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礼記 / 雑記下

世柳之母死,相者由左。世柳死,其徒由右相。由右相,世柳之徒為之也。 天子飯九貝;諸侯七,大夫五,士三。 士三月而葬,是月也卒哭;大夫三月而葬,五月而卒哭;諸侯五月而葬,七月而卒哭。士三虞,大夫五,諸侯七。

書き下し

世柳(せいりゅう)の母死して、相(しょう)する者左に由る。世柳死して、その徒右に由りて相す。右に由りて相するは、世柳の徒これを為すなり。 天子は飯(はん)に九貝、諸侯は七、大夫は五、士は三。 士は三月にして葬り、是の月や卒哭す。大夫は三月にして葬り、五月にして卒哭す。諸侯は五月にして葬り、七月にして卒哭す。士は三虞、大夫は五、諸侯は七。

現代語訳

世柳(魯の賢人)の母が亡くなったとき、喪主の礼を助ける介添え役は喪主の左側に立った。世柳が亡くなったとき、その門人たちは右側に立って介添えをした。右側に立って介添えをするのは、世柳の門人たちが始めたことである。 死者の口に含ませる貝は、天子は九つ、諸侯は七つ、大夫は五つ、士は三つである。 士は死後三か月で埋葬し、その月のうちに卒哭の祭を行う。大夫は三か月で埋葬し、五か月で卒哭の祭を行う。諸侯は五か月で埋葬し、七か月で卒哭の祭を行う。虞祭は、士は三回、大夫は五回、諸侯は七回行う。

解説

礼の起こりの記録と、身分による喪の数の違いを並べた段である。世柳の門人たちが介添えの位置を左から右に変えたことについて、鄭玄はこれも礼を失った始まりを記したものと注している。雑記下篇には、このように誰それが始めたという形で、礼が変わっていった由来を記す条がいくつもある。飯含の貝の数について、鄭玄はこれを夏の時代の礼と注し、周では天子の飯含に玉を用いると記している。後半の葬と卒哭と虞の数は、身分が上がるほど日数も回数も増える。喪を営む期間の長さは、死者の社会的な重さと、弔いに集う人々の広がりに応じて定められていた。今も、故人の立場によって葬儀の規模や法要の段取りが変わる。その差がどこから来たのかを考えさせる段である。

この章句が説くこと

礼記雑記飯含虞祭身分

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