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礼記 / 学記

雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗學,不知其善也。是故學,然後知不足,教,然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰:「教學相長」也。《兌命》曰:「學學半。」其此之謂乎!

新字:雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗学,不知其善也。是故学,然後知不足,教,然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰:「教学相長」也。《兌命》曰:「学学半。」其此之謂乎!

書き下し

嘉肴(かこう)有りと雖も、食らわざれば其の旨(うま)きを知らず。至道有りと雖も、学ばざれば其の善きを知らず。是の故に学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困(くる)しむを知る。足らざるを知りて、然る後に能く自ら反(かえり)みるなり。困しむを知りて、然る後に能く自ら強(つと)むるなり。故に曰く、「教学相長ず」と。兌命に曰く、「学(おし)うるは学ぶことの半ばなり」と。其れ此れの謂いか。

現代語訳

たとえ美味しい料理があっても、食べてみなければその味のよさはわからない。たとえこの上ない道があっても、学ばなければそのよさはわからない。だから、学んでみてはじめて自分の足りなさがわかり、人に教えてみてはじめて自分の行き詰まりがわかる。足りなさを知ってはじめて、自分を省みることができる。行き詰まりを知ってはじめて、自らを励まして努めることができる。それゆえ「教えることと学ぶことは、互いに助け合って伸びていく」というのである。『兌命』に「人に教えることは、自分の学びの半分にあたる」という。まさにこのことをいうのであろう。

解説

「教学相長ず」の出典として名高い一段である。前半は、ご馳走も食べなければ味がわからないように、道も学ばなければその価値はわからない、という身近なたとえから入る。後半の要は、学ぶことと教えることがそれぞれ別の自覚をもたらす点にある。鄭玄は、学べば自分の行いの短所が見え、教えれば自分の理解の届いていない所が見える、と注した。孔穎達の疏は「足らざるを知る」よりも「困しむを知る」のほうが深い行き詰まりだと読み、だからこそ人は自らを励ますのだという。引用の「学学半」は、上の「学」を「教える」の意に読み、人に教えることが自分の学びの半分を占めるという意味になる。人に説明しようとして初めて自分がわかっていなかったと気づく経験は、誰にでもあるだろう。後輩を教える役目は、教える側にとっても学びの場である。

この章句が説くこと

礼記学記教学相長教える学ぶ

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