗った堊室に移り、人と同居しない。君は国の政治を図り、大夫と士は家の事を図る。二周忌の祥祭を過ぎれば、床を黒く塗り壁を白く塗った部屋に移る。祥祭の後は門外で哭する者はなくなり、禫祭(喪明けの祭り)の後は内でも哭する者がいなくなる。音楽を奏でてよい時が来たからである。禫祭の後は妻妾と寝所を共にするようになり、吉祭(喪明け後の最初の通常の祭り)を終えれば、もとの寝室に戻る。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・喪大記期(き)に廬に居り、喪を終うるまで内に御せざる者は、父在りて母の為にし、妻の為にするなり。斉衰(しさい)期の者、大功布衰九月の者は、皆三月内に御せず。婦人は廬に居らず、苫に寝ねず。父母を喪(うしな)えば、既に練して帰る。期・九月の者は、既に葬りて帰る。公の喪には、大夫は練を俟ち、士は卒哭して帰る。大夫・士の父母の葬には、既に練して帰る。朔月・忌日には、則ち帰りて宗室に哭す。諸父・兄弟の喪には、既に卒哭して帰る。父は子に次(じ)せず、兄は弟に次せず。
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礼記・間伝父母の喪には、既に虞して卒哭すれば、楣(び)を柱(ささ)え屏(へい)を翦(き)り、芐は翦りて納めず。期にして小祥し、堊室に居り、寝ぬるに席有り。又期にして大祥し、復寝に居る。中月にして禫し、禫して牀す。 斬衰は三升、齊衰は四升・五升・六升、大功は七升・八升・九升、小功は十升・十一升・十二升、緦麻は十五升にして其の半ばを去る。其の縷(る)を事とし、其の布を事とする無きを緦と曰う。此れ哀の衣服に発する者なり。
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礼記・間伝父母の喪には、既に虞して卒哭すれば、疏食水飲し、菜果を食らわず。期にして小祥し、菜果を食らう。又期にして大祥し、醯醤有り。中月にして禫(たん)し、禫して醴酒を飲む。始めて酒を飲む者は先ず醴酒を飲む。始めて肉を食らう者は先ず乾肉を食らう。 父母の喪には、倚廬(いろ)に居り、苫(せん)に寝ね塊(かい)を枕とし、絰帯を説(と)かず。齊衰の喪には、堊室(あくしつ)に居り、芐(か)は翦(き)りて納めず。大功の喪には、寝ぬるに席有り。小功・緦麻は、牀(しょう)にて可なり。此れ哀の居処に発する者なり。
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礼記・喪大記君の喪には、子・大夫・公子・衆士皆三日食わず。子・大夫・公子は粥を食い、財を納むるに、朝に一溢(いつ)の米、莫(くれ)に一溢の米、これを食うこと算無し。士は疏食水飲し、これを食うこと算無し。夫人・世婦・諸妻は皆疏食水飲し、これを食うこと算無し。大夫の喪には、主人・室老・子姓皆粥を食い、衆士は疏食水飲し、妻妾は疏食水飲す。士も亦これの如くす。既に葬れば、主人は疏食水飲し、菜果を食わず。婦人も亦これの如くす。君・大夫・士一なり。練して菜果を食い、祥して肉を食う。粥を盛(せい)に食うには盥(てあら)わず、篹(さん)に食う者は盥う。菜を食うに醯醤(けいしょう)を以てし、始めて肉を食う者は先ず乾肉を食い、始めて酒を飲む者は先ず醴酒を飲む。期の喪には、三たび食わず。食うに、疏食水飲し、菜果を食わず、三月にして既に葬れば、肉を食い酒を飲む。期にして喪を終うるまで肉を食わず、酒を飲まざるは、父在りて母の為にし、妻の為にするなり。九月の喪には、食飲は猶お期の喪のごとくなり。肉を食い酒を飲むも、人とこれを楽しまず。五月・三月の喪には、壱(ひと)たび食わず再び食わざるも可なり。葬に比(およ)びて、肉を食い酒を飲むも、人とこれを楽しまず。叔母・世母・故主・宗子には肉を食い酒を飲む。粥を食うこと能わざれば、これを羹(あつもの)にするに菜を以てして可なり。疾有れば、肉を食い酒を飲みて可なり。五十にして喪を成さず、七十には唯だ衰麻身に在るのみ。既に葬りて、若し君これに食わしむれば則ちこれを食う。大夫・父の友これに食わしむれば則ちこれを食う。粱肉を辟(さ)けず、若し酒醴有れば則ち辞す。
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礼記・喪服四制礼、斬衰の喪は、唯(い)して対えず。斉衰の喪は、対えて言わず。大功の喪は、言いて議せず。緦(し)・小功の喪は、議して楽に及ばず。 父母の喪は、衰冠・縄纓(じょうえい)・菅屨(かんく)し、三日にして粥を食し、三月にして沐し、期十三月にして練冠し、三年にして祥す。比(ころ)に茲(こ)の三節を終うる者は、仁者は以て其の愛を観るべく、知者は以て其の理を観るべく、強者は以て其の志を観るべし。礼以てこれを治め、義以てこれを正す。孝子・弟弟(ていてい)・貞婦、皆得て察すべし。
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礼記・雑記下如し三年の喪ならば、則ち既に顈(けい)して、その練・祥皆同じくす。 王父死して、未だ練・祥せずして孫又死すれば、猶お是れ王父に附するなり。 殯有りて、外喪を聞けば、これを他室に哭す。入りて奠し、奠を卒えて、出でて、服を改めて位に即くこと、始めて位に即くの礼の如くす。 大夫・士、将に公に祭に与(あずか)らんとして、既に濯(たく)を視て、父母死すれば、則ち猶お是れ祭に与るなり、異宮に次る。既に祭れば、服を釈(と)きて公門の外に出で、哭して帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し未だ濯を視ざれば、則ち人をして告げしむ。告ぐる者反りて、而る後に哭す。如し諸父・昆弟・姑・姉妹の喪ならば、則ち既に宿すれば、則ち祭に与る。事を卒えて、公門を出で、服を釈きて後に帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し同宮ならば、則ち異宮に次る。
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