尚書 / 說命下
惟教學半,念終始典于學
新字:惟教学半,念終始典于学
書き下し
惟れ教うるは学ぶの半ばなり、終始を学に典(つね)とするを念え。
現代語訳
人に教えるということは、学ぶことの半分に当たる。始めから終わりまで、常に学ぶことを心がけよ。
解説
誰かに教えるという行為は、一方的に知識を与えるだけの作業ではなく、教える側自身の理解を試され、鍛えられる機会でもある。人に説明しようとして初めて、自分の理解の浅さや曖昧さに気づくことは少なくない。後輩を指導する場面でも、家庭で子に何かを伝える場面でも、教えることを学びの一部として捉え直せば、日々のあらゆる関わりが自分を育てる機会に変わる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
教学相長学び成長
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論語・述而篇子曰わく、我は生まれて之を知る者に非ず。古を好みて敏にして之を求むる者なり。
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