礼記 / 楽記
凡音者,生人心者也。情動於中,故形於聲。聲成文,謂之音。是故治世之音安以樂,其政和。亂世之音怨以怒,其政乖。亡國之音哀以思,其民困。聲音之道,與政通矣。
新字:凡音者,生人心者也。情動於中,故形於声。声成文,謂之音。是故治世之音安以楽,其政和。乱世之音怨以怒,其政乖。亡国之音哀以思,其民困。声音之道,与政通矣。
書き下し
凡そ音なる者は、人心に生ずる者なり。情中に動く、故に声に形る。声文を成す、之を音と謂う。是の故に治世の音は安らかにして以て楽しく、其の政和す。乱世の音は怨みて以て怒り、其の政乖(そむ)く。亡国の音は哀しみて以て思い、其の民困しむ。声音の道は、政と通ず。
現代語訳
およそ音は、人の心から生まれるものである。感情が心の内に動くので、それが声となって現れる。声が文(あや)をなしたものを音という。それゆえ、よく治まった世の音は安らかで楽しげであり、その政治は和やかである。乱れた世の音は怨みを含んで怒りに満ち、その政治は道理にそむいている。滅びかけた国の音は悲しげで物思いに沈み、その民は苦しんでいる。声や音のありようは、政治のありようと通じ合っている。
解説
音楽と政治の関係を端的に言い切った段である。心に動いた情が声となり、声が文をなして音になるという前段の論を受け、その音を聞けば世の治乱がわかるとする。鄭玄は、八音が和するか否かは政治に随うのだと注した。治世・乱世・亡国の三つの対比は、『毛詩』の大序にもほぼ同じ文句で見え、詩と音楽を通じて政治を知るという儒家の考えの柱となった。ここで大切なのは、音楽が政治を変えるという以前に、音楽は政治の鏡だという点である。人々が口ずさむ歌や、ふだん交わされる言葉の調子は、制度や数字よりも正直にその場の状態を映し出す。組織の空気を知りたいなら、会議の議事録より休憩室の会話に耳を傾けよ、と言い換えることもできるだろう。上に立つ者が聞くべきなのは、報告の中身だけでなく、その声の調子である。
この章句が説くこと
礼記楽記音楽政治治世
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史記 楽書物に感じて動く、故に声に形はる。声相応ず、故に変を生ず。変じて方を成す、之を音と謂ふ。音を比べて之を楽しみ、干戚羽旄に及ぶ、之を楽と謂ふなり。楽とは、音の由りて生ずる所なり、其の本は人心の物に感ずるに在るなり。是の故に其の哀心感ずる者は、其の声嚼にして以て殺ぐ。其の楽心感ずる者は、其の声嘽にして以て緩し。其の喜心感ずる者は、其の声発して以て散ず。其の怒心感ずる者は、其の声麤にして以て厲し。其の敬心感ずる者は、其の声直にして以て廉なり。其の愛心感ずる者は、其の声和にして以て柔らかなり。六者は性に非ざるなり、物に感じて後に動く、是の故に先王は之を感ぜしむる所以を慎む。故に礼は以て其の志を導き、楽は以て其の声を和し、政は以て其の行ひを壱にし、刑は以て其の姦を防ぐ。礼楽刑政、其の極は一なり、民心を同じくして治道を出だす所以なり。凡そ音とは、人心に生ずる者なり。情中に動く、故に声に形はる、声文を成す、之を音と謂ふ。是の故に治世の音は安らかにして以て楽しむ、其の政和すればなり。乱世の音は怨みて以て怒る、其の政乖けばなり。亡国の音は哀しみて以て思ふ、其の民困しめばなり。声音の道は、政と通ず。宮を君と為し、商を臣と為し、角を民と為し、徴を事と為し、羽を物と為す。五者乱れざれば、則ち惉懘の音無し。宮乱るれば則ち荒む、其の君驕ればなり。商乱るれば則ち搥る、其の臣壊るればなり。角乱るれば則ち憂ふ、其の民怨めばなり。徴乱るれば則ち哀しむ、其の事勤しめばなり。羽乱るれば則ち危ふし、其の財匱しければなり。五者皆乱れ、迭ひに相陵ぐ、之を慢と謂ふ。此くの如くなれば則ち国の滅亡日無し。鄭衛の音は、乱世の音なり、慢に比し。桑間濮上の音は、亡国の音なり、其の政散じ、其の民流れ、上を誣ひ私を行ひて止むべからず。凡そ音とは、人心に生ずる者なり。楽とは、倫理に通ずる者なり。是の故に声を知りて音を知らざる者は、禽獣是れなり。音を知りて楽を知らざる者は、衆庶是れなり。
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『十善法語』巻第四・不妄語戒左伝ニ。八音ヲ節ニシテ八風ヲ行フトアリ。書経ニ。夔カ石ヲ拊擊スレハ。百獣率ヰ舞トアル。毗奈耶雑事ニ。緊那羅女ヨリ伝ヘシ箜篌ノ第一絃ヲ奏スルトキ。船舶破砕シ。商人悉ク漂没ストアル。又史記ニ。晋ノ平公音ヲ好ム。師曠カ黄帝合鬼神ノ楽ヲ奏ス。晋ノ国三年旱スト有ル。殷ノ紂王カ靡靡ノ楽ヲ作ル。是ニ由テ国ヲ亡スト云コトシヤ。此等ヲモ虚言トハカリ云レヌシヤ。近代書生ノ類カ大言ヲ好テ古人ヲ排シ。此般ノ事ヲ疑フハ。古ヲ信スルコトノナキト云ヘシ。孔子モ信シテ古ヲ好ムトアル。古ヲハ信スヘキコトシヤ。
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論語・八佾篇子、魯の太師に楽を語りて曰く、『楽は其れ知る可し。始め作せば翕(きゅう)の如く、之れに従えば純の如く、繹(えき)の如くして以て成る。』
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『墨子』三辯程繁、子墨子に問いて曰く、「『聖王は樂を為さず』と。昔、諸侯は聴治に倦めば、鍾鼔の樂に息い、士大夫は聴治に倦めば、竽瑟の樂に息い、農夫は春に耕し夏に耘り、秋に斂め冬に蔵むれば、聆缶の樂に息う。今、夫子は『聖王は樂を為さず』と曰う。此れ之を譬うるに猶お馬駕して稅かず、弓張りて弛めざるがごとし。乃ち血氣有る者の至る能わざる所に非ざる無からんや」と。子墨子曰く、「昔者、堯舜に《第期》なる者有り、且つ以て禮と為し、且つ以て樂と為す。湯、桀を大水に放ち、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。自ら樂を作り、命じて《九招》と曰う。武王、殷に勝ち紂を殺し、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。先王の樂に因り、又た自ら樂を作り、命じて《象》と曰う。周の成王は先王の樂に因り、命じて《騶虞》と曰う。周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に其の樂の逾いよ繁き者は、其の治、逾いよ寡し。此れより之を觀れば、樂は天下を治むる所以に非ざるなり」と。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・アルカディアの音楽却つて是れ、噌々切々たる琵琶の音の、猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビオスの伝ふる所によれば、往古アルカディアに於ては、其厳慄なる風土の、峻峭なる性情を賦与するを融和せんが為、国法として三十歳以上の男子に課するに音楽を以てしたりと云ふ。而して史家は、彼の荒涼なるアルカディア山国の人民の、能く残忍の性より免れたる所以のものは、ひとへに此れを音楽の賜なりとせり。凡そ我国到る処として、武士を教ふるに温雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは、わずかに其一例たるに過ぎず。白河楽翁公の、心に映るままを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の虫の音は殊に哀れなり』と。
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