礼記 / 学記
古之教者,家有塾,黨有庠,術有序,國有學。比年入學,中年考校。一年視離經辨志,三年視敬業樂群,五年視博習親師,七年視論學取友,謂之小成;九年知類通達,強立而不反,謂之大成。夫然後足以化民易俗,近者說服,而遠者懷之,此大學之道也。《記》曰:「蛾子時術之。」其此之謂乎!
新字:古之教者,家有塾,党有庠,術有序,国有学。比年入学,中年考校。一年視離経弁志,三年視敬業楽群,五年視博習親師,七年視論学取友,謂之小成;九年知類通達,強立而不反,謂之大成。夫然後足以化民易俗,近者説服,而遠者懐之,此大学之道也。《記》曰:「蛾子時術之。」其此之謂乎!
書き下し
古の教うる者は、家に塾有り、党に庠(しょう)有り、術(すい)に序有り、国に学有り。比年(ひねん)に学に入り、中年に考校す。一年にして経を離(はな)ち志を弁ずるを視、三年にして業を敬し群を楽しむを視、五年にして博く習い師に親しむを視、七年にして学を論じ友を取るを視る、之を小成と謂う。九年にして類を知り通達し、強立して反(そむ)かず、之を大成と謂う。夫れ然る後に以て民を化し俗を易(か)うるに足り、近き者は説(よろこ)び服して、遠き者は之に懐(なつ)く。此れ大学の道なり。記に曰く、「蛾子(ぎし)時に之を術(まな)ぶ」と。其れ此れの謂いか。
現代語訳
古の教育では、村里の家々には塾(じゅく、門のわきの教場)があり、党(五百家の区画)には庠(しょう、学校)があり、遂(すい、郊外の一万二千五百家の区画)には序(じょ、学校)があり、国都には大学があった。毎年新しく入学し、一年おきに成績を考査した。一年目には経書の句読を切れるか、志の向かう所を見分けられるかを見る。三年目には学業を敬い仲間と楽しく交われるかを見る。五年目には広く学び師に親しんでいるかを見る。七年目には学問を論じ、よい友を選べるかを見る。ここまでを小成(小さな完成)という。九年目には事物の類を知って道理に通じ、しっかりと自立して師の道から外れなくなる。これを大成(大いなる完成)という。そうなってはじめて、民を教え化し風俗を改めることができ、近くの者は喜んで服し、遠くの者も慕って寄ってくる。これが大学の道である。古い記録に「蟻の子は、つねに親蟻のすることを学ぶ」という。まさにこのことをいうのであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
礼記・学記大学の始めて教うるや、皮弁(ひべん)して菜を祭るは、道を敬するを示すなり。宵雅(しょうが)を肄(なら)うこと三なるは、其の始めを官にするなり。学に入りて篋(きょう)を鼓するは、其の業を孫(したが)わしむるなり。夏(か)・楚(そ)の二物は、其の威を収むるなり。未だ禘(てい)を卜せざれば学を視ざるは、其の志を游ばしむるなり。時に観て語らざるは、其の心を存せしむるなり。幼き者は聴きて問わざるは、学(おしえ)は等を躐(こ)えざればなり。此の七者は、教えの大倫なり。記に曰く、「凡そ学は、官は事を先にし、士は志を先にす」と。其れ此れの謂いか。
-
礼記・学記大学の法は、未だ発せざるに禁ずる、之を豫(よ)と謂う。其の可なるに当たる、之を時と謂う。節を陵(こ)えずして施す、之を孫(そん)と謂う。相観て善くする、之を摩と謂う。此の四者は、教えの由りて興る所なり。 発して然る後に禁ずれば、則ち扞格(かんかく)して勝(た)えず。時過ぎて然る後に学べば、則ち勤苦して成り難し。雑施して孫ならざれば、則ち壊乱して修まらず。独学にして友無ければ、則ち孤陋にして寡聞なり。燕朋(えんぽう)は其の師に逆らい、燕辟(えんぴ)は其の学を廃す。此の六者は、教えの由りて廃るる所なり。
-
礼記・学記大学の教うるや時あり。教うるには必ず正業有り、退き息(いこ)うには必ず居有り。学は、操縵(そうまん)を学ばざれば、弦を安んずること能わず。博依(はくい)を学ばざれば、詩を安んずること能わず。雑服を学ばざれば、礼を安んずること能わず。其の芸を興(よろこ)ばざれば、学を楽しむこと能わず。故に君子の学に於けるや、蔵(ぞう)し、修め、息い、游ぶ。夫れ然り、故に其の学に安んじて其の師に親しみ、其の友を楽しみて其の道を信ず。是を以て師輔を離ると雖も反(そむ)かざるなり。兌命に曰く、「敬孫して務めて時に敏なれば、厥(そ)の修乃ち来たる」と。其れ此れの謂いか。
-
説苑・建本成人に徳有り、小子に造有るは、大学の教えなり。其の未だ発せざるに禁ずるを預と曰い、其の可なるに因るを時と曰い、相い善に観るを磨と曰い、学びて節を陵えずして之を施すを馴と曰う。発して然る後禁ずれば、則ち扞格して勝えず。時過ぎて然る後学べば、則ち勤苦して成り難し。雑施して遜ならざれば、則ち壊乱して治まらず。独り学びて友無ければ、則ち孤陋にして寡聞なり。故に曰わく、昭き辟雍有り、賢き泮宮有り、田里周く行われ、済済鏘鏘として相い従いて質を執り、族有りて以て文すと。
-
礼記・学記慮(おもんぱか)りを発すること憲(のり)にかない、善良を求むるは、以て謏聞(しょうぶん)するに足るも、以て衆を動かすに足らず。賢に就き遠きを体するは、以て衆を動かすに足るも、未だ以て民を化するに足らず。君子如(も)し民を化し俗を成さんと欲せば、其れ必ず学に由らんか。 玉琢(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず。是の故に古の王者は、国を建て民に君たるに、教学を先と為す。兌命(えつめい)に曰く、「終始を念いて学に典(つね)にす」と。其れ此れの謂いか。
-
礼記・王制凡そ民を居くには、地を量りて以て邑を制し、地を度りて以て民を居く。地・邑・民居、必ず参(まじ)えて相得しむるなり。曠土(こうど)無く、游民無く、食節(せつ)あり事時あれば、民咸(みな)其の居に安んじ、事を楽しみ功に勧み、君を尊び上に親しむ。然る後に学を興す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る