礼記 / 楽記
昔者,舜作五弦之琴以歌南風,夔始制樂以賞諸侯。故天子之為樂也,以賞諸侯之有德者也。德盛而教尊,五穀時熟,然後賞之以樂。故其治民勞者,其舞行綴遠;其治民逸者,其舞行綴短。故觀其舞,知其德;聞其謚,知其行也。
新字:昔者,舜作五弦之琴以歌南風,夔始制楽以賞諸侯。故天子之為楽也,以賞諸侯之有徳者也。徳盛而教尊,五穀時熟,然後賞之以楽。故其治民労者,其舞行綴遠;其治民逸者,其舞行綴短。故観其舞,知其徳;聞其謚,知其行也。
書き下し
昔者(むかし)、舜は五弦の琴を作りて以て南風を歌い、夔(き)始めて楽を制して以て諸侯を賞す。故に天子の楽を為(つく)るや、以て諸侯の徳有る者を賞するなり。徳盛んにして教え尊く、五穀時に熟して、然る後に之を賞するに楽を以てす。故に其の民を治むること労する者は、其の舞の行綴(こうてつ)遠く、其の民を治むること逸なる者は、其の舞の行綴短し。故に其の舞を観て其の徳を知り、其の謚(おくりな)を聞きて其の行いを知るなり。
現代語訳
昔、舜は五弦の琴を作って「南風」の歌を歌い、夔(き、舜の楽官)は初めて楽を定めて諸侯を賞した。それゆえ天子が楽を作るのは、諸侯のうち徳ある者を賞するためである。徳が盛んで教化が尊ばれ、五穀が時節どおりに実ってはじめて、楽をもってこれを賞する。だから民を治めて民を苦労させている諸侯には、舞い手の列の間隔が遠い、つまり人数の少ない舞が与えられ、民を治めて民を安楽にしている諸侯には、舞い手の列の間隔が近い、つまり人数の多い舞が与えられる。だから与えられた舞を見ればその諸侯の徳がわかり、その謚(おくりな、死後に贈られる名)を聞けばその人の生前の行いがわかるのである。
解説
舜の琴と夔の楽から、楽が諸侯への褒賞であったことを述べる段である。鄭玄は、「南風」を万物を長養する風とし、父母が自分を育ててくれたことを歌ったものだが、その歌詞は伝わっていないと注している。夔については『尚書』の「夔よ、汝に命じて楽を典(つかさど)らしむ」を引き、舜の時代に楽を司った者とする。天子は徳ある諸侯に楽を与えて賞するが、その規模は治めぶりによって違う。鄭玄によれば、民を苦労させる諸侯は徳が薄く、舞い手の位置の間隔が遠い、つまり舞人が少ない。民を安楽にする諸侯は徳が盛んで、間隔が近く舞人が多い。舞の規模を見ればその徳がわかり、謚を聞けば生前の行いがわかる。鄭玄は謚を「行いの跡」と注する。与えられる名誉の形そのものが、治めぶりの評価を映し出す仕組みである。人の評価は、最後には肩書ではなく、その人が周りの者をどう扱ったかに行き着く。
この章句が説くこと
礼記楽記舜夔謚
関連する章句
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史記 楽書著れて息まざる者は天なり、著れて動かざる者は地なり。一動一静する者は、天地の間なり。故に聖人曰く「礼と云ひ楽と云ふ」と。昔者舜は五弦の琴を作り、以て南風を歌ふ。夔始めて楽を作り、以て諸侯を賞す。故に天子の楽を為すや、以て諸侯の徳有る者を賞するなり。徳盛んにして教へ尊く、五穀時に孰して、然る後に之を賞するに楽を以てす。故に其の民を治めて労する者は、其の舞行の級遠し。其の民を治めて佚する者は、其の舞行の級短し。故に其の舞を観て其の徳を知り、其の謚を聞きて其の行ひを知る。大章は、之を章かにするなり。咸池は、備はるなり。韶は、継ぐなり。夏は、大なり。殷周の楽は尽くすなり。天地の道は、寒暑時ならざれば則ち疾み、風雨節ならざれば則ち饑う。教へは、民の寒暑なり、教へ時ならざれば則ち世を傷る。事は、民の風雨なり、事節ならざれば則ち功無し。然らば則ち先王の楽を為すや、以て治に法るなり、善ければ則ち行ひ徳に象る。夫れ豕を豢ひ酒を為るは、以て禍を為すに非ざるなり。而るに獄訟益々煩しきは、則ち酒の流れの禍を生ずるなり。是の故に先王因りて酒礼を為り、一献の礼に、賓主百拝し、終日酒を飲めども酔ふを得ず、此れ先王の酒禍に備ふる所以なり。故に酒食は、歓を合する所以なり。楽は、徳に象る所以なり。礼は、淫を閉づる所以なり。是の故に先王は大事有れば、必ず礼有りて以て之を哀しみ、大福有れば、必ず礼有りて以て之を楽しむ。哀楽の分、皆礼を以て終はる。楽なる者は、施すなり。礼なる者は、報ゆるなり。楽は、其の自りて生ずる所を楽しみ、礼は、其の自りて始まる所に反る。楽は徳を章かにし、礼は情に報い始めに反るなり。所謂大路とは、天子の輿なり。龍旂九旒は、天子の旌なり。青黒の縁ある者は、天子の葆亀なり。之に従ふに牛羊の群れを以てするは、則ち諸侯に贈る所以なり。
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礼記・楽記王者は功成りて楽を作り、治定まりて礼を制す。其の功大なる者は其の楽備わり、其の治辯(あまね)き者は其の礼具わる。干戚の舞は、備楽に非ざるなり。孰亨(じゅくほう)して祀るは、達礼に非ざるなり。五帝は時を殊にし、相楽を沿(よ)らず。三王は世を異にし、相礼を襲わず。楽極まれば則ち憂え、礼粗なれば則ち偏る。夫(か)の楽を敦(あつ)くして憂い無く、礼備わりて偏らざる者に及んでは、其れ唯だ大聖か。
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礼記・楽記楽なる者は、黄鐘(こうしょう)大呂(たいりょ)弦歌干揚の謂いに非ざるなり。楽の末節なり、故に童者之を舞う。筵席を鋪(し)き、尊俎(そんそ)を陳(つら)ね、籩豆(へんとう)を列ね、升降を以て礼と為す者は、礼の末節なり、故に有司之を掌る。楽師は声詩を辨ず、故に北面して弦す。宗祝は宗廟の礼を辨ず、故に尸に後(おく)る。商祝は喪礼を辨ず、故に主人に後る。是の故に徳成りて上り、芸成りて下り、行成りて先んじ、事成りて後る。是の故に先王は上有り下有り、先有り後有りて、然る後に以て天下に制有るべきなり。
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礼記・楽記然る後に発するに声音を以てし、文(かざ)るに琴瑟を以てし、動かすに干戚を以てし、飾るに羽旄を以てし、従うるに簫管を以てす。至徳の光を奮い、四気の和を動かし、以て万物の理を著(な)す。是の故に清明は天に象り、広大は地に象り、終始は四時に象り、周還は風雨に象る。五色文を成して乱れず、八風律に従いて姦(おか)さず、百度数を得て常有り。小大相成し、終始相生ず。倡和清濁、迭(たが)いに相経と為る。故に楽行われて倫清く、耳目聡明に、血気和平にして、風を移し俗を易え、天下皆寧(やす)し。
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