説苑 / 指武
齊桓公之時,霖雨十旬。桓公欲伐漅陵,其城之值雨也,未合。管仲隰朋以卒徒造於門,桓公曰:「徒眾何以為?」管仲對曰:「臣聞之,雨則有事。夫漅陵不能雨,臣請攻之。」公曰:「善!」遂興師伐之。既至,大卒間外士在內矣,桓公曰:「其有聖人乎?」乃還旗而去之。
新字:斉桓公之時,霖雨十旬。桓公欲伐漅陵,其城之值雨也,未合。管仲隰朋以卒徒造於門,桓公曰:「徒眾何以為?」管仲対曰:「臣聞之,雨則有事。夫漅陵不能雨,臣請攻之。」公曰:「善!」遂興師伐之。既至,大卒間外士在內矣,桓公曰:「其有聖人乎?」乃還旗而去之。
書き下し
齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
現代語訳
斉の桓公の時代、長雨が十旬(百日)も続いた。桓公は漅陵を討伐しようとしたが、その城は長雨のせいでまだ城壁が完成していなかった。管仲と隰朋が兵士を率いて門に来ると、桓公は「兵士たちを連れて何をするつもりか」と尋ねた。管仲は答えた、「私が聞くところでは、雨が降っている時こそ好機だといいます。漅陵は雨のせいで城壁が完成していないでしょうから、私はこれを攻めたいと思います」と。桓公は「よろしい」と言った。そこで軍を興してこれを討伐した。到着してみると、大軍は外に配置されているように見えたが、実は精鋭の兵士がすでに城内にいた。桓公は「これはもしや聖人がいるのではないか」と言い、そこで旗を返してこれを退いた。
解説
管仲は長雨による城壁の未完成という相手の弱点を的確に見抜き、好機として攻撃を進言する。しかし実際に到着してみると、相手は表面的な備えの不足を装いながら、内実では精鋭の兵をすでに配置しているという二重の備えを敷いていた。桓公がこれを見て聖人がいるのではないかと即座に攻撃を中止した判断力もまた注目に値する。表面的な弱点や好機に見えるものが、実は相手の高度な計算による罠かもしれないという可能性を常に疑い、状況を侮らず慎重に見極める姿勢が、無用な損失を避ける鍵となる。
この章句が説くこと
管仲桓公慢心の戒め
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